第3話 もふもふまみれの異世界だ。さて、もふもふの外はどうなつているのか。

 もふもふだらけの異世界だといったが、ちょっとまて。今の私の状況はおそらく母なる有袋類の袋の中のモフモフまみれになってるだけでまだ外界に出てない。まじでモフモフだらけなのかどうか、まだわからない。


 そうだ。私はまだ名前もなく、もがいているだけの存在なのだ。


 ドイツ語のsein(英語のbeにあたる)はすなわち 「ジン」 (読み方はザインだけど) ジンとかスピリッツとか云ったら精(霊)ですよ、あなた。


 「アルコール分高いお酒ダナ」とか云ってるのは誰だい。私だよ!


 つまり Ich bin Japanar. は直訳すると「私は日本人(男性)です」ってなるけど、


原義は「いる、ある」というよりも


 私は日本人「として存在している」。魁!!男塾の塾長の名乗り並みの自己主張である!!


 つまり、「吾輩は猫である。名前はまだない」ってぇのは、近代日本人が西欧的自意識に目覚めた結果なのである。


 「俺はこの世に猫として存在しているんであって、当面、名前なんてどーでもいいのさ」と世界に向かって宣言してるんだ。


 メロスに至っては初っ端から激怒してるし、「政治はわからぬ」し、単純な男「であった」(ここ重要。war は sein の過去形)さらに作中の時間のほとんどは走ったり泳いだりしてる。元ネタはシラー、さらにギリシャやローマの時代にさかのぼるってぇんだから、西欧的自我のカタマリである。魂である。精髄である。

 走った後に泳ぐなど、もしも自転車とかライフルとかスキーが入ったらえらいことである。ちなみにトライアスロンではスイムが最初である。(もし最後にしたらシ人が出る。)

ひ弱な現代日本人が挑んだら途中で転生してスライムになったりスライム倒したりすること請け合いである。


 昭和になっても「あなたのお名前なんてえの?」「私の名前はカルメンです」というのはとっても日本人的な自意識と思われる。ほぼ均一な小集団のなかで「しらざぁ云ってきかせやしょう」って名乗る、または「近き者は目にも見よ、遠からん者は音に聞け」と云って名乗りをあげる、というのはとっても大陸の東側らしい。


 脱線したな。待たせたな。でも今はとにかく母乳をめがけてもふもふのなかでもがく存在、それが俺。身体が栄養を求める。ロボット格闘ゲームの新作を待てない。


好きに生き、好きなように死ぬ、それが私。

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