大坂の陣

緋色ザキ

大坂の陣

 明け方。

 まだ、空は薄らとした青黒い明るさに包まれており、肌を刺す寒さに包まれている。

 可能であれば、まだ布団にくるまっていたい時間。


 そんな時分に少女は走っていた。その後ろからは異形が追いかけてくる。岩や石のような茶色や黒の塊が接合された、ロボットのような感情を感じさせない黒円の瞳を持ち合わせた二本の腕を持つ二足歩行の生命体。そのほとんどは背が低く、大きく丸い岩の塊ような見てくれだった。

 およそ、創作のワンシーンに登場するかのような、奇妙な風体の生物が、群れをなしドスドスと響く音を鳴らして少女の後を追随していく。

 ひどく恐怖を感じさせる光景。普通の少女なら、泣き出してもおかしくない。けれども少女は冷静沈着な面持ちで、その一つにまとめられた綺麗な黒髪を揺らしながら、両端を塀に囲まれた一本道を駆けていく。


 走って行くにつれ、スピードが落ちていく少女。それに引き換え、異形は不格好な走り方ではあるものの一定のスピードを保ち続け、その距離は次第に縮まっていく。

 少女はちらと後ろを振り返り異形との距離を測ったのち、前方を見た。目の前には塀が見え、道は右手へとつながっていく。


「そろそろかな」


 小さく呟くと加速して、勢いよく道を曲がった。

 異形もまた、器用に塀に沿って右折するが、そこで足を止めた。

 その先には、銃を構えた多くの人間の姿があった。逃走劇を繰り広げていた黒髪の少女も混じっている。その顔には薄らと笑みが浮かんでいた。


「撃てー」


 そんなかけ声とともに、銃弾が異形を襲っていく。一本道で逃げ場のない異形立ちはその銃弾の雨になすすべなく打たれ、一体、また一体と倒れていった。

 そんな前方の見方の様子を目撃してか、後方の何体かは逃亡をはかろうとする。


「させないよ」


 黒髪の少女が先陣を切り、手に持ったナイフでその胴体や腕を切り裂いていく。異形は奇声を上げながら、ばたりと倒れていく。


「あっ、一体逃げるよ」


 後ろから茶髪の少女の声が聞こえてきた。

 一際上背が大きく人型をした背中にもう一本の腕を持つ異形。

 その背中目がけて投擲をする。

 しかし、背中に瞳でもついているかのように、異形はそのタイミングで振り返ると、ゴツゴツした腕でナイフをなぎ払った。ナイフはそのまま塀につきささった。


「ちっ、届かないか」


 追撃及ばず、少女は舌打ちした。

 こうして、明け方の攻防は幕を閉じたのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 戦いを終え、少女がシャワールームに入るとすでに先客がいた。


「お疲れ、ナギコ」


 手を小さく振りながら、にへらと笑う茶髪でボブカットの少女。トウカである。ふんわりとしたタオルで髪を丁寧に拭いている。

 黒髪の少女、ナギコは隣のブースへ足を運ぶと、頭から水をかぶった。


 ナギコはこの時間が好きだった。戦いを忘れ、日常へ埋没できるひととき。こんな日常のなんでもない時間がずっと続けばと幾度となく思った。だが、現実はそう上手くいかない。


 あの異形、人類からはイーターと呼ばれているが、彼らと戦いが始まったのはおよそ十年前。まだナギコが五歳くらいの年端もいかない少女だったときである。

 学者によれば、イーターは宇宙から地球へ侵略を目的にやってきた知的生命体だそうだ。

 ちょうどその頃、人類は戦争に明け暮れていて、国家のかたちは戦争前と比べてひどく歪んでいた。そんなときだ。イーターが攻め込んできたのは。

 はじめ人類は彼らそっちのけで戦争を続けていた。しかし、破竹の勢いで領土を占領していくイーターに対し、人類は強い脅威を覚えた。

 全世界で休戦条約が締結されるとともに同盟が結ばれ地球連合が設立された。そして世界は国ではなく地区制へ再統合され、旧日本はトウトと呼ばれることとなった。

 人類とイーターの戦いは苛烈を極めたが、開戦から五年後、ようやく休戦協定が結ばれることとなった。地球の領土の実に七割をイーターが直接、あるいは間接的に支配することになり、地球上での共存関係が生まれることとなった。


