――ああ、うるさい。

廊下に置かれている電話が、心地よい夢を見ていた脳を強引に叩いてくる。内容も吹き飛ぶ高音の不愉快さに、思わず舌打ちした。

目を開けると部屋は暗く、しんと澄んでいて時計を見なくても深夜だとわかった。

こんな時間に電話をかけてくる人間は、知り合いに一人いる間抜けか、営業時間なんておかまいなしのお粗末なお客さんだろう。

無視をしてもいいがこうもうるさいと眠れない。

目を覚まさせてくれたお礼に文句の一つくらいは言ってやろうか。

足元で眠る相方を起こさないよう、ぬくもりの残る敷布団からなめくじのようにずるずると這い出て、部屋の襖を開けた。

吐く息は白く、床につく足の裏は冷たい。もうすぐ四月だというのに、冬の名残りがしつこく残っていた。

広縁（ひろえん）に面した廊下を進み、角の部屋を曲がって、けたたましく鳴る黒い電話を手に取る。

「――はい、利他（りた）です。営業時間外に何かご用でしょうか？ たとえお客様に用事があったとしても、夜も深い時間ですし、そもそも眠たいので依頼内容が頭に入る気がいたしません。ということでおやすみなさい」

そのまま受話器を置こうとしたとき『遅くにごめんねえ』と、聞き覚えのある声が返ってきた。

のんびりした口調……それに、この声は。

同じ村に住む、魚屋の銀三じいさまだ。

毎朝、自分の船で海に出て、太陽が昇る前に漁を始める元気なおじいちゃん。

そんなじいさまは今、海に出ている時間のはずだ。それに、今までこんな夜中に電話をかけてきたことがない。

……嫌な予感しかしない。

急な電話で苛ついていたことを謝罪し、話を聞く姿勢に入ることにした。

『今、ワタツミ街の港にいるんだけどね……霜月さん家が火事になっているみたいで』

「火事？」

声が裏返った。冷たい汗が背中を伝い、手のひらがじっとりと湿る。

『そう。それはもう、ひどい有様なんだ』

「あの霜月先生の？」と尋ねるとじいさまは肯定した。

霜月清輝。

魔導士界じゃ知らない人はいない、有名な魔法学者だ。学者でありながら非常勤講師も務めており、俺が学生のときには先生の授業を受けたことがある。

――先生の研究所兼自宅は、ワタツミ街の隅の離島にあり、船を使うか飛んでいくかしか移動手段がないので、一般人はあまり近づかない。いや、近づけないと言うべきか。

重要な施設だから保安対策は取られているだろうし、侵入できる者はほとんどいないだろう。

研究所が燃えているってことは……誰かが放火したわけじゃなく、実験の失敗か火の取り扱いが原因かな。

壁に背中を預け、冷えた足を擦り合わせる。

まあでも、知り合いの家が燃えていると言われたら、さすがに眠気は消えてしまった。