第6話

 何も考えず、僕が泣き寝入りでもすると思ったのだろうか。そんな事は有り得ないのに。他の人間にとっては苦痛なことを、楽しい事に変える事が好きなのだ。


「おい、おい! 俺たちがやったって証拠はあるのかよ!」

「明らかに君たちでしょ。大丈夫。後でちゃんと動画はアップしてあげるよ。君たちは有名人だ」

「名誉棄損じゃねえか!」


 この馬鹿どもは、自分たちがしたことが分かっていないのだろうか。まるで小学生以下だった。それに犯人でなくても、クラス全員が共犯者だ。


「君たちはそれなりの事をした。それが代償だよ」


 僕は真っ青になりながら吠える三人が面白くて、追い詰めるように言った。しかし早かった。彼らは直ぐに折れたのだ。


「すまない。冗談だった。もう二度としない。だから許してくれ!」

「君たち、面白くないね。もっと楽しませてくれるかと思ったのに。岳? そう言う事だからもういいよ。席に戻ろう。あ、君たち花瓶は片付けておきなよ? 何があったかばれちゃうよ」


 慌てて前で腰をかがめて破片を拾う姿は、無様なものだった。


「大野、お前……すごいな」

「何が? 僕はこういう遊びが好きじゃないだけだよ」


 でもこれもちょっとした非日常だったのかもしれない。でももっと非日常がこの日を境に起きた。

 それは花瓶事件から一週間程経った頃。男子生徒の幽霊が出るという噂が出始めた。理科室や教室、体育館。その姿を見たという場所はさまざまだった。学校中が静かな祭りが始まったように、毎日どこかで小さな声でその話はされていた。

 

 僕は、幽霊を信じてはいなかったし、誰かの悪戯としか考えていなかった。でも何故そんなことをする必要があるのか。その方が気になっていた。

 幽霊騒ぎで静かな祭りが行われている。正体が分からないものに慄きながらもそれを楽しんでいるのがほとんどの中、この一年特進クラスだけが葬式の様に暗かった。皆が顔を下に向け会話さえ乏しい。皆が背中に暗い靄を背負い、それがいつ自分自身を包み込むかと怯えているように見える。特にあの花瓶の三人は顔色が悪く、何もない背後に怯えている様にも見えた。


 僕はわざと気配を消し、背後から近づくと、触れるか触れないかの接触を試みた。すると、死人でも見たかのように目と口を大きく開けていた。やはり何かに怯えている。彼らだけではない。このクラス全員が、何かに怯えていた。でも人間が何かに怯える姿は滑稽で僕を楽しませてくれていた。


「おはよう岳」

「おはよう」

 

 後ろの入り口から入ってきた岳は、右手で鞄を肩に担ぐように持ち、左手にはクラブバックを握っている。挨拶を交わす僕らは、張りがある声だった。いまそんな声を出せるのは、このクラスでは僕と岳だけになっていた。


「そんなに幽霊が怖いのかな?」

「大野は怖くないのか?」

「幽霊なんて信じていないよ。でも面白みのない毎日に、色を付け足してくれているから、感謝はしてるかな。岳は?」

「怖がる意味が分からないからな」

「でも、もし出くわしたらどうする?」


 岳の顔から表情が消えた。まるで見えない手によって表情をはぎ取られたようだった。どうして彼がそのような表情になったのかは分からない。それはやはり、直面すれば岳でも怖いと思ったのかもしれない。


「どうもしないさ。大野ならどうする」

「そうだなあ、本当に会ったら先ず足があるのか確かめるね。そして握手を試みる。それから写真かな」

「冷静だな。相手は生きてないのに」


 幽霊が本当にいるとして考える。彼らは生きていない。もうこの世に肉体はない。そんな彼らがナイフなどを持って自分を襲うことはないだろう。所詮、死んだ人間には何もできないのだ。何かをできるのは生きている人間。

「生きていないからだよ。生きている人間にはいきなりそんなことはしないさ。だって生身の方が危険だからね」

 

 生きている人間は簡単に人を殺す。あらゆる欲に溺れ、その為に手を掛ける事がほとんどだろう。でももし幽霊がいるならば自殺にせよ殺された側の人間だ。わざわざ幽霊となってまで姿を現し危害を与えることが出来るのであれば、自分を死に追いやった人間だろう。

 生憎、自分にはそんな覚えはない。僕は傍観者だ。


「――そうだな。生きている人間が一番危険かもな」

 

 岳は鞄の中から教科書を取り出し、机に突っ込んでいる。そんな他愛も無い動きでも、背中はピンと伸びていた。やけにその岳が出す音が聞こえるかと思ったら、教室中の視線が自分に集まっていた。

 僕が視線をくるりと回すと、沢山の目は一気に下を向く。足元に穴が出来て落ちるのではないかという怯えが見えた気がした。


 少し時間が経って僕は、その幽霊とは誰なのかが気になり、文芸部で一緒の真田のクラスを訪れて聞いた。なぜならクラスの誰に聞いても僕とは話したがらないのか、会話にならなかったからだ。彼女はC組だったので、一つ飛ばした教室に通りすがりに聞くようなものだった。

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