 ナギコの住むオーサカ地区もはじめは休戦協定に乗っ取り、平和な日々が流れていっていた、しかし、あるイーターが人間の子どもに危害を加えたという事件を契機に紛争へと発展した。


 結局、一ヶ月のささやかな平和から一転、再びオーサカ地区ではイーターと人間の戦いが繰り広げられることとなった。ナギコの叔父であるヒナトは、それまでイーターとの戦いに使っていたオーサカ城塞へと数百名の人間を率いて立て籠もり、徹底抗戦の構えを取った。

 そこから早五年。多くの人間が亡くなった。ヒナトを始め、多くの大人たちが死んだ。ナギコはそんな一つ一つの死にひどく心を痛めた。けれど、それが癒える時間を与えてくれないまま、また仲間が死ぬ。そしていつの間にか、ナギコのまわりから大人が消えた。いまオーサカ地区の城塞に立て籠もって抵抗を続けているのはほとんどがまだ年端もいかない子どもたちなのである。


「最後の投擲、惜しかったねえ。あいつ、いつも後ろにいて指揮を取っているイーターだよね」


 隣のブースからトウカがこちらを上目遣いでのぞき込む。

 童顔二重の端正な顔立ちの少女の下からのアングル。きっとこれが普通の男の子だったらどきどきして、下手したら惚れてしまうやもしれない。同い年のナギコからしても、胸が高鳴る可愛さだ。

 思わずまだ少し湿り気のある頭をよしよし撫でる。やめてよう、とトウカは言うが、その顔は気持ちよさそうである。ひとしきり頭を撫で終え、ナギコはハンドタオルを首にかけた。


「たしかに、今日もまた倒せなかったね。それに、日に日に城塞の奥地まで攻め込まれている。こちらの兵力も圧倒的に不足している。対して、相手のイーターはおそらくまだ余力がある。陥落も近いかな」 


 この戦いが始まってから、五年。イーターは着実に城塞の中心部である本丸へと近づいてきている。いま立てこもっている城塞は対イーター用で改築され、塀によって渦のような一本道が続くという構造をとっている。しかし、塀は少しずつイーターとの戦闘で破壊されていき、もう本丸の目前までイーターは迫っている。あまり長く持たないことは明白だった。


「大丈夫だって。セイジたち別働隊の報告によれば、向こうだって数を大きく減らしているらしいじゃん。きっとなんとかなるって」 


 ねっ、とトウカは微笑んだ。それはまるで、彼女自身に言い聞かせているみたいで、強引な響きを孕んでいた。無理に笑っているのは見え見えで、でもそれを否定する言葉をかぶせるほどナギコは無粋ではなかった。

 だから、笑ってそうだねと返した。ただ、少しだけ心配だった。自分が果たしてしっかりと笑えているだろうかということが。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 昼食時。

 食堂へ向かうとすでに多くの人が集まっていた。現在、この城塞には五十余名の若者が住んでいる。最年長が二十三歳で最年少は齢八歳の少年である。その平均年齢は十五歳前後と、そこだけ切り取ればとても戦える面々ではなかった。

 全員に食事が行き渡ると中央のテーブルに座っていた前髪で目が隠れた黒髪の少年が立ち上がった。


「えー、本日の大阪の陣、お疲れさまでした」 


 あちこちから拍手が沸き起こった。

 この大阪の陣というのは、五百年ほど前に実際にあった大坂の陣という大きな戦争から取られた言葉らしい。叔父のヒナトはこのトウトの歴史に非常に詳しく、彼によって銘々された。

 生前ヒナトはよく、「この戦争がなかったら、僕は歴史学者になっていただろうな。日本でも名を馳せていたに違いない」と豪語していた。皆、それに一様に笑みを浮かべるというそんな馬鹿げていて、けれども楽しげな光景が作られていた。

 ナギコたちは物心ついたときには戦争が激化していたこともあり、ろくな教育を受けずにここまで来ていた。そのため、トウトの歴史なぞ知るよしもなかった。そんな子どもたちを集めてヒナトはよく歴史話をしてくれた。難解な話も多かったけれど、楽しげに話す叔父の姿がナギコは好きだった。


