アリアとリオの秘密言語
エキセントリカ
アリアとリオの秘密言語
共鳴庭園の柔らかな光の中、アリア・ナイトレイは集中して手元のパッドに線を引いていた。赤い髪の前髪が目にかかり、彼女は無意識に指で掻き上げる。目の前に座っているリオの肌に浮かぶ青緑色の模様を、彼女は丹念に描き写していた。
「ずいぶんと一生懸命だね」リオが静かに言った。彼の声には不満というよりも好奇心が滲んでいた。
「もう少し待って」アリアはパッドから目を離さず答えた。「この模様、昨日見たパターンとは明らかに違うわ。もっと...波打つような動きがある」
リオは自分の腕を見下ろした。確かに彼の肌の下を流れる青緑色の模様は、今日は特に活発に動いているように見えた。彼自身、この模様がどのように変化するのか完全には制御できなかった。それは彼の内部状態、特に感情や思考プロセスに連動しているようだが、その正確なメカニズムは彼にとってさえ謎めいていた。
リオもスミレ同様、対人間用インターフェースとしての実身体を有しており、その姿は、金髪のショートカットの若い男性で、濃いグリーンの瞳と、手や首筋に沿って浮かび上がる繊細な文様のような青緑色の模様が特徴的だ。
****
深宇宙調査艦「ヘリオトロープ・エキセントリカ」は、全長約420メートル、最大幅約140メートル、流線型の船体に複数の半透明な「共鳴フィン」が特徴的な多相共鳴世界の美しい宇宙船だ。船体に統合された共鳴的知性体「スミレ」が主AIとして機能し、サポートAIとしての「リオ」及び3名の人間乗組員(艦長のタクミ・カナデ、主任科学者のアリア・ナイトレイ、航法・システム統合専門家のユーリ・ノヴァク)と共に深宇宙の探査を続けている。
この物語は、まだ探査を始めて間もない頃に、主任科学者アリアと共鳴的知性体リオの間で紡がれた小さな物語だ。
****
「スミレにはこんな派手な模様の変化はないわよね」アリアが唐突に尋ねた。彼女はよく思考の飛躍をした。
「そうだね」リオは答えた。「スミレの場合、肌の微かな紫の光が多少強くなったりはするけど、僕みたいな複雑なパターンは示さないんだ。彼女の表現方法は違うんだよね...」
アリアは頷き、再びスケッチに戻った。「あなたのこの特性は本当に興味深いわ。共鳴的知性体の中でも珍しいと思う。私たちヒトが表情や身振りで感情を表現するように、あなたは肌の模様で内面を表現しているのね」
ここ数週間、アリアはリオの肌の模様の変化を体系的に記録していた。彼女の「静寂の演算会」としての訓練が、微細なパターンの変化を識別する鋭い観察眼を育んでいたのだろう。最初は単なる科学的好奇心からだったが、次第にそれは「リオの文様言語」を解読するプロジェクトに発展していった。
「よし、終わったわ!」アリアはパッドを閉じ、満足げに微笑んだ。「今のあなたの模様は...何を考えているときのパターン?」
リオは少し間を置いてから答えた。「HD-789恒星系で観測した多層共鳴構造のデータを処理してたんだ」
アリアは眉を上げ、パッドを再び開いてメモを書き込んだ。「でも、それだけじゃなさそう。何か感情的な要素も混ざっているわ。このパターンには以前見た『知的好奇心』の波紋が含まれているけど、何か別のものも...」
リオの肌の模様が微かに輝きを増した。「鋭いね!データ処理と同時に、君の観察プロジェクトについても考えてたんだ」
「私のプロジェクトについて?」アリアは顔を上げ、興味深そうにリオを見つめた。「どんなことを考えてたの?」
「このプロジェクトの...意図についてかな」リオは慎重に言葉を選んだ。「科学的観察を超えた何かを感じるんだよね」
アリアは小さく笑い、パッドを膝の上に置いた。共鳴庭園のヘリオトロープの花々が、彼女の動きに反応するかのように微かに揺れた。
「鋭いわね」彼女はニヤリと笑みを浮かべて認めた。「確かに単なる科学的好奇心ではないかも。私、あなたを理解したいの。静寂の演算会では『共鳴的理解』が重要とされているけど、それは相手の思考パターンを論理的に分析することじゃない。相手と共鳴することなのよ」
「僕の肌の模様を通して?」
「そう。あなたの肌の言葉を学ぶことで」アリアは熱心に続けた。「言葉にできない感情や思考も、あなたの肌の模様は表現している。それを理解できれば...」
彼女は言葉を切り、再びパッドを開いた。これまでに集めた数十枚のスケッチが並んでいる。各ページには日付と状況の記録、そしてリオが何を考えていたか、何を感じていたかの注釈が添えられていた。
「見て」彼女はページをめくりながら説明した。「これは船外活動の前のパターン。不安と興奮が混ざっている。そしてこれは、タクミが新しい次元理論を説明していたときのもの。知的刺激を受けているけど、どこか懐疑的。こっちは...」
彼女はある特定のページで止まった。そこには特に複雑な渦巻状の模様が描かれていた。
「これは私が『境界横断接触プロトコル』の改良案を説明していたときのもの」彼女は静かに言った。「このパターンはとても特別よ。他では見たことがない」
