第4話

 眩い光を放ち、天空に浮かぶ国――アークソレイユ。


 神に選ばれ、魔法が与えられた人間たちにのみ住むことが許された神聖な領域。まさに天上の楽園。


 この天空国家を統べているのはエスティア教会。


 そして、国と教会を守護する軍隊――天子隊ガーディアン。彼らは神に選ばれた人間という種族の中でも特に優れた者たちによって組織されたアークソレイユの剣であり盾。


 天子隊ガーディアン本部の司令室では今後の方針が伝達されようとしていた。


「申し訳ございませんオリヴィエ隊長。戝に神子様を攫われてしまいました」


「そっか、侵入者逃しちゃったかー」


 オリヴィエは危機感を持っていないような飄々とした態度で報告に耳を傾ける。


「ま、仕方ないかな。ヴァルフォルトの弾は切るし、カノンくんまでのしちゃうんだから誰でも無理だったでしょ」


「そうよ元気だしなさい!あたしなんて、撃たせてももらえなかったんだから!」


「レジーナちゃん、それは自慢することじゃないし、第一キミは神子さまごと蜂の巣にしちゃうでしょうが……ってちょいちょいカノンくんは何してるんだい?」


 カノンは跪いて黒剣を抜刀し、自らの首に刃を押し当てる。


「此度の不始末、我が命を持って返上いたします」


「えーいらないよそんなの。死んだ命に価値なんてないでしょーが」


「ですが!」


「死んだキミに何ができるっていうのさ。せいぜいこの部屋を血で汚して、その後始末させることに人員を割かせることだけじゃない。無駄無駄やめてよね」


「は」


 オリヴィエは合理性の塊のような人間である。利用価値がある限り人間も異種族も使う。そこに生死の倫理観は存在しない。だが逆を言うならば正しく能力を見ているということ。その彼の審美眼は天子隊ガーディアン全員が認めるところ。彼の評価は彼らの自信に繋がる。


「それで彼らは何者?腕が経つ連中だったけどアークソレイユに入れたってことは人間だよね。堕とした奴に足下掬われるなんてね」


 自虐のようにも聞こえる言葉だが表情は小馬鹿にしている者のそれだ。


「はっ。侵入者は天地解放軍レジスタンスを名乗る連中で以前より、アークソレイユに対し下界の人間の保護と異種族の解放を求める通信記録がありました」


「……交渉?」


 オリヴィエは怪訝な顔をして、一笑に臥す。


「バカバカしい。そりゃ相手にされないわけだ。そんなのアークソレイユに何のメリットもない。あー……。なるほどそれで神子か。うん、確かにそのカードがあればテーブルにはつけるかもしれないけど足りなかったね」


 重く、背筋の凍るような声でカノンが問う。


「あのガキ、あの銀髪の子供の名前は?」


「神子様をさらったあの少年はノアと名乗る天地解放軍レジスタンスのリーダーと思われます」


「リーダー……。あの子供が?」


「詳細は不明ですが過去の通信記録の代表名と下界拠点の報告とを重ねるとそう推測されます。なんでも魔法が通じず相当な実力があるようです。出自や経歴は一切不明なことから落伍者の2世以降かと」


「下界で生まれた人間には出生記録がない。病院もないから治療記録もない。やれやれ鼠の巣穴は奥が深くて複雑そうだね」


「いえ、名前さえわかれば十分……。奴の顔はしかと脳裏に焼き付いています。ノア……。必ず貴様を裁いてやる」


 闘志がもはや殺気にとなり周囲を威圧する。並の兵士らは怯えて、装備している金属類がカチャカチャと音を立てる。


「オリヴィエ隊長!今すぐ私に下界へ降りる許可を!」


「うん、まずその殺気をしまおうか。それに頭に血が上ったままのバカを行かせるのもなぁ……」


「なにを!今頃神子様は戝に囚われ心身を傷つかれているというのに」


 オリヴィエはカノンの前に一枚の紙を出す。それはエスティア教会からの正式な命令書。天子隊ガーディアンは如何な命令が書かれていようとそれを実行するのみ。


 だがその命令書の内容を一読したカノンは手を震わせ激昂する。


「どういうことですかこれは!?」


「何て命令?」


 レジーナが馴々しくカノンの背に張り付き命令書を盗み見る。


「神子様追わなくていいの?」


「ああ、『杖』はこちらにあるんだ。次の『神子』に役割が回るだけ。公式にはカノンくんが戝を盗伐して神子様を取り返したことにするみたいだね。まぁそんなことしなくても五年に一度しか姿を見せない子供なんだ多少変わっても誰も気づかないさ」


「それもそうね」


 現在アークソレイユは天地解放軍レジスタンスによる爆弾テロにより混乱の渦中にある。異種族たちを支配してきてから今日に至るまでこの国はそういった事態に立ち会ったことはなかった。要するに人間がかつては持っていたであろう警戒心や危機感といったものを思い出し、恐怖しているのだ。


 そんな中で彼らの拠り所となるのは、国のトップであるエスティア教会だ。エスティア教会の誇る天子隊ガーディアンは武の才の集うエリート集団。神子が攫われた今、人々は彼らを頼る。