「さて、本日は非常に残念なお知らせが一件あります。犠牲者が一人出ました。ヨミです。彼女の冥福を祈り、黙祷をしましょう」 


 そうして、皆手を合わせて瞳を閉じた。

 ヨミは今日の作戦で、塀からのイーター狙撃を担当していた。しかし、多くのイーターには銃と似たような狙撃攻撃が備えられていた。ナギコたちが石弾と呼ぶその攻撃は、石の弾丸を高速ではじき出す攻撃である。静止した状態からでないと撃てないという縛りはあるようだが、銃と同程度の威力を持っている。ヨミはイーターの石弾により、逆に打ち落とされてしまったのだ。


 黙祷を終えると、食事が始まった。今日のメニューは芋と雑炊、それに少量のスープ。ひどく質素だ。もうしばらくの間こんなかんじの食事が続いていた。倉庫の食料の備蓄は限界に近づいていた。城塞の一部で家庭菜園をやってもいるが、とてもじゃないがこの人数分をまかなえない。


 対してイーターはといえば、その主食はコンクリートや金属、石などである。人間からしてみれば、そのどこからエネルギーを得ているか摩訶不思議であるが、宇宙から来た異形には、異なる法則が働いているのかもしれない。彼らにとって、地球は非常に生きやすい環境なのである。

 そして、城塞は彼らにとって攻めるべき対象であると同時に格好の餌場となっていた。塀や生垣、壁を彼らは文字通り少しずつ食い破っているのである。


 戦力もさることながら、食事にも大きな差を抱えているのである。


「こんなひもじい生活、もう嫌だわ」


 ぼそりとナギコの横に座る女が呟いた。アザミだ。二十三歳と最年長の女性である。非常に艶っぽく、魔性という言葉が似合う女だ。基本的に誰か男が側にいることが多く、これまで多くの男が彼女の盾となり死んでいった。今日は二十歳くらい男が横にいて、食べ物を分けていた。彼女は非力だが、自分が生き残る術をわきまえ、生にしがみついているように思えた。

 なんとなく暗い気持ちになって、ナギコは雑炊を一気にかき込んだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 それから三日後。

 見張りをしていた少年からの敵影探知報告で、ナギコは前線へと出向いた。塀から見えるイーターの数は十。どれも小ぶりであるが、その後方にはいつものように大型の人型イーターがいた。


「なんだか、いつもより数が少ないね?」 


 ナギコの隣で双眼鏡を片手に様子を眺めるトウカが呟く。

 たしかにその通りだ。先日相手にしたときは、百体ほどの大群で攻めてきていた。それがどうだろう。今回は十体。


「向こうさんも、もう頭数揃えられないってことかしらね。戦争の終わりも近いわあ」


 塀の下でそんな会話を聞いていたのか、アザミが嬉しそうに声を張り上げた。そのまわりの男女も、それに合わせて嬉々として喜びを口にする。


 果たしてそうだろうか。ナギコは一抹の不安を感じた。これまでの戦いから見るに、後方にいる人型イーターは知能が高い。もし万が一数が足りなくなったとして、そんな雑な攻め方をしてくるだろうか。油断を誘っている可能性。

 それを頭の片隅に残しておかなければならない。しかし、仮にそうだとして、狙いはなにか。そこまでは読めずにいた。


 そんなことを考えている横で、トウカはパタパタと顔に白い粉を吹きかけていた。


「なにしてるの、トウカ?」

「お化粧だよ」


 さも当たり前のような返答に首を傾げる。


「トウカ、この部隊に好きな人とかいたんだっけ?」

「いないよ。でもさ、もしかしたらいつか白馬の王子様的な人が戦いの最中に颯爽と現れるかも知れないでしょ?」

「えっ、うーん。そうかなあ」


 ナギコは首を傾げた。たしかに幼い頃そういった本を読んだことはある。しかし、この籠城の日々にそんな甘く刺激的な出来事が起こるとは到底思えない。


「ナギコ、作戦開始だよ」


 塀から降りていくトウカに足をぽんと叩かれ我に返る。ナギコはブンブンと頭を振った。いまは、攻め込んできているイーターを討つ時だ。

 ナギコは塀を飛び移り、イーターへと距離を縮めていく。それに、三名ほどの少年少女が続いていく。


 ナギコの役割は斥候と先鋒。まずは相手の出方を窺いつつ、攻めるとなればいの一番にそのナイフで敵陣へ突っ込む。そして、状況に応じて身を引き、後方の銃撃部隊に殲滅の補助を頼む。そんな戦術であった。

