第20話
あの騒ぎから徐々に戻ってきた日常。すでにクラスの暗然は通常と化していた。曜日が繰り返せば、その純度は高まって行くだろう。
暖房を利かせ、カーテンを引いた部屋で積み重ねられたDVDを取り出す。再生した映像と音にリアリティがなく、部屋の中を素通りしていく。
脱力した体をベッドに預け思い出すのは、文芸部のお題だった。文字を見た時は毛穴が逆立ったが、今は笑いが込み上げてくる。何かを愛おしく思う気持ちを書けと言われれば、何だろうと数分考えてみる。思い当たったのは今のクラスだ。人形のように踊らされている彼らが、愛でるに値するのではないか? 後悔、疑念、憂えに浸かる彼らは僕の胸を掴んで暫くは離してくれそうにもない。
しかし次回の発表で正直に書ける内容ではいと、直ぐに断念した。今回は無理をしなくてもいいという同情が、僕に向けられている。やはりそれを利用する他ない。休み明けにはまた何かあるだろうか。
部屋の空気が暖められ、体がお湯の中を浮いている様な心地よさが包む。僕は胎児のように体を丸め欲に身を任せた。
「岬? 御飯よ」
暗い部屋に差し込む四角い光。同化しきれないシルエットが、寝ぼけた目に入ってきた。意思とは関係なく、体が左右に揺さぶられている。
「何も掛けないで寝たら、風邪をひくわよ。下りていらっしゃい」
目を覚ましたのを確認をすると、部屋の電気を点け扉を開けたまま母親は出て行った。急に明るくされ、目に入って来る光で寝起きの余韻に浸る間もなく、僕は目を徐々に馴らさなければならなくなった。部屋には夕食の匂いが香って来る。
「やっと下りてきたわね。夕食はカレーよ。今日ね、鶏肉と豚肉が安かったのよ。それでどちらにでも使えるカレーにしたの。いいアイデアでしょ」
用意された皿を見た。起きたてにカレーは百歩譲ってもいい。しかしカレーに豚肉と鶏肉を共存させる発想が僕には分からなかった。
たまに母親は、こんな変な発想で夕食を作る。以前はお肉が売り切れていたと言って、鳥ミンチでシチューを出した事もあった。あれには父親も溜息を出していた。しかし当の本人は、お肉はお肉よと言って反省どころか、代案で作れる自分が凄いと思っているので性質が悪い。確かに食べる事はできるが、口の中で小さい粒状の肉が舌の上を転がり中々慣れなかった。
僕はスプーンで鶏肉と豚肉を探しだし、それぞれに分けて固めてから口に放り込んだ。その間も母親は、自分のアイデアを自慢するように話している。僕が適当に相槌と返事をしているだけでも、彼女が満足なのは知っている。
「ごちそうさま。ちょっと出掛けてくるよ」
「あら、昼寝をするなら先に行っておけば良かったのに。夜、雨が降るって天気予報で言っていたから、傘を持って行きなさい。早く帰っていらっしゃいよ」
いつも何処に行くかまでは、聞いてこない。母親が自分に対して信用している証でもある。昔は体内で繋がり、母親と一心同体のようにいた。成長して体は大きくなっても、その名残があるのだろう。自分の子供が事件を起こすはずがない。そんな揺ぎ無い確信が母親にはある様に思えた。
残念ながら母親が見えているのは外側だけで、僕の中の成長までは知る事はできない。それでも繋がっていたという過去の事実に寄りかかり、世間一般の普通に育っていると思い込んでいる。僕から見たら哀れにも思うが、それで彼女が望む普通を送れるなら幸せな事なのだろう。
一度、部屋に戻ってジャケットを羽織ると、バスの定期券と財布をポケット突っ込んだ。
「行ってきます」
「はーーーい」
リビングから甲高い声が聞こえてきた。僕は昼間の晴天を思い出し、傘は持って出ない事にした。
玄関を出るともう日は暮れ、星が小さく輝いていた。やはり傘がいる様な気配はない。
ジャケットに手を入れながらバス停に向かう。時計の液晶盤のライトを点けると、七時前だった。まだこの時間は帰宅者が多いので、バスの往来も多い。あと数分もすればバスが到着する。
街灯が照らされ、地方でも本当に暗いとこを探すほうが難しい。見上げた空も、日本中の人工的な光でライトアップされ、空の色が分かる。今日はどうも新月らしく、空からのスポットライトは星だけのようだった。
バスに乗り込み、通学時の中継地点である駅のロータリーへとバスが侵入していく。すぐ目の前には、商業施設がライトアップされていた。バスから降りると、迷う事なく入口へ向う。
一階は無駄に広い食品売り場で、通路をまたいで更に奥には、雑貨や専門店のテナントが入っている。二階以降もすべてテナントが入り、若者向けのファッションや家族向けの店が軒を連ねていた。休みの夜なので、家族連れや自分と同年代の人で賑やかだ。
僕はエレベーターで三階まで上がった。目的の階に着くと大きな本屋が直ぐに現れた。別に岳に会いに来たわけでも無かったが、チラッとだけレジを覗きこんでみる。それらしき姿はなかった。
チェーン展開しているこの店は、品揃えが豊富で種類も多い。棚には種類別に図書館のように案内表示がされていた。見たい本が何処にあるかは把握しているので、迷うことなく足を進める。
医学書と書かれた棚には、専門書から初心者でも読める簡単な本が揃っている。その中でもお気に入りの解剖関連の一冊を手にして、そのまま立ち読みを始めた。そんな僕を誰も気には止めない。もし止めたとしても、医者を志す若者という程度だろう。
どれくらい経っただろうか。持っていた手が疲れてきた。一旦本を戻し、本屋を出る事にした。
「あれ? 大野」
振り向くと、ジーンズにパーカーを着て、その上からデニム調のエプロンをした岳が立っていた。他愛もない格好だが、様になっているのは容姿のお陰だ。
「岳、今日バイトだったんだ」
「休日は、大体入ってる。今日はどうしたんだ?」
「何となく暇つぶしにね」
「俺、今から休憩なんだ。フードコートへ一緒にいかないか?」
「休憩って、何時までバイト?」
時計は既に八時を回っていた。
「最終までさ。ちょっと忙しくてタイミングが合わなくてさ。取れなかったんだ」
「大変だね。なら飲み物の一杯ぐらい奢るよ」
「いいよ別に。それより腹が減ってさ。行こうぜ」
エスカレーターで一つ下の階に行くと、だだっ広いスペースに座席あり、両端には店がそれぞれのトレードマークの看板を掲げ、立ち並んでいる。フードコートは、人は多いが席に余裕はあった。岳は丼を食べたいと言い、店に買いに行った。僕はフレッシュジュースを買い、店の前に立っている岳に声を掛け、彼から見える位置の席を確保した。
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あとがき
どうも作者の安土朝顔です。
いつも読んでいただきありがとうございます。
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