第27章 創業の準備、そして最初の壁
ベンチャー企業の設立を決意した結衣と悠人にとって、未来は希望に満ちていた。しかし、同時に、その道のりが決して平坦ではないことも理解していた。大学の教授室を出て以来、二人の頭の中は、AI研究だけでなく、会社の設立、資金調達、事業計画といった、これまで全く縁のなかった言葉で埋め尽くされていた。
「悠人、会社を作るって、具体的に何をすればいいんだろう…? 法務局に行くとか、定款を作るとか…?」
ある日の放課後、二人は大学近くのカフェで、ノートPCを広げ、調べ物をしていた。結衣が、インターネットで検索した情報を読み上げると、悠人は、難しそうな顔で頷いた。
「そうだね。まずは、会社の種類を決めて、登記が必要だ。株式会社にするか、合同会社にするか…。あと、資本金も必要になる」
悠人は、普段のAI研究とは異なる、まるで未知のOSのインストール手順を調べるかのような真剣な表情で、法律や会計に関する情報を読み込んでいた。彼は、どんな分野の知識でも、一度集中すれば、驚くべき速さで吸収していく。その姿に、結衣は改めて彼の才能を感じた。
しかし、創業の準備は、彼らが想像していた以上に、複雑で多岐にわたるものだった。特に、最初にして最大の壁となったのは、資金調達だった。
「悠人、大学のベンチャー支援プログラム、申請してみたんだけど、競争率がすごく高いみたい…」
結衣が、送られてきたメールを見ながら、肩を落とした。大学からの支援は、研究室の設備や、共同研究の費用としては十分だったが、会社を設立し、初期の開発費用や、人材を雇うための資金としては、到底足りなかった。
悠人もまた、いくつか投資家やベンチャーキャピタルにアプローチしてみたものの、具体的な成果には結びついていなかった。
「僕たちのAIは、まだ研究段階だから、すぐには収益に繋がらないって言われる。実績がないから、なかなか信頼してもらえないみたいだね」
彼の言葉は、結衣の心に、重くのしかかった。彼らが開発している感情認識AIは、未来に大きな可能性を秘めていると信じている。しかし、その可能性を、他者に理解してもらい、投資してもらうことの難しさを痛感した。
焦りを感じ始めた結衣は、寝不足の日が続いていた。深夜まで資料を読み込み、事業計画書を修正する。しかし、具体的な資金の見通しが立たず、彼女の心には、次第に不安が募っていった。
そんなある夜、研究室で一人、PCに向かっていた結衣の元に、悠人がやってきた。彼の顔にも、疲労の色が浮かんでいた。
「結衣、無理しすぎだよ。少し休もう」
悠人が、結衣の隣に座り、彼女のPCの画面を覗き込んだ。画面には、財務諸表や資金繰りに関する、見慣れない表が並んでいた。
「ごめん…でも、何かできることを、少しでも早く見つけたくて…」
結衣が、顔を伏せながら言うと、悠人は、優しく結衣の頭を撫でた。
「焦る気持ちは分かるよ。でも、無理して体調を崩したら元も子もない。僕たちのAIは、そんなに簡単に諦めるようなものじゃないだろう?」
彼の言葉に、結衣はハッとした。彼は、いつも冷静で、どんな時も、彼女を支えてくれる。
「悠人…ごめん…私、少し焦りすぎてたかもしれない」
結衣が顔を上げると、悠人は、優しく微笑んだ。
「大丈夫。僕たちは二人で一つだから。どんな壁も、一緒に乗り越えていこう」
彼の言葉は、結衣の心に、温かい光を灯した。そうだ、一人ではない。彼がそばにいてくれる。その事実が、何よりも結衣を強くした。
翌日、二人は、改めて資金調達の方法について、徹底的に議論した。彼らは、これまでの研究成果をまとめた資料をさらに具体化し、より投資家の興味を引くような事業計画書を作成し直すことにした。特に、彼らの感情認識AIが、社会にどのようなインパクトを与えるのか、具体的なユースケースを盛り込むことに力を入れた。
「悠人、この感情認識AIは、心のケアが必要な人にとって、本当に大きな支えになるはずだよね。例えば、孤独を感じている高齢者の方に、AIが温かい言葉を投げかけることで、心の健康を保つサポートができるとか」
結衣が、事業計画書に盛り込むべき具体的な例を挙げると、悠人も、そのアイデアに賛同した。
「そうだね。僕たちが目指しているのは、ただ高性能なAIを作るだけじゃない。AIが、人間の感情を理解し、共感することで、社会に貢献できるような、そんな未来を創ることだから。そのビジョンを、もっと明確に伝える必要がある」
彼らは、徹夜で事業計画書を練り直した。AIの技術的な側面だけでなく、社会的な意義、そして、彼らの情熱を伝えることに重点を置いた。そして、完成した事業計画書は、以前よりも、はるかに説得力のあるものになっていた。
さらに、彼らは、大学のキャリアセンターに相談し、ベンチャー企業の立ち上げに関するセミナーに参加した。そこでは、経営の専門家や、実際にベンチャー企業を立ち上げた起業家たちの話を聞くことができた。彼らの経験談は、結衣と悠人にとって、大きな学びとなった。
「資金調達は、マラソンと同じで、すぐに結果が出なくても、諦めずに走り続けることが大切だ」
「事業計画は、一度作ったら終わりじゃない。常に市場のニーズに合わせて、柔軟に修正していく必要がある」
セミナーで得た知識は、彼らにとって、まるで新しいLinuxのコマンドを学んだかのように、事業立ち上げという未知の世界を理解するための、重要な手がかりとなった。
そして、彼らは、とあるベンチャーキャピタルとの面談の機会を得た。そこは、AI技術に特化した投資を行っている、業界でも有名な会社だった。結衣と悠人は、全身全霊を込めて、自分たちの研究と、事業への情熱をプレゼンテーションした。
プレゼンテーション中、結衣は、自分たちの感情認識AIが、社会にどんな貢献ができるのか、心のケアの現場で、どのように人々の支えになれるのか、熱く語った。彼女の言葉は、技術的な説明だけでなく、AIに込められた「人間への優しさ」を、聞く者に強く訴えかけた。
悠人は、結衣のプレゼンテーションを、いつも通りの冷静な表情で見守っていたが、その瞳の奥には、結衣への深い信頼と、そして彼らの研究への確信が宿っていた。
プレゼンテーションを終え、質疑応答の時間に移る。投資家たちは、彼らの技術的な側面だけでなく、ビジネスモデルや、市場性について、鋭い質問を投げかけてきた。悠人は、全ての質問に、論理的に、そして的確に答えていった。
面談が終わり、二人は、緊張した面持ちで結果を待った。数日後、彼らの元に、そのベンチャーキャピタルからの連絡が届いた。
結果は、**「投資決定」**だった。
そのメールを見た瞬間、結衣は思わず叫び声を上げた。悠人もまた、普段は感情を表に出さない彼が、珍しく満面の笑みを浮かべていた。
「やったね、悠人! できたよ!」
結衣は、喜びのあまり、悠人に抱きついた。彼の腕の中で、結衣は、未来への大きな一歩を踏み出したことを実感していた。
最初の、そして最大の壁だった資金調達を乗り越え、彼らのベンチャー企業設立は、いよいよ本格的に動き出す。それは、Linuxという共通の言語と、AIという無限の可能性を胸に、彼らが共に創り出す、壮大な「オープンソースプロジェクト」の始まりだった。結衣と悠人、二人の未来は、これから、さらに大きく、そして、希望に満ちたものとなるだろう。
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