 幸か不幸か、この城塞を攻めてくるイーターの多くは知能が低く、変化的な攻め手を向こうの指揮官の統率なしに行うことはない。石弾やイーターとの揉み合いさえ避けられれば、普通のイーターはそこまで脅威にならない。


 前方のイーターはナギコに気づくと立ち止まり、石弾を発射してくる。塀の上で身を屈めながら、その距離を近づけていく。

 そうして、間近の塀に到達すると、塀の下へ広がる道へと華麗に着地する。ナイフを構え、迫り来る石弾を打ち落としながら塀の上へちらと視線を送ると、遅れて斥候の三人がやってくるのが確認できた。その手に持つ、石をイーター目がけて投擲していく。イーターは三人の真下、塀へ張り付くようにし、攻撃を躱す。それを待っていたナギコが相手の間合いへ踏み込み、ナイフで着実に致命傷を与えていく。


 一匹、また一匹とイーターを討伐し、残るは五体となる。いつもなら、数の多さから塀の上も後方のイーターたちの餌食となり、なかなか効果的な攻めをすることができないでいた。だが、この数であれば恐れるに足りぬ。もうしばらく交戦していれば、いつもしっぽを巻いて逃げ帰る人型イーターに対し、複数人で取り囲んで攻撃ができる。さすがにそのすべてを掻い潜って無傷で逃げることはできまい。今日こそはその体を切り刻んでやる。

 そう意気込み一歩、ナギコが踏み込んだ次の瞬間。


 ドーンと大きな爆音が鳴り響き、地面が大きく揺れた。思わず膝を右手を地につく。

 顔を上げて前を向くと、件の人型イーターと視線が交錯した。その歪な茶色い腕が、ナギコに向けらていた。

 これはまずい。反射的にナギコは右後方へ転がる。

 バシュッ。その耳に鈍い音が響いた。見ればいましがた屈んでいた場所の土が半径五センチほど抉れていた。人型イーターの仕業であることは明白だった。当たっていたらおそらく命はなかった。背中が冷やっとする。プルプルと小さく腕が震えた。しかし、そうしている暇はない。次の攻撃が来る。

 ナギコは背を向けると走り出した。踏み込む足がいつもよりも地につく感触がない。まだ少し地面が揺れているみたいだ。


 一本道の角を曲がったところで、鍵縄を使って塀の上へ登る。塀の上を走りながら、揺れの正体を特定しようと城塞の本丸の方へ視線を向ける。その瞳に映った光景に思わず言葉を失った。

 城塞の中心部付近の塀が倒壊し、地面には亀裂が入っていたのだ。それも一カ所ではない。ぱっと見て、四カ所ほどあった。東西南北全てで、塀が崩れ、そこに待機していた仲間たちが負傷していた。

 一体なにが起こったのか。驚きで血の気がさーっと引いていく。急いで本丸付近へと戻り、近くで倒れいている少年の救護に当たっていた少女に状況を確認した。


「私も分かりません。本丸にいたのですが、いきなり爆音とともに大きな揺れが襲ってきて、外に出たらこのありさまでした」


 少女は涙声になりながら話す。


「きっと、これは地下での爆発が原因だね」


 そんな会話に、聞き覚えのある声が横入りした。トウカだ。その体は砂や土煙の影響か茶色に染まっているが、五体満足に見える。


「無事だったのか」

「うん、私はね。でも、多くの仲間が犠牲になった。推測だけど、この爆発はイーターの仕業だと思う。彼らはコンクリートや土を主食にしている。だから、長い時間をかけて、城塞の中央部に向けて地下を掘り進めていったんだと思う。そうして、そこに爆発物を仕掛けてボカンっていうのが事の顛末なんじゃないかな」


