第8話ゼロから、イチに届かず

【夜・廃ビル】


 


逃げた。

ただ、それだけだった。


神谷零(当時:No.09)は、少女の手を引いて、

真夜中のビルの間を駆け抜けていた。


 


銃声、追手の足音、通信のノイズ。

冷たいアスファルトの感触と、少女の温度だけが現実だった。


 

「……息、切れてるじゃん。殺し屋のくせに」


「お前のせいだ。お前がいなけりゃ、俺はまだ“ゼロ”のままだった」


「そうじゃなきゃ、意味ないよ」


 


 


【廃墟・屋上】


 


二人は、人気のない屋上で一晩を過ごした。


「ねえ、“ゼロ”って名前、捨てなよ」


「じゃあ……何て呼ぶ?」


「“イチ”ってのはどう? ゼロの次だし、スタート地点って感じがするじゃん」


「……バカみたいだな」


少女:「でしょ。そういうの、いいじゃん」


 


その夜だけ、神谷零は夢を見た。


知らない街、知らない制服、知らない日常。

その隣に、“彼女”がいた。


 


 


【翌朝】


 


音がした。


銃声。通信音。

そして、訓練施設の刺客たち。


 


「——逃げて」


「いや、お前も一緒に」


「私はもう無理。……肩、撃たれた」


「ふざけんな、お前を置いて——」


 


「“イチ”になれ。ゼロのままでいないで。

 ねぇ、私が死んだら、ちゃんと泣いてくれる?」


 


「……殺し屋は泣かない」


「じゃあ“元殺し屋”なら?」


 


 


零は、彼女の手を強く握った。だが。


背後から放たれた一発の銃弾が、

彼女の体を貫いた。


 


彼は叫ばなかった。

泣かなかった。

ただ、黙って彼女を背負い、最後まで走った。


 


彼女の命の灯が消える、その瞬間まで。


 


 


【現在・神谷の部屋】


 


夜。

神谷零は、机の引き出しの中にある小さな“紙片”を見つめていた。


そこには、昔の血が染み込んだメモが貼られている。


──「イチになれ」


少女が最後に残した言葉。


 


神谷:(俺は、ゼロからイチにはなれなかった。でも……)


「せめて、“普通”にはなってやるよ」


 


たとえ、誰にも知られずに終わっても。

それが、彼女との約束だった。


 


 


> ——第8話・過去編②、完。


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