第5話 届かない名前

雪が降っていた。

静かで、世界から音が消えていて。


彼はひとり墓の前に立っていた。


ポケットから録音機を取り出し、震える指でボタンを押す。

録音状態になる。


混じるのは、風の音だけ。


彼は、ゆっくりと口を開いた。


「……天音」


低く、かすれた、男の声。

これまで聴かせたことのない、本当の声。


それだけだった。


録音を止める。再生はしない。


機器を、そっと墓前に置いた。


ようやく呼べた、君の名前。

もう、どこへも届かない名前──

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もうひとつの声で、君を呼ぶ @syoremi

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