呪術をもって怪異を祓う陰陽師の助手になった少年は粉骨砕身頑張ります!
辛島
第一話 調べは夜に舞う
1 出会い
暮れなずむ街を、一人の少年がひたすら走っていた。彼は高校三年生の十八歳。早くに両親を亡くした天涯孤独の身であり、今は安アパートで一人暮らしをしている。
彼の名前は星野 朝陽(ほしの ともあき)、『夜なのか朝なのかはっきりしろよ』と、よくからかわれることが多いのだが、本人はとても気に入っている。
それは、夜が明け、徐々に生命の息吹が満ちていき、これから始まる一日への静かなエネルギーを感じさせる良い名前だと本人は思っているからだ。
そんな
それは、彼以外のほとんどの人には見えていないはずの、異形のものが見えてしまうということだ。
おそらくそれは、霊魂や妖、妖怪、物の怪、魑魅魍魎など、所謂、超自然的な存在であろう怪異と称される類の存在だろう。一般的には『バケモノ』とひとくくりにされるそれらは、この世界の深淵に澱んだ悪意や邪念が具現化したかのような、おぞましい姿を晒しているのだ。
特殊な能力を持って生まれた彼だが、それが災いしたのかは分からない。だが、今まで経験したことのないほどの、まさに絶体絶命の状況に陥っていた。
夕暮れ時の市街地。入り組んだ路地裏は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、薄闇が、この街に潜む異形を呼び覚ますには十分な時間帯だった。
「くそっ、なんで僕ばっかりこんな目に……!」
息を切らし、肺が焼け付くような痛みに耐えながら、朝陽は必死に駆けていた。彼の背後からは、ぞろぞろと蠢く影が迫る。
「もう、勘弁してくれよ!」
なぜ、彼がこんなことになっているのかというと……。
それは、遡ること数時間前、ささやかな昼食の選択に端を発していた。その日の朝、連日のアルバイトと深夜までの勉強の疲れからか、朝陽は、つい朝寝坊をしてしまったのだ。そのせいで、昼食代節約のための弁当を作る時間がなかったわけだ。
朝陽の財布には残り870円。バイト代が入るまで、残り一週間をこれでやりくりしないといけない。
そこで昼休み、朝陽はこっそり学校を抜け出し、顔見知りのパン屋のおばちゃんにパンの耳をもらいに行った。すると、その横にある肉屋のおっちゃんが、「にいちゃん、若いんだから、栄養のあるもん食べなきゃダメだぞ」と、揚げたての肉入りコロッケを一個、ひょいと渡してくれた。
「おっちゃん、ありがとう! 僕が手伝えることがあったら、なんでも言ってくれ。じゃあ!」
そう手を振り立ち去る朝陽は、彼らの温かさが身に染みた。親の顔さえ知らず育った朝陽にとって、彼らは家族のような存在だった。
彼が一人住むボロアパートは、時間が止まったかのような昔ながらの商店街の店舗の上にあった。朝陽がなんとか一人でやっていけているのは、そこの温かい商店街の人たちに助けられている部分が大きいのだ。
「はぁ~。のどかだなぁ」
森の端にある公園のベンチに座って、彼はもらったパンの耳とコロッケを食べていた。なぜ公園で食べていたかといえば、そんな貧しい食事をクラスメイトには見られたくなかったのだ。それでなくとも、朝陽はクラスの中で浮いた存在であったからだ。
食後、公園のベンチでぼうっとしていると、公園の入り口付近に一人の男の影が見えた。
「やばい! 先生だ」
なんと、そこに運悪く生徒指導の教師が見回りに来てしまったから、さぁ大変だ。この教師はかなり質が悪く、学校を抜け出していることがバレれば、どんなひどい罰が下されるか分かったものではない。
それというのも、つい先日のこと、その日の朝も朝陽は必死で走り、午前8時30分のチャイムが鳴る寸前で校門を駆け抜けた、はずだった。間に合ったと思ったのもつかの間、なんと、あの教師に遅刻と判断されてしまったのだ。その時、教師の顔がにやりと歪んだのを見た朝陽の嫌な予感は的中した。
