事例1 『私と師匠とゾフィ』‐5
季節は春と夏がとっくに去って、秋の冷涼な風が目立つころである。
私は師匠の仕事を肩代わりしながら日々を過ごした。おもに魂の眠る丘で起きたことを報告書にまとめ、その後も異変は無いかどうか調べている。師匠が面倒くさがっていた業務も隠れてやっている。
部屋のなかで、夏から秋に移りゆく季節に気を留めず、ただ書類と睨めっこしていた。はたと気づいた時にはカレンダーのページが変わっていく。何枚も、何枚も。
この期間、私は師匠から離れるわけにはいかなかった。彼女にかけた魔法が途切れないように、常に身辺には気を配りケアを怠らないようにしていた。
「ぽっくり逝くから、気にしなくていいわよ」
師匠は不謹慎な冗談を交えて、私をさっさと家に帰らせようとする。自分は大丈夫だからと元気ぶりを示してくる。
師匠の臓器はもうほとんど機能していなかった。食事も流動食に切り替えているが、嚥下する力もない。私の魔術で繋いでいる命の灯火は、風が吹いたら消えてしまいそうなほど弱まっていた。
「師匠の引退姿が拝めるまで、自分の家には帰れません」
「あぁそっか……魔法サービス。あなたには報酬もあげてなかったものね」
「はい。ですからぜひ最後までお傍にいさせてください」
私は自宅に戻ってもやることが無い。仮にも仕事で呼ばれている手前、頼まれたことを終わりまで遂行しないのもどうかと思う。
それに、可能ならばお金はほしい。師匠は同業者のなかでも、ため息が漏れるほどの金持ちだ。きっと弟子への羽振りも良いに決まっている。
そうだ。私みたいな女だって、お世話になった恩師の弱っていく姿を見続けるのは苦しい。金の話で頭を誤魔化しておかないと、平常心を保てない。
家族の前では気丈に努めようとする師匠の姿。平常どおりの毎日をおくろうとする姿。
師匠とゾフィが、家のなかで笑っている姿。喧嘩をしている姿。食卓の席に座っている姿。雑談をしている姿。
親子そろってお風呂に入りにいく後ろ姿。同じベッドで眠りにつく姿。外に遊びに行く姿でも、そんな景色を近くで見ていると私の心はぎゅっと押しつぶされそうになる。
師匠はみんなのいない裏側で血を吐いて、しかし表では元気な女性を演じていた。
息も絶え絶えにしながら、師匠は弱ってもなお、街にくり出して人々を助けるために働こうとしている。彼女を寝室に閉じこめても、ちょこっと家から抜け出して街の人の手助けをしていたりする。私は彼女のそんなお人好し加減に呆れて、注意する気にもなれなかった。
師匠は娘の頭を撫でるのが好きだ。骨の浮かび上がった手で愛おしそうに黒髪に触れる。すると触れられた少女は弾けるような笑顔を私たちに見せてくれる。
あぁ、こんなに素晴らしいのに。理想を絵に描いたような彼女たちなのに、永遠にそこに閉じ込めておくことはできない。
家族団らんの一幕を眺めるたび、ここにある微笑ましい光景もいつかは終わってしまうのだと、私はやるせなくなる。我ながら、最低で悲しい気持ちに染まりだしている。
「ありがとね、アンネ」
「なんですか。いきなり」
夜にはふたりして、窓辺に座ってのんびりする。ただ佇んで温かい飲み物をすする。意味のない時間だ。何か取り留めのない話をしたとしても、なかなか話題は弾まない。
「ゾフィの面倒を見てくれているでしょう?ほんと助かるわぁ」
「そんな大げさなことしていません。ただ一緒にお話ししたり、魔術書のわからないところを教えているだけです」
「最高じゃない。それでいいのよ」
私は隣にいる師匠が、どこか遠くの暗闇を眺めていることに気づいた。ぼうっと虚空を見つめている。私の家を訪ねてきた日の夜にも、同じようにはるか先を見据えていた。だから何だというわけではないが、それを見てなぜかひどく胸騒ぎがした。
心に一抹の不安を抱えたまま、冬にいたる。疲れ切った私たちは、仕事についての話をほとんどしなくなった。それを済ませることは私たちにとって、もはや重要では無かった。
オリビア師匠は1分、1秒だって時間を無駄にすることは許されない。今日は生きられても、明日はどうかわからない。私の術が不注意で解けてしまえば一巻の終わりだ。そんなミスは死んでもあり得ないのだけど、それぐらい命のつなぎ目は脆くなっていた。
「ねぇアンネ」
「はい。なんでしょう」
家族とのわずかな交流も、些細な会話だってたくさん重ねていってほしい。
魔法使いなんて肩書きは忘れて、ひとりの母親として幸せを謳歌してほしい。もう人助けなんてしなくていいから。代わりなら私がいくらだってやるから、もう穏やかに歌でも歌いながら休んでいてほしい。
「頼みたいことがあるんだけど」
ベッドに仰向けでいる彼女が手を伸ばしてくる。それに私が阿吽の呼吸で手を重ね合わせていった。
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