第19話

 週明けのクラスは、他の教室の騒がしさが響くほど、ひっそりとしていた。生徒もまばらで、半分程が空席になっている。


「おはよう大野」

「岳」

「なんだがいつもにもまして、閑散としてるな」

「そうだね」


 興味深い事に佐伯と仲がよかった宮川は休んでいたが、もう一人の黒部は出席していた。実験室で頭を抱えているのが目の端に入っていたが、当事者と思われる二人の症状は他に比べて軽かったと覚えている。でも少しの遠目でも、黒部の顔色はあまり良くない様だ。


「こんなので授業あるのか?」

「さあ」


 本鈴が鳴っても教室の人数が増える事がなく、担任の中津川は体から疲労という影を背負い教室に入ってきた。人が少ない教室を見て、落ちている肩を更に落す。朝礼後、そのまま中津川の授業だったが、プリントを配られ自習に近い状態だった。二時限目、三時限目も同様だった。


 僕は次の授業は図書室で自習でもしようと、適当に荷物を持ち教室を出た。移動教室や各々の時間を過ごす生徒で人通りが多い廊下から、階段を下りて図書室へ向かう。近づくに連れて静かな空間へと変化していく。

 他の生徒に混じり、中に入ると珍しい人物が窓際の席に座っていた。いつもと変わりなく眼鏡を掛け、髪を一つにまとめ、空気の壁を作り、周りを遮断している。野暮ったい彼女が何を読んでいるのか興味が湧いた。席に近づき声を掛けてみる。


「何を読んでいるんですか?」


 やはり声を掛けるまで近づいてきた自分の存在には気づいてなかったのか、大きく体が傾いた。


「ああ、大野くん。驚いた。ちょっと読みたくなったから」


 そう言ってカバーを見せてくれた。


「シンデレラ、ですか?」

「ええ、子供っぽいんだけど、童話が好きなの。でもそろそろいかないと。ちょうど声を掛けてくれてよかった。ありがとう」

「いえ」


 顔は窓からの光と、反射する埃で輝いて見えた。

 彼女と普通の会話をしたのは初めてだった。それは年上というのも一つの理由かもしれないが、さほど興味がなかった。それが野元海人の作品を読んで、何となく野暮たくてオバサンくさい彼女に興味が湧き始めた。

 昼休み、いつものように中庭には岳がいた。


「四時限目、どうかしたのか?」

「図書室にいた」

「図書室?」

「自習をしてたんだ」


 彼も、今日の内容ならそれも有りだなと言って、お握りを頬張った。


「あと二時限、どうするかな」


 首を思いっきり反り、空を見上げながら呟いた岳も、時間を持て余しているようだった。


「何なら、もう帰るっていう選択肢もあるよね」

「いや、サボるのは駄目だ。放課後は部活がある」

「そう。ならプリント授業で自習をするか、昼寝をするかだね」

「大野も自習をするなら教室にしておけよ」

「はいはい」


 僕は映画で見る外人がよくするように肩をすくめるポーズをとると、彼は満足したようにまた空を見上げた。



 人が少なかった週明けから、日ごとに教室の中は密度を濃くしていった。宮川も半ばから姿を現したが顔色は悪く、神経質にきょろきょろする姿は、テレビで見る小動物のようで僕を楽しませてくれる。

 五時限目が終わった休み時間、僕は陰鬱の塊になっているクラスメイトに呼ばれ廊下に出た。そこには郷田が立っていた。


「どうしたんですか?」

「次の部活の日程を伝えにきたのよ」

「そうですか」

「それで今回だけど、テーマにそって掌編を提出する事になっているから」


 郷田から手渡された紙には、日程とテーマ「愛」と書かれてある。文字を見ただけで体に虫がはいずり回る様に身震いを感じた。


「先生はその……大変なら無理をしなくてもいいって」

「そうですか」


 会話は途切れても、郷田はまだ目の前に突っ立っている。追い払おうとすると、


「めずらしいな大野」


 ちょうどトイレから戻ってきたのか、ハンカチで手を拭きながら岳が距離を縮めてきた。


「三年の郷田先輩。同じ文芸部なんだ」

「どうも。大野と同じクラスの諏訪部岳です」

「郷田です」


 郷田の頬は少し赤くなっている。岳が彼女を頭頂部から足元に掛けてじっくり見ているからだ。粗雑な顔の持ち主に見られているのなら、郷田の反応は違っていただろう。


「岳、どうしたの?」

「あ、いや。すみません」

「いえ。じゃあ大野くん。来週の水曜日だから忘れない様にね」


 その言葉は僕に向けられているのに、郷田は岳を見据えてまま踵を返して教室に戻って行った。


「岳。ああいうのがタイプなの?」

「え?」

「すごく見ていたから」

「ほら、前に図書室で野元(のもと)海人(うみと)の作品を読んだだろ? あれに出てくる人物にそっくりだと思って」


 彼女の姿はもう廊下からは消えている。しかし残像を見る様に岳の目は、彼女が歩いていた廊下を見据えていた。僕は返事をせず、同意するかのように彼の視線に重ねてみた。


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