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それが、行きずりの関係であれどもルール違反だと言われれば、反論の余地もない。雛子は、目の前のおんなの身体を通して、全然似てもいない、別のおんなを思い出していた。そうなることは分かっていて、一種の自傷行為みたいに、じゅりを抱いたのだ。別のおんなの顔を思い出したかったわけではない。忘れたくてじゅりを抱いた。それでも、全然忘れられなかった。
「……ごめん。」
雛子の背中に、幼い仕草で張り付くじゅりからは、やっぱり女らしい作意や色気は感じ取れない。ただ彼女は、必死なだけだ。必死で、雛子にしがみついている。
「……謝るんですね。」
否定してもくれない、と、じゅりがぽつりと呟くように言った。
「……ごめん。」
また、雛子は謝った。それ以外にできることはなかった。せめて謝らずに、そんなことはないよ、と否定するのが誠意な気もしたけれど、それができるほど、雛子も強くはなかった。謝りたい気分だったのだ。じゅりに、というよりは、誰かに、とにかく。
「……誰ですか? そのひとのこと、好きなんですか?」
じゅりの声は、細かい震えを押さえようとした結果、弾むようにひどく波打ってしまっていた。
雛子は、今度こそ嘘をつこうとして口を開いたのに、なぜだかそれができずに真正面からじゅりの問いに答えていた。つまりは、好きだよ、と。
「……誰?」
「……あなたが知らないひとだよ。」
「……なにが、違いますか? そのひとと、私。」
じゅりに問われて、雛子は言葉を探した。違うといえば、なにもかもが違う。顔も違うし、身体だって違う。でもじゅりが今問うているのが、そういう姿に現れている部分ではなくて、もっと深い背骨みたいなものだとは、分かっていた。菜乃花とじゅりは、違う。菜乃花は、既婚者のくせに雛子に抱かれるような、ずるいおんなだ。正直な気持ちだって、全然分からない。じゅりみたいに、素直で分かりやすいところは、全然ない。
「……あなたのほうが、いいこだよ。」
言えたのは、それきりだった。それ以上の言葉が出てこなかった。喉の奥に、蓋がされてしまったみたいで、無理やりその蓋を開けたら、涙も一緒に出てきてしまうそうだった。雛子は、ここで泣きたくはなかった。絶対に。知り合いの多い、馴染んだ町の路上で、というよりは、じゅりの前では。
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