事例1 『私と師匠』‐3

 今の師匠の体は、私の魔法ありきで動いている。

 肉体と魂のすき間に、大ざっぱな結界術を注ぐことで、彼女が意識を保てるように調整してある。この魔法をもし解除したら、師匠は歩けないどころか呼吸もできないと思われた。文字通りの師匠にとっての生命線である。


 本当に、オリビア師匠は限界だった。魔法使いを引退するのが遅すぎた、楽観的な私ですら危機感を募らせるほどに。

 余裕そうな所作と、その可憐な微笑。明るい笑顔は絶やさず、あっけらかんとしている。でもそんな彼女の身は悲鳴をあげ続けている。


 私があれこれと心配している間に、例の目的地が目と鼻の先まで見えてくる。

 喜怒哀楽を味わわされる移動に、若干疲れを感じていたところだ。

 

「さぁ現場はここよ。さっさと調べてみましょう」


 到着とともに、師匠の合図がかかる。息つく暇もなく私たちの仕事が始まろうとしていた。


 お目当ての丘は、レットウットの街並みを見渡せるほど高所にある。子どものちょうどいい遊び場としても利用されていて、私も子どものころは何度も通った。


 山というにはやや小ぶり。しかし美しい街の絶景を望むには、これ以上は必要いらない。生い茂る草と土の匂いがほのかに鼻をかすめる。丸く盛り上がった大地の頂点には、一本のメタセコイアがそびえ立っている。


 ここから見えるレットウットの街は、ずいぶんとちっぽけになった。戦争前には人も多く、市場のにぎわいが丘の上からでも聞こえてくるほどだったのに。

 

「たしかに……これは」


「ええ感じるわね。群がる魂たちが」


 巨木に近づくにつれ、恐ろしい量の気配がしてくる。四方八方から。ざっと何百もの、魂の揺らぎが観測できた。

 来るまで誰ともすれ違わなかったし、この辺りにも人はいない。魂が群がりだしてからこの丘に立ち入る人は、めっきり減ったという。

 人の仕業でなければ、魂を呼び集めているのはこの丘か、はたまた中心にある大木のほうだと考えて良さそうだ。


「ん……?」


「どうかしました?」


 師匠は軽く前のめりになって足を止めた。

 魂たちが木の周りを漂っている。まるで宙を泳ぐ魚のように、どれもが千差万別の動きをしている。

 

「アンネは聞こえないの?」


「え?なにを」


「むこうから、子どもたちの笑い声がしているわ」


 言われて耳を立ててみても、人の声は聞こえない。枯れ葉が風に乗せられる音。枝葉がこすれる音が響くだけだ。


 師匠が指をさす方向に行くと、子ども用のブランコが一つだけ置いてあった。巨木と隣り合っているその遊具。そこにぼんやりと魂の輪郭がある。


「楽しそうに歌ってる」


「私には……聞こえてこないです」


「見るだけじゃダメ。もっと霊魂に寄り添わなくちゃ」


「ぐぬぬ」


 感覚派の師匠とは違って、私は理論を重んじている。

 魂に寄り添うなんて教科書で習ったことがない。死霊術を極めても、魂の声を聞くためのスキルは身につかなかった。


 私は懸命に魂との交信を図ろうとする。その間にも、師匠はいくつかの魂の群れを一手に集めて、なにやら彼らと楽しげに会話を始めていた。


「声なんて、聞こえんぞ……」


「ふふっ。アンネもまだまだね」


 はるか高みの魔法使いと、私の差がどんどん浮き彫りになっていく。死にかけの師匠にさえ私の死霊術は遠く及ばない。己の未熟さと、あらためて師匠のすごさを実感した。


「彼らはなんと言ってるのです?」


「パパやママが迎えにくるのを、ここで待っているそうよ」


「はぁ」


 霊魂になってもこの場所に引き寄せられるとは、よっぽど思い出深いことがあったのか。

 ふらつきながら師匠は、和気藹々と子どもの魂に語りかけている。はたから見たら、意識の薄弱な女性が丘でひとりごとを言っているように見えなくもなかった。


「ずっと帰ってこなかったみたい」


「……」


「両親も友だちも、学校の先生も。街の人も。みんなここに戻ってくることは無かったらしいわ」


 師匠はブランコに腰かけながら、そこに漂う者の言葉を、私にも丁寧に教えてくれた。

 あたりは風が強くなってきている。私のもとには刹那の静けさと、突風が空を切る音がざわめいている。


「大人たちは、どこにいってしまったのでしょう」


「うん……うん」


 相槌を打っていく。時おり表情を曇らせて、師匠の包容力のある笑顔がしだいに消えていく。


「みんな戦争で、消えていなくなってしまった……。そう……そういうことだったの」


 声が途切れる瞬間、師匠の頬に一筋の涙がこぼれた。力なく、くたびれた肩を震わせながら。彼女は魂の言葉に嗚咽して泣いた。


 ここに彷徨っている子どもたちは、みな戦災孤児。先の大戦で消失した名前も知らない魂たちだった。

 レットウットは戦争で数えきれないほどの犠牲者を出した。そのうちの半数近くの犠牲者が一般市民であった。多くの人は現世にありながら、なぜ自分が死んだのかさえわからなかったに違いない。


「つらかったわよね。みんな、誰も迎えに来なかったものね」


 師匠もあの戦争に身をおき、魔法において国防を担っていた。私と同じようにだ。

 でも私と違って、彼女は懺悔するようにそれと向き合っていた。いつも戦争のことで悩み、苦しみを吐露していた。悔しさを噛み殺しながら、気丈な姿で振る舞っていたことを私は知っている。


「ごめん……ごめんなさい。守ってあげられなくて。みんなを救ってあげたかったのだけど、ごめんね」


 彼らに対して師匠は何度も謝っていた。自分は無力だった。自分はみんなを救えなかったと、師匠の悔やんでも悔やみきれない感傷が、悔恨が、まるで濁流のように押し寄せてくるかのようだった。

 

 戦争を止められなくてごめん。守れずにごめん。名も知らない魂たちに、語りかけていく。

 

 あなたたちは死んだ。死んでしまった。だからあの世へと進まなくてはならない。

 この世界にはもう、あなたたちを迎えに来てくれる人々はいないのだから。せめてこれからのひとときはどうか安らかに。


「今日で楽になりましょう。みんな」

 

 魂を手に込めて、包んで、温める。

 基本的な魂の浄化行為なのに、私はその一連の動作がひどく切なかった。


 師匠は相変わらず、慈母のような柔和な面持ちをしたまま泣いている。だけど手際よく自分のすべきことはこなしていく。一人ずつ。丁寧に一人ずつ。


 ありがとう。


 鼓膜から伝わるのは、私の声でも、ましてや師匠の声でもなかった。師匠に導かれていく魂が、別れぎわに放っていった。


 ありがとう。雨のように降り注ぐその無数の声。

 ようやく楽になれる。だからこその感謝であろうか。

 手に抱擁された彼ら。それぞれが命のめぐりを受け入れて、消えていく。

 さらさらと砂のように空へとかすれて散っていく。


「おやすみなさい、よき旅を」


 私たちが行ったことのないあの世へ。彼らの名残りの余韻はけっして残ることはなかった。師匠の懐から余さずに現世を飛び立っていく。

 湧き上がる魂の紫煙はふわりと風にのって、雲の切れ間へと消えていった。

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