思った通り、そのたった一度の遅刻で、彼はアルバイトを禁止されかけたのだ。生徒指導担当のその教師は、朝陽の事情を知りながらの嫌がらせであることは明らかだった。この地域では裕福な子たちが多く通う名門校であるこの高校に、朝陽のような貧乏学生がいることが気に食わないのだろう。何かにつけて、朝陽を目の敵にし、些細なことで呼び出しては嫌味を言ったり、全校生徒の前で吊るし上げようとしたりすることも度々あった。おかげで、朝陽はクラスメイトから格好のいじめの対象となったのだ。
「ヤレヤレ、ほんと勘弁してほしいもんだ」
あの教師が朝陽のことを嫌っているのは明らかだ。変な目で見られるのも、恐れられるのも、嘲笑されるのも、鬱陶しがられるのも、そんなもん、慣れっこだった。だから、なるべく目立たない様に、息を潜めているというのに、それなのにだ。何で、放っておいてくれないんだろ? と彼は常に思うのだ。
「でも、この状況は、まずいよな」
学校を抜け出したことがバレたら、ただの罰では済まされないだろう。アルバイト禁止処分は、担任から校長へと執り成してもらい、何とか回避はできた。苦学生である朝陽にとって、アルバイト収入はまさに命綱だった。それがなければ、学費はおろか、一日の食事にすら事欠くことになるからだ。
狐顔の嫌味な教頭の一番のお気に入りな、あの教師であれば、今回、朝陽に自主退学を強要してくる可能性すらある。
そこで、慌てて隠れようと、公園の奥にある森へと足を踏み入れた。この森は鬱蒼とした茂みに覆われ、道らしい道もない険しい獣道だが、高校の裏門へと続く近道になっていた。休み時間はもうすぐ終わる。焦るあまり、朝陽は足元を見ずに走ってしまった。
足場の悪い曲がりくねった獣道で、彼は石に躓いて、つんのめってしまう。その視線の先には、古びて傾き、深い苔に覆われた小さな石の祠がひっそりと佇んでいるではないか。
「あ、やばい!」
マズいと思い、反射的に避けようとしたものの、勢いあまって祠の内部に安置されている古い木彫りの人形につい手が触れてしまった。その瞬間、ぞくりと全身を駆け抜ける悪寒が走り、何かがまとわりついてくるような嫌な感覚があったのだが、彼はそれを『うん、気のせいだ』と思い込んだ。
「ごめんなさい。どうか、祟らないでください」
倒れてしまった人形を元の状態に戻すと、軽く祠に手を合わせ、朝陽は再び走り出した。木彫りの人形から微かに立ち上った黒い靄が朝陽の足元に纏わりついてきたことに気づくことはなかった。
何とか、誰にも気づかれずに学校に戻ることができたのだが、その後から、朝陽に異変が起こりだした。
最初はほんのわずかな違和感だったが、時間が経つにつれ、その異変はさらに顕著になっていく。普段は見えるだけの存在であったものが、まるで磁石に引き寄せられるかのように朝陽の周囲に集まってくる。それは次第に数を増し、学校からの帰り道には、まるで百鬼夜行のように、ぞろぞろと蠢きながら追いかけてくるようになっていた。
「何なんだよ! こいつら!!」
その数は、どんどん膨れ上がっていく。
―――そして、今、この状況に陥っているわけだ。
もちろん周囲の人々にはその姿が見えていないわけで、彼らはそれぞれの日常を刻んでいる。そして、蠢くバケモノは、周囲の人々には目もくれず、朝陽にだけ反応しているのだった。
おぞましいほどに歪んだ顔と、そこから無数に生え出したかのような異形の肢体が蠢き、ぬらりとした粘液の跡を残しながら這いずるように迫る。また、不自然に長く伸びた骨ばった指がアスファルトを擦り、カツカツと乾いた音を立てる痩せこけた巨躯が、空虚な眼窩から病的な光を放ちながら、耳障りな金切り声を上げ追いかけてくる。彼らは朝陽の特異な体質を嗅ぎつけ、まるで獲物を見つけた獣のように執拗に追いかけてくるのだ。