 淡々と推測を語っていく。そこにはいつものような柔らかさは微塵もない。戦場で戦う兵士の顔をしている。


「トウカがイーターなら、このあとどう攻める?」

「私なら、後方に姿が見えないように控えさせていたイーターで四方八方から攻撃するかな」


 トウカは苦々しげな顔でそう言った。

 それは、あたって欲しくない推測で、けれどもきっと正しいのだろうと思った。 


「北、東、南の三方からイーターが攻めてきます。その数、お、多すぎて正確には把握できませんが、恐らく五百以上はいます」


 斥候の少年の声が聞こえてきた。塀はところどころ破壊され、多方向から攻めてくるイーターたち。逃げ道はほとんど残されていない。


「怯むな。いま動ける者は武器を取れ。病人は本丸へ運び込め。ここを突破されたら俺たちは皆殺しだ。覚悟を決めろ」 


 セイジの力強い声が響き渡った。

 ああ、そうだ。ここを突破されたら、全てがおしまいになる。徹底抗戦。やることはそれだけだ。


 イーターの姿が塀の先で目視できる。ガシャガシャと規則正しく気味の悪い足音を立て、その距離を縮めてくる。

 ナギコは味方が落とした銃を拾い上げると、構えた。射程圏内まであと数十歩といったところだろう。その足が近づいていくる。あと十歩。五歩。三、二、一。


「死にさらせ」 


 引き金を力強く引いた。弾丸が異形の黒い瞳を貫く。さらにもう一発。そのごつごつとした足を破壊する。

 後方のイーターが足を止め、腕をナギコへと向けた。石弾の合図。まだ残っている塀の影に隠れやり過ごす。バン、バン、バンと礫が塀や地面に突き刺さる音が響く。少し遅れて、少年少女の叫び声もする。だが、いまはそこに目を向けている余裕はない。


 音が鳴り止んだ次の瞬間には、半身を塀の影から出し、イーターに照準を合わせ射出する。四連弾ののち、弾切れを起こした。残る敵は目算で百余といったところか。ナイフ一本で戦うには心許ない。

 見れば、崩れた塀の先にはトウカが同じように壊れかけた塀に背中をつけていた。その足下には大きな機関銃が転がっているが、手に持っているのは小銃である。弾切れしているのであろう。目が合うと、トウカは苦笑を浮かべた。トウカの後方やナギコの後方に数名いるが、みな持つ武器は心許ない。

 どうしたものかと逡巡していると、叫び声が聞こえた。


「馬鹿ね、あなたたち。敵が北と東、南から来ているなら西に逃げればいいのよ。せいぜい貴方たちは私の逃げる時間でも稼いで犬死にするといいわ」


 本丸の西側にいたアザミはそう高らかに告げると、何人かの取り巻きを伴って崩れた塀から逃走をはかる。

 たしかに、斥候は西にイーターがいるとは言わなかった。なぜか、三方向から攻め込まれている。抜け道ができるように。


「待て、罠だ」


 その言葉を発した次の瞬間、再び爆音が響き渡った。舞っている土煙が晴れていくと、そこには倒れた何人かの男女の姿があった。ぴくりとも動く気配はない。爆発に巻き込まれ即死したと考えるのが妥当か。


「馬鹿野郎」


 ナギコは悪態を一つつくと、立ち上がりナイフを構えた。


「援護、頼むよ」


 近くにいる少年少女へそう告げる。

 そうして、イーターの群れの中へ飛び込んでいったのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 目覚めると、そこは見知った天井だった。城塞の本丸、そこの病棟である。