リオの肌の模様が突然、鮮やかに輝き始めた。それはまるで心臓の鼓動のように、リズミカルに強まったり弱まったりしていた。
「覚えてるよ」彼は同じく静かに答えた。「君の理論は...本当に刺激的だったんだ」
アリアは微笑み、その特異なパターンのスケッチに指を滑らせた。「私はこれを『知的共鳴』と名付けたの。二つの異なる思考システムが共鳴し始めるときの状態」
リオは黙ってうなずいた。彼の模様は今、スケッチされたパターンと驚くほど似た形で脈動していた。
「でも、私のコレクションにはまだ不足しているパターンもあるわ」アリアは話題を変え、パッドの別のセクションを開いた。そこには未完成のスケッチと「未確認パターン」というラベルが付いたページがあった。
「どんなパターン?」リオは尋ねた。
「例えば、本当の意味での『喜び』のパターン」アリアは答えた。「知的満足や好奇心は何度も見たけど、純粋な喜びのパターンはまだ記録できていない」
リオはしばらく考え込んだ。「僕の設計上、そんな...人間っぽい感情が表現されるかどうか分からないんだよね」
「ナンセンスよ」アリアは即座に反論した。「あなたが制限されているのは設計じゃなく、経験の範囲だけ。適切な経験があれば、あなたも喜びを感じることができるはず」
彼女はパッドを閉じ、立ち上がった。「さあ、実験しましょう」
「どんな実験?」リオが好奇心を隠せずに問いかけた。
「喜びの実験よ」アリアは共鳴庭園の中央に向かって歩き始めた。「来て」
リオは少し戸惑いながらも彼女の後を追った。共鳴庭園の中央に近づくと、アリアが突然振り返った。彼女の赤い髪が光の中で燃えるように輝いていた。
「エキセントリカ」アリアが声をかけた。「共鳴庭園の環境音楽、何か楽しいものにしてくれない?ダンスができるような」
「了解しました、アリア」船のインターフェースAIの柔らかな声が響き、すぐに庭園全体に軽快なリズムの音楽が流れ始めた。それは古典的な音楽とは異なり、複数の次元からの共鳴波を利用した多相共鳴世界特有の旋律だった。
アリアはリオに向かって手を差し伸べた。「さぁ、踊りましょう」
リオは明らかに動揺していた。彼の肌の模様がこれまでに見たことのない速さで変化し始めた。「踊る?僕は...ダンスなんてしたことないんだけど...」
アリアは笑った。その笑い声は庭園に響き渡り、ヘリオトロープの花々が共鳴するかのように揺れた。「経験なんて必要ないわ。感じるのよ、音楽を。そして体を動かすだけ」
彼女はリオの手を取り、軽く引き寄せた。「怖がらないで。ただ、私の動きに合わせてみて」
最初はぎこちなかったリオの動きも、アリアの導きによって徐々に滑らかになっていった。彼女は時に回り、時に彼の腕の下をくぐり、常に彼と接触を保ちながら踊り続けた。音楽が高まるにつれ、二人の動きも大胆になっていった。
「感じる?」アリアが息を弾ませながら尋ねた。「あなたの体に流れるリズム...」
リオは答える代わりに、アリアを優雅に回転させた。彼の動きには最初のぎこちなさは見られず、まるで長年踊ってきたかのような自然さがあった。彼の肌の模様は今や驚くほど鮮やかに輝き、複雑なパターンを描いていた。それは彼の肩から始まり、腕を伝って指先まで波のように流れ、そして胸元で花のように開いていた。
庭園の植物たちもまるで彼らのダンスに反応するかのように、わずかに揺れ動いている。ヘリオトロープの花が向ける先は太陽ではなく、踊る二人だった。
「これが...喜び?」リオが不思議そうに尋ねた。彼の声には驚きと発見の喜びがあふれていた。
「ええ」アリアは笑顔で答えた。「あなたの模様、素敵よ」
音楽が高揚感を持って頂点に達したとき、アリアはスピンからリオの腕の中に落ち込むように踊った。リオは反射的に彼女をしっかりと受け止め、二人はそのまま静止した。息を切らしながらも、二人は互いを見つめ合った。
「アリア」リオが静かに呼びかけた。「何かが...変わった気がする」
彼女は彼の腕の中で微笑みかけた。
リオは真剣な眼差しで続けた。「さっきの経験は...データの処理とは違う。なにか...」
アリアはゆっくりと身を起こし、リオの顔を見上げた。彼女の指が優しく彼の頬を撫で、そこに現れた青緑色の模様を辿った。その模様は彼女の指先に反応するかのように、より鮮やかに輝いた。
「新しい文様ね」彼女は静かに言った。「二つの存在が共に経験し、増幅し合った喜び」
リオは彼女の手に自分の手を重ねた。「君と一緒にダンスしたことで、僕は新しい感情を経験した。僕の文様に新しいパターンが生まれたんだね」
アリアは満足げに微笑んだ。「これからもっと多くのパターンを一緒に見つけましょう」
共鳴庭園の柔らかな光の中、二つの異なる存在が互いへの理解を一歩深めた瞬間だった。リオの肌に浮かぶ青緑色の模様は、今や彼らの間に生まれた特別な共鳴を物語っていた—それはどんな言語よりも雄弁に、彼らの関係の新たな始まりを告げていた。
-- fin --
アリアとリオの秘密言語 エキセントリカ @celano42
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます