第10話


「ふぎゃあ!」


 ベッドに倒れ込んだ瞬間、冷たくて柔らかいものが身体に触れ、それと同時に昼に聞いたような悲鳴が部屋中に響き渡る。


 慌てて身体を起こすと、ベッドに入る前はいなかった七子ちゃんが仰向けで横たわっており、恐ろしいものを見たかのように目を見開きながら私と目を合わせる。


「七子ちゃん、急に現れないでよ、もう」

「多摩川さん、瑠琉と比べ物にならないくらい重いです。死ぬかと思いました」

「いや、死んでるでしょ」

「そうでした」


 ありふれた幽霊ボケをかます七子ちゃんに覆い被さり、じっと目を見つめてから乱れた前髪を左右の耳にかけてあげた。


「多摩川さん、さっきなんか言おうとしませんでした?」


 さっき、というのはきっと昼に七子ちゃんが消える直前のこと。


「好きって言おうとしたの」


 今この部屋には私と七子ちゃんの二人だけ。

 抵抗せず見つめてくる美少女幽霊ちゃんを目の前にして、もう告白する以外に選択肢は存在しない。


「多摩川さん、正気ですか?幽霊ですよ私」

「知ってる」


 そっと隣に移動し添い寝すると、七子ちゃんが私から逃げようとして起き上がろうとしたため、私はすかさず捕まえぎゅっと抱き寄せた。


 顔と顔が接近した状態で、驚き目をまん丸くする七子ちゃんと見つめ合う。

 それでも私は、冷静を装って気になっていたことを尋ねた。


「七子ちゃんはどうして消えちゃったの?」

「昼になったら実体化するための霊力が無くなるので」


 霊力……!

 こんな中二病のような言葉が10歳の少女の口から出てくるとは驚きだ。


「そっかぁ。じゃあ、夜は一緒に寝られるね」

「変なことしないでくださいよ」

「しないって~。瑠琉ちゃんじゃあるまいし」

「瑠琉は異常です。多摩川さんより変態ですから」


 やっぱりあの時、布団の中では……。


 いいや、良くない。


 私はただ七子ちゃんと一緒に眠りたいだけ。嫌われないために余計な煩悩は捨てなくてはいけない。


「寝よっか」

「早いですね。まだ21時ですよ?」


 ふと本棚の上にあるデジタル時計を見ると、21:10と表示が出ていた。


「良いの。七子ちゃんとならいくらでも寝られるから」

「そうですか」


 枕元に置いたリモコンで部屋の照明を消し、布団を掛けてからも相変わらず抵抗する気配のない七子ちゃんを抱き締めながら目を瞑った。



 外の明るさで目を覚まし、枕元に置いたスマホで時間を確かめる。

 6時を過ぎた頃で、自分がどれだけ眠っていたかを実感しながらぼーっと天井を見上げ、ふと隣に顔を向けた。


 そこに七子ちゃんの姿は無い。

 眠る直前まで腕の中にあった冷たくて柔らかい感触が未だに忘れられず、思わず溜息が漏れる。


「七子ちゃん……」


 私は割と本気であの美少女幽霊ちゃんに恋心を抱いているのかもしれない。

 想いを伝えた翌朝にこうして消えてしまったせいか、不意に悲しみが込み上げてくるのが分かり、目元から溢れ出す涙を右腕で拭うように隠した。


「多摩川さん、どうして泣いてるんですか?」

「七子ちゃん!?」


 足元から声が聞こえ慌てて起き上がると、ベッドの足元で足を崩して座る七子ちゃんが、壁に寄り掛かりながら単行本を開き、私のことを心配そうに見つめていた。


「いなくなったのかと思って」

「いなくなりませんよ。多摩川さんが寝た後、ずっと漫画読んでました」


 あの暗い中で……?そう訊きそうになったが、幽霊だから読めるという言い訳が返ってくることを察し、何も言わず隣へと移動する。


「なに読んでるの?」


 ちらっと読んでいるページを見ると、ヒロイン女性たちが肌を重ね合うシーンが描かれていて、明らかに七子ちゃんが見るべきではないものだと分かる。

 それに、これは私がまだ読まずに取っておいた作品。


 七子ちゃんがこういう作品を見てしまったという焦りより、楽しみに取っておいた作品を勝手に先に読まれた上にネタバレ全開なページを見せられ、私はそのことに対する怒りの方が勝ってしまった。


「ちょっと、それ勝手に読まないでよ!」


 私は咄嗟に七子ちゃんの手からその単行本を奪い取る。


「あ!まだ読んでる途中なのに!」


 取り返えそうと手を伸ばしてくる七子ちゃんから必死で死守しながら、片手で七子ちゃんの肩を掴んだ。腕の長さの問題で諦めた七子ちゃんは、少し後ろに下がってちょこんと正座をして私のことを上目遣いで睨みつけてくる。


「ひどいです」

「これは七子ちゃんが見る漫画じゃないからだめ!」

「面白かったのに。ゆうって女の子がはるって女の子の家に遊びに行って、帰り際に大雨が降って来たからと泊まる流れになってそれで……」

「ストップストップ!」

「早く続きを見せてください」

「だめだって言ってるでしょ!もう漫画も全部禁止!」

「どうしてですか!」

「勝手に読んだ罰!」

「最低です。もう多摩川さんなんて知りません」


 七子ちゃんはそこで姿を消してしまった。


 私は手に持った単行本の表紙を見ながら、深く溜息を吐く。


 その表紙には、4と書かれており、七子ちゃんがいたところに3巻までが山積みになっていた。


「そんなに面白かったんだ」


 表紙に描かれた、ゆうというヒロインと、はる、というヒロイン二人をそっと撫でていると、じわじわと後悔が湧き上がる。


「椎菜が悪いね」


 ふとテーブルの方から声が聞こえ、鼻を啜りながらそれに返した。


「だって、私まだ読んでなかったんだもん」

「だからっていきなり取り上げて漫画全部禁止とか、普通は無いと思うな~」

「……うん」


 カッとなってしまった私が悪い。それに、好きだったはずの女の子にあそこまで言ってしまうなんて、私は最低だ。


 ……そうは思うのに、4巻の展開を知らされてしまったことが未だに許せない。


「七子ちゃんも悪いから」

「早く仲直りしてね」

「……」


 謝りたいが、謝ってもほしい。

 けれど、そもそも出てきてくれないと何も始まらない。


 私がベッドの上で俯き考え込んでいると、スタスタと瑠琉ちゃんがやって来る。


「椎菜、朝ご飯」

「そうだね」


 もうこうなれば自棄だ。

 七子ちゃんが出てくるまで、瑠琉ちゃんを愛でまくってやる。


 そう心に決め、ひとまず単行本を全て棚にしまいベッドを降りる。

 傍で佇む瑠琉ちゃんをぎゅっと抱き締めてから、キッチンへ向かい朝ご飯の準備を始めた。

 

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