 したがって教会は下界に兵力を割かず、国内の混乱を鎮めることを最優先とした。


「何かの間違いではないのですか!?」


「僕が上からの命令間違うわけないだろ」


「へぇ……予想外……」


 最年少で天子隊ガーディアンとなったヴァルフォルトはカノンやレジーナと違い半歩後ろから淡白な反応をする。


「教会の象徴でしょ。攫われたまんまでいいの?」


「そうよ!そうよ!いつもなら根暗片眼鏡モノクル司教が不敬だ、神罰だって言うじゃない!」


「キミは闘いたいだけでしょ……」


「あったりまえじゃない!なんのための天子隊ガーディアンよ!」


「僕たちはアークソレイユの『守護者』だよ。まぁの意図なんて手足下っ端が知るわけないね。僕らはただの命令に従うだけ。他の仕事だってあるんだし仕事が増えないだけいいだろ」


「ば、ばかな……!」


 その上の命令に対して、カノンただ一人だけが難色を示す。


「それもそっか……。爆弾被害に不法侵入対策、他にもやることあるしね」


 淡々と言うヴァルフォルトの襟をカノンは掴み上げる。


「何を呑気なことを!神子様を下界の膿どもに穢されたままで良いと言うのか!?」


「離しなさいカノンくん」


 オリヴィエの声にカノン以上の殺気が伴った威圧がこもる。


「仕方ないだろ。それが教会の命令なんだから」


 奥歯を噛み締めるカノンに再度忠告する。


「忘れちゃいけないよ。僕らは教会に生かされてる。生物としての尊厳を守る立派な衣服、生きるための食事、気候を敵としないいえ、娯楽に興じる給料、…………命さえも……」


 それでもカノンは教会に直接交渉を願い出る。


 全ては下界で苦痛を味わっているであろう神子のため。


 今も下界で一人、叛徒に怯えているだろうと彼は気が気ではなかった。


 しかしその要求は通らない。


「これ以上面倒ごと増やさないでよ。それに……たまには僕を敬ってよね。毎日上と下とで頭も胃も痛いんだから。特にカノンくん。神子様攫われた罰がないの僕のおかげなんだからね?これ以上藪を突っつかないで」


「なぜ私を……私より――」


「僕には神子さまより君の方が必要だからね」


「どうして!?」


「僕が動かせる手駒だからに決まってるだろう」


 頭に血が上ったカノンはオリヴィエの襟を掴み上げ、拳を引く。


「やめなさいヴァル」


 ヴァルフォルトがカノンの頭に銃の照準を定める。


「カノンくんも。これは仕方ないことなんだよ」


 カノンの行き場を失った拳は感情と共にオリヴィエの執務机を砕いた。


「……っ失礼します」


 カノンは司令室の扉を叩きつけるように出て行く。


「よろしいのですか?」


「いいよ」


 オリヴィエは襟を正してから魔法で執務机を元に戻す。


「カノンのあの顔絶対納得なんてしてないよ」


「オレも不思議……神子を取り戻すと思ってた……まぁどうでもいいことだけどさ」


「そうだね僕も同じ。でもねあの時、神子救出にこだわっていたクロヴィス司教がこう言ったんだ『神子は神の袂にいてこそ神子たりえる』ってね」


◇◇◇


 地上ではかつて人間ではない異種族たちがそれぞれ、文明や社会を築き、繁栄を謳歌していた。


 それは楽園とも言える幸福。仲間同士での少々の諍いはあっても血を流すようなものはなかった。


 しかし、その楽園はとてもちっぽけなもの。集団が大きくなるにつれて食物や土地、資源を求めて彼らは世界を広げた。そして異種族同士が出会いそれぞれの守るべきもののために戦った。


 ある時は手を組み、ある時は裏切り、異種間の戦争は激化の一途を辿り、いつしか火種となった大地は不毛の地となり、神に見放された者たちによって小さな集落が作られるだけの土地となっていた。


 地上で最も滅びに近い死の都ネクロポリス――ファシル。


 獣も土も痩せ細り、作物は実らない。


 ここには死神が棲まうと言われている。


 左右非対称の角を持つ鬼人族オーガの青年は自身の体躯の五倍はある牛と人、両方の姿を持つ異形、闘牛族ミノタウロスを引きずる。


「よぉ、帰ったかオルガ」


「…………」


 鬼人族オーガの青年は無言で闘牛族ミノタウロスを投げ飛ばす。


闘牛族ミノタウロスか!こんな大物さすがオルガだ!」


 ジルは大鎌を自在に振り回し、闘牛族ミノタウロスは綺麗に解体する。


「ミア!オルガが闘牛族ミノタウロスを狩ってきたぞ」


 ジルが呼ぶと岩陰から継ぎ接ぎだらけの人形を抱えたミアが顔をだしトコトコと近づく。


「すごいねオルガお兄ちゃん!これでしばらく食べ物にも困らないね」


「……あぁ」


 オルガは無愛想に答えるがそれでも彼女は笑顔になる。


 早速三人は火を囲んで今しがた解体した肉を食べる。


「お兄ちゃん、墜ち人の人たち天空で神子を攫ったみたい。……みんなも見てたって」


 ミアの頭を青年が優しく撫でる。


「やっぱりな。ありがとなミア」


「何の話だ……?」


「オルガが留守にしてる間に堕ち人レジスタンスがアークソレイユから神子を攫ったんだ」


 青年は不敵に笑う。


「面白くなりそうだ」


 ミアはコテンと青年に頭を預ける。


「そうだねお兄ちゃん」


「オルガ、ミア、堕ち人レジスタンスから神子を奪いに行くぞ。そしてアークソレイユから全てを奪ってやろう」

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理想郷 文月 夜兎 @Ray_07

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