 むくりと体を起こすと、ベッドの横の椅子に座るトウカと目が合った。


「あっ、目覚めたみたいだね。よかったあ」


 トウカはにこりと微笑むとナギコを優しく抱きしめた。その瞳にはほんのりと涙が浮かんでいる。

 ナギコは簡単に自身の体の様子を確かめた。頭に痛みがあるが、それ以外大きな損傷もなさそうである。


「ナギコ、イーターの群れに飛び込んでいって、弾き飛ばされて塀に頭を撃って気絶したんだよ」

「私はどれくらい眠っていた?」 

「うーん、三時間くらいかな」


 だいぶ長い時間眠っていたようだ。いま、この空間は他の数名の怪我人たちのうめき声に満ちあふれているが、戦い特有の音は聞こえてこない。


「戦況は?」

「それがね、イーターたち一度退いていったんだ。一進一退の激しい攻防が続いていたから、一度体勢を立て直すって意味かも」


 こちらは背水の陣ということもあり、死に物狂いで抵抗をしていた。陥落手前の要塞を落とすために、一度作戦を立て直すのかもしれない。


「それでね、いまエイジから招集がかかってる」

「うん、分かった。行くよ」 


 きっとそれは非常に大切な話になるだろう。

 ナギコは手早く着替えると、食堂へ向かった。そこには十五名ほどの少年少女の姿があった。


「ああ、諸君。知っての通り、この城塞は陥落寸前である。そこで、これから最後の作戦を執り行う」


 場は静寂に包まれる。みな、エイジの次の言葉が紡がれるのを待っている。


「作戦は敵陣突破。この城塞を放棄し、イーターの包囲網を突破し、戦火のない地域へと足を踏み入れる」


 おおー、と力強い雄叫びが室内をこだました。


「開始は明朝。イーターの体勢が整う前に一気に進軍し突破口を切り開く。今日はささやかながら、倉庫の食料をふんだんに使って宴会を執り行う。よく食べ、しっかりと休み、明日に備えてくれ」


 おお-、と今度は室内が歓喜に湧いたのであった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 翌日の早朝。

 塀の上に立ち双眼鏡を片手にイーターの様子を伺っていたナギコに、声がかかった。

 見ればトウカが立っていた。


「おはよ、トウカ」

「うん、おはよう。昨日はご飯美味しかったね。私もう、一生分の幸せを使い切ってしまった気がするよ」


 えへへと笑う。たしかに昨日のご飯は非常に豪勢だった。みな一様に笑顔を浮かべていた。いい食事は人を幸せにする。


「トウカ、もう一度みんなで集まってご飯を食べよう」

「うん、そうだね」


 トウカは力強く頷いた。

 それから、二人は幾言か交わしたのち、本丸へと向かった。そこにはすでに全員集合していた。中央に座っていたエイジが立ち上がる。


「ああ、諸君。今日までこの戦線で俺に従い戦い続けてくれて本当にありがとう」


 エイジは大きく頭を下げた。

 大人たちが死んだ後、エイジはこの城塞をまとめてきた。彼の功績は非常に大きく、みな信用している。その言葉に涙を流す者もいた。


「俺から皆への要望は一つ。生きてまた逢おう」


 そんな声かけに、それぞれが頷き声を上げた。ここまで来るのに多くの仲間が死んでいった。そうして残っているのがいまのメンバーだ。ここを乗り越え、そしてまた再会を果たす。それが重大な使命である。


 それから、エイジは作戦を語り始めた。

 目指す先はコーベという場所のようだ。外部から時折入る情報によれば、現在休戦協定が守られている地域は複数あるようだ。今回はその中で、一番近隣のコーベを目指していくことになった。

 城塞の西側から突破していくことになるみたいだ。はじめにありったけの弾丸を北、南、東へとぶちまけイーターを攪乱したのち、西へ進軍し包囲網を突破していくという算段である。


 ナギコは先鋒を任されることになった。

 誰よりも先に、イーターの矢面に立ち、道を切り開いていく。それが使命だ。

 陣形はすぐに整えられ、あっという間に作戦実施時間の一分前となった。


「まさか、ここを出る日が来るとはな」


 戦いが始まった日から、ナギコは漠然といつかここで死ぬと思っていた。だから、少しだけ寂しさがあった。


「でも、生き抜きたいな」


 この作戦の生存確率は極めて低いだろう。一人生き残れば御の字といったところか。でも、きっとゼロではない。であれば全力を尽くすのみだ。


 作戦開始。四方八方から銃撃音が鳴り響く。陽動部隊の行動が始まったようだ。それに合わせ、ナギコは一つ結びの髪を揺らしながら走り出した。壊れた塀を飛び越えていく。思えばこの塀に何度も助けられたものだ。