「勘弁してくれよ!!」
逃げ込んだ先は、さらに奥深くへと続く、薄暗い路地だった。石畳は苔むし、両脇に立ち並ぶ木造家屋は、今にも崩れ落ちそうなほどに朽ちている。どこからか生臭い風が吹き抜け、朝陽の肌はぶるっと総毛だった。
「クソ、もう、どこにも逃げ場が……!」
キョロキョロと周りを見渡すと、行き止まりかと思われたその路地の奥に、ひときわ異彩を放つ古びた雑居ビルがひっそりと佇んでいた。窓ガラスは煤け、壁には蔦が絡みつき、まるで長い間、時間の流れから取り残されたかのような佇まいだ。しかし、その廃墟のような外観とは裏腹に、ビル全体から放たれる何かが、朝陽の全身を痺れさせた。
それは、妖が放つような悪意や瘴気とは異なる、もっと根源的で、しかし抗いがたい異様な気配だった。まるで、深い森の奥で、古の神殿が静かに息づいているかのような、畏怖と同時に抗えない引力を感じさせる。
「なんだ、これ……?」
妖たちの追撃を忘れ、朝陽の足は自然とビルの入り口へと向かうのだった。その強烈な引力に、本能が危険を告げるが、まるで抗いがたい罠に吸い込まれるかのように、ビルの方へと引き寄せられてしまう。
「や、やばい。これじゃ、前門の虎、後門の狼だ。ええ~い! 仕方ない。入るか!」
朝陽は、背後から迫るおぞましい妖の気配と、目の前のビルから放たれる抗いがたい引力との間で葛藤した。しかし、もはや選択肢は残されていなかった。彼は、怖気つつも、意を決して目の前のビルへと足を踏み入れることを選んだ。
ギギギィ……と軋むドアが、彼を招き入れるようにゆっくりと開く。朝陽は導かれるまま、ビルの闇の中へと吸い込まれていった。
パタン、と背後でドアが閉じる。
建物に入った途端、朝陽の背後を追っていたおぞましい妖たちは、一瞬にして霧散していくではないか。妖たちの気配が完全に消え去ったことに、朝陽は『ほう、助かった……』と安堵の息を吐いた。
ホッとしたのもつかの間、ゼーゼーっと肩で息をし、疲弊しきった体で周りを見回すと、ナントそこはまるでホラーゲームの舞台のような不気味な廃墟ビルの光景が広がっていた。
薄暗い廊下、雑然とイスや机が積み上げられ、天井の照明はパチ、パチと不規則に点滅を繰り返している。そして煤けた壁には『月神探偵事務所は二階』と手書きされた小さな貼り紙が貼ってあるのが見えた。
「月神……探偵事務所? こんなところに探偵事務所って……。営業してるのかな?」
胡散臭さを感じた朝陽だったが、このビルの特に二階の奥から一段と強く、異様な気配が漂ってくるのを感じる。そこで、恐る恐る階段を上っていった。
二階に付くと、更に気配は強くなってくる。先に進むと、二階の廊下の突き当たりにあるドアの横には、墨で書かれた簡素な看板が寂しく掲げられていた。
『
文字の傍らにどこかユーモラスな月の絵と星が描かれている。その大雑把な適当さが何気に奇妙な親近感を覚えさせた。
だが、その部屋の中から圧倒的な存在感を放つ何かがあるようだ。恐る恐る、そのドアをノックする。コンコン、と乾いた音が静寂に響くが、反応はない。
意を決してノブを回すと、鍵はかかっていないようで、ドアはすんなりと開いた。朝陽は少し開けたドアの中を、そーっと覗き込んで見る。
部屋の中は、薄暗く、独特の空気が漂っていた。中央に置かれた使い込まれたソファには、一人の青年が深く身を沈めて眠っている。長く伸びた黒髪が顔にかかり、その表情は窺い知れない。だが、彼から放たれる気配は、外で感じたよりもずっと強く、そしてどこか気だるげで、それでいて底知れぬ深淵を覗かせているようだった。
朝陽は、自分がとんでもない場所へ足を踏み入れてしまったことを悟りながらも、なぜかその場を離れることができなかった。
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