第1話 オファー
清明学園高校の春はいつも同じだ。
古びた校門に張り付いた桜の花びら、ひび割れた歩道を越えて響く生徒たちの声。
でも今年は、校舎の中の空気だけが少し違っていた。
一ノ瀬シンは昇降口の靴箱に寄りかかりながら、傷だらけの携帯を三度目に読み返していた。
「おめでとうございます。あなたは清明学園特別奨学プログラムに選ばれました。教育委員会公認。」
小さく鼻で笑う。
――タダで手に入るものに、ろくなものはない」。
"シン!来るのか?"
その声にハッとする。暇を持て余しているのに付き合ってくれる唯一の男、佐藤大樹だ。
「そうだ、行こう」シンは室内履きを履く。携帯電話をバッグのストラップに隠す。大樹は気づくが、押さない。
図書室の2階で、学年一の秀才、相沢周が分厚い参考書をペンで叩いていた。もう何度も読んでいるので、ページが平らに閉じることはない。
机の上で携帯電話が鳴る。彼はそれを確認し、顔をしかめた。
「特別奨学生試験、理事会承認」。
彼は眼鏡を調整し、鼓動を高鳴らせた。奨学金というのは、ただ現れるものではない。
優しい声が彼の思考を中断させる。「シュウくん、大丈夫?
国語の教科書の後ろに半分隠れていた上野綾香だ。彼女は首を傾げる。
「ごめんなさい。ちょっとぼーっとしてたの」。
彼女は前髪を後ろに流しながら笑った。「ぼーっと?私たちの天才トップ・スチューデントが?怖いね。
外の、もうほとんど咲いていない桜の木の下で、森山ひなは膝の上に手紙を広げて座っている。本物の紙。学校の正式な印鑑。手書きの名前。
完璧。怪しい。
そよ風が彼女の髪に一輪の花を咲かせる。彼女はそれを感じない。
一年前
キッチンの古臭い空気の中で、彼女はまだ父親の声を聞いている。
「ひな、希望を捨てるな。私がなんとかする。大学に入るんだ。もっといい人生が待っている。
しかし、彼はそれを直さなかった。彼は去った。そして借金は残った。
「ヒナ!」
彼女はまばたきをした。中学時代からの親友、綾香だ。
「それは何?彩花が封筒を指差す。
「何でもない。ただ...奨学金のこと"
「サインしてくれる?
ヒナは目の奥がチクチクするのを無視して、きれいに紙を折る。「まだよ
放課後、シンは小さなアパートのドアの鍵を開けて、淀んだ空気と静けさの中に足を踏み入れる。
台所では、彼の祖母のスリッパが床を引きずる音がする。
窓際の隅では、薄い毛布の下で青白い影がかすかに動いた。
「お兄ちゃん…?」
声はかすれているのに、笑顔だけは大きくて胸が痛む。
「エミ。」
シンは布団のそばにひざをつく。妹の手は小さくて、冷たい。
ひび割れた唇の向こうで、エミはにっこり笑った。
「いちごパン…買ってきてくれた?」
「今度な、約束だ。」
嘘だ。エミの入院費で、パンを買う余裕なんてもうどこにもない。
エミは咳き込む。シンはその小さな手を強く握りしめた。骨ばった手が指に食い込む。
「すぐ良くなるからな。」
おまじないみたいに、そう言うしかない。
エミは小さくうなずく。「うん、知ってる。」
祖母がテレビの前で居眠りすると、シンはマットレスの端に座った。彼はメッセージをスクロールし、
「受け入れるべきか?」 とつぶやいた。
隣の部屋でエミの弱々しい寝息を見やり、
小さな声でつぶやいた。
「……他に、何ができる……。」
――――――――――――――――
シュウは図書館で、終業のベルが鳴った後もずっと残っている。彼は頭の中で数式を走らせるが、メッセージは彼の脳に穴をあける。
ワンクリック。理事会承認。
「もし不合格になれば--1ランクでも下がれば--両親から役立たずと見られてしまう。両親を失望させるわけにはいかない。とつぶやいた。」
親指がリンクの上で止まり、わずかに震える。
――――――――――――――――
ヒナは狭いアパートの中、彼女の父の埃をかぶった小さな祭壇のそばに座っている。
毎週と同じように一本だけ線香に火をつける。それだけで少しだけ勇気が出る気がする。
膝の上には手紙が置かれている。
「アクセプト」という文字がじっと彼女を見返してくる。
彼女は父の写真に向かって小さくささやく。
「……どうすればいいの…… お父さん。」
でも、彼女の父の笑顔は何も答えてくれない。
――――――――――――――――
清明高校の職員室では、壁の時計が夕方六時を過ぎていた。職員室では、二人の教師が自販機の安いコーヒーをすすっている。
「例の奨学金の話、聞いた?」と一人が小声でつぶやく。
「理事会から来たってやつだろ?」
「そう言ってるけど、校長は何も承認してないって。」
「へぇ、また新しい方針じゃないの? まあ、子どもたちなんて、何だってサインするだろ。」
外では、生徒たちが部活やテストの話で騒いでいる。
誰も気づかない――床下から忍び寄る不安に。
清明学園のあちこちで、携帯が震え、封筒が開かれ、画面が光を放つ。
シンはエミの布団のそばにひざをつき、袖をつかんだままの小さな手をそっと握る。
シュウは手のひらの汗をぬぐいながら、画面に映る封印をじっと見つめる。
ヒナは手紙を握りしめ、指の関節が白くなるまで折りたたむ。
一人、また一人と「アクセプト」をタップする。
七十二人の生徒。
同じ制服。
同じ夢。
同じ罠。
外では、最後の桜の花びらが誰もいない廊下に舞い落ちる。
中では、契約が音もなく閉じられた。
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