 不意に隙間からイーターが姿を見せた。ナイフ一閃。その胴体を切り裂く。ちょうどイーターの根城だったのであろう。後ろからわらわらと連なっていく。

 ナギコは一旦、まだ残っている塀を盾にしながら銃撃。後ろから援護射撃がある。相手の陣形が崩れたところで再び突撃する。

 そんな進軍を繰り返していくうち、仲間は一人、二人と敵の手に落ちていく。


 ナギコたちの初期の防衛ラインである堀のまわりにたどり着く頃には、後方にトウカの姿しかなかった。


「残ったのは私たちだけ?」

「うん、おそらく。セイジも他の子もみんなやられちゃった」


 ナギコは少しだけ視線を落とす。いろいろな思いがこみ上げてきて、涙がこぼれそうだあった。でも、まだなにも終わっていない。

 凜とした目つきで顔を上げる。


「まずは、あの人型イーターを狩らないとね」


 目の前には宿敵が顔を出す。相手もどうやら相当数を減らしているようで、ついに敵の首領と正対することになった。

 ここを乗り越えねば、堀から先につながる道へはたどり着けない。


「私たちで終わらせよう」


 トウカが小銃を構えた。

 緊迫した空間。まず動いたのは人型イーターだった。その長い腕で二人をなぎ払おうとしてくる。


 躱しざま、トウカがカウンターの銃撃をおみまいした。腕の接合部に命中するが、やや抉れただけでもぐところまではいかない。 


「これまでの子たちに比べて肉厚だなあ」


 その後も攻めて退いての神経をすり減らすような攻防が展開されていく。人型イーターを削っていくが、なかなか致命的な一撃を与えられないでいた。その間に、ナギコとトウカの体力が削られ、傷が増えていく。


「これじゃあ、先にこっちが参りそうだな」


 気づけば後方には小型イーターたちの姿が視認できるようになっていた。


「一か八か、一斉攻撃してみよっか」 


 ぺろっと下を出して、トウカは笑った。


「ま、それしかないみたいだね」


 ナギコは頷くと、人型イーターの右手から突っ込む。トウカは左手から。

 これまでのように攻撃を当てて退くことはしない。ナイフを振り回し、なぎ払う腕をいなしつつ、その懐へ忍び込む。しかし、もう一本の腕で体を弾かれ先に進むことは許されない。


「きゃあ」


 隣から小さな声が漏れた。

 横目でトウカをちらと見る。イーターの攻撃を受け、右足から出血していた。


「あーあ、ここまでかなあ」


 トウカは懐から丸い物体を取り出すと、地面へそっと置いた。

 ナギコは一瞬間の後、それが手榴弾と理解した。そして、その用途も。


「トウカ、だめ」

「生きて、ナギコ。私たちの分も」


 次の瞬間爆音が響き渡った。

 そうして、地面は崩れ、トウカはイーターもろとも堀の下、淀んだ水面へと落下していった。


「トウカーーーーーー」


 ナギコは叫び、身を乗り出して堀の下を見る。そこにトウカの姿はない。

 ぽろぽろと大粒の涙が頬つたり地面へ落ちる。ああ、世界はなんて残酷なのだろう。

 悲しみに暮れるナギコの後ろには、イーターたちに姿があった。立ち止まるわけにはいかない。


 ナギコは走り出した。全身全霊を振り絞って。走りながらちらと横目を町並みが通り過ぎていく。驚くべきことにあちこち荒廃していて、人の気配を感じない。そして、至る所にイーターの姿があった。


 セイジの話ではコーベまでの距離は三十キロ以上。地図を確認するに道はそう難しくない。地図通りの道が作られてはいないが。歩き続ければ二日もしないうちにつくが、このイーターの数々では、そう簡単に突破できまい。ナギコは隠密にイーターたちの死角をくぐり抜けながら、進んでいく。交戦をしながら、夜は野宿をする日々。


 寝ているとき、人はただただ無防備になる。朝、目が覚めると命があることにほっとする。そんな生活を続け、七日目。

 ついにコーベへと到着した。なぜわかったのかといえば、ボロボロの看板が教えてくれたからだ。


 これで、ようやく平和な暮らしができる。そんな淡い期待は視線の先で繰り広げられている交戦の様子を見て消え去った。人間とイーターが争いあっている。人間が少し押されている様子である。


「ああ、結局、そんなものなのか」


 どこもかしこも、戦い戦い。反吐が出る世の中。どこにあるかも分からない安寧の地を探す旅は、まだ終わってくれないみたいだ。

 ナギコはおもむろにナイフを取り出した。

 いま私ができることは一つ。イーターを駆逐すること。そうしてまた、ナギコの新たな戦いが始まったのであった。

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大坂の陣 緋色ザキ @tennensui241

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