第14章 Kernel_Panicの正体、そして膨らむ感情
結衣は、目の前のディスプレイに映し出された匿名掲示板のスレッドを、信じられない思いで見つめていた。ハンドルネーム「Kernel_Panic」と、そこに綴られた、あまりにも自分たちの状況と一致する告白。田中悠人という、彼女が知る人物が、まさかあの「Linuxの神様」だったなんて。
心臓は、まるで暴走したPCのファンが唸るように、激しく鳴り響いていた。身体の震えが止まらない。彼女は、ゆっくりと椅子にもたれかかり、大きく息を吸い込んだ。頭の中は、興奮と、驚きと、そして、これまで気づかなかったことへの、複雑な感情でぐちゃぐちゃになっていた。
「嘘でしょ…田中くんが…Kernel_Panic…」
結衣は、何度もそう呟いた。彼の投稿には、彼女が田中悠人から告白された時の言葉と寸分違わない内容が書かれていた。彼の心の中には、あんなにも深く、そして純粋な想いが秘められていたのか。結衣は、彼が普段見せる無口でクールな姿からは想像もできない、彼の内面の情熱に触れ、胸が熱くなった。
特に、彼が自分のことを「Linuxの神様」と呼んでいたという一文は、結衣の心に深く響いた。彼女にとって、Kernel_Panicは、困った時に的確な解決策を与えてくれる、文字通りの「神様」だった。その神様が、実は、自分のことをそう呼んでくれていたなんて。それは、彼女にとって、予想外の喜びであり、同時に、これまで彼に抱いていた尊敬の念が、より個人的で、温かい感情へと変化していく瞬間だった。
結衣は、彼の投稿を読み進めるうちに、彼の不安な気持ちが痛いほど伝わってきた。「彼女は僕のことを、ただの『PC仲間』としか思っていないかもしれません」。その言葉に、結衣は胸が締め付けられた。自分が、彼の告白に対して何も答えられなかったことが、彼をどれほど苦しめていたのか。彼女は、自分の鈍感さに、申し訳なさでいっぱいになった。
彼の最後の言葉、「こんな僕の気持ちは、重いでしょうか?」という問いは、結衣の心に直接語りかけてくるようだった。
「いいえ、重くないよ、田中くん…」
結衣は、思わずディスプレイに向かって呟いた。彼の純粋で、一途な想いは、決して重いものではなかった。むしろ、その告白は、結衣自身の心に、これまで触れられなかった「愛」という名の新しいディレクトリを作成し、そこに感情のファイルを展開しようとしているかのようだった。
これまでの彼とのやり取りが、走馬灯のように結衣の脳裏を駆け巡った。
初めてLinux Mintを使い始めた頃、ターミナルでエラーが出て途方に暮れていた時に、Kernel_Panicから送られてきた的確なアドバイス。あの時、彼女は彼を「神様」だと本気で思った。
文化祭の音響制作で、彼女が困っていると、すぐに助けに駆けつけてくれた田中悠人。彼の正確な指示と、PCを操る手つきは、まさに「Linuxの達人」と呼ぶにふさわしかった。
そして、文化祭前夜の、あの絶望的なデータ消失の危機。田中悠人が、まるで魔法のように全てのデータを復元してくれた時、彼女は感動のあまり、彼の「魔法使いみたい!」と叫び、反射的に彼の手に触れた。あの時の、彼の顔がほんのり赤くなったのを見た時、結衣の胸には、かすかな、しかし確かな感情が芽生えていた。
あのチャットでの会話。「田中くんって、どうしてそんなにLinuxに詳しいの?」「私、田中くんのこと、Linuxの神様って呼んでるんだ」。あの時、彼は「神様なんて、大袈裟だよ。でも、ありがとう」と返信していた。今思えば、あの「ありがとう」には、結衣が想像していた以上の、深い喜びと、そして彼の秘めた想いが込められていたのだ。
全てのピースが、カチリと音を立ててはまっていく。点と点が線で繋がり、これまで漠然としていた田中悠人という存在が、結衣の心の中で、明確な、そしてかけがえのないものへと変貌していった。
彼の投稿は、彼がどれほど結衣のことを真剣に見ていたか、彼女の小さな変化に気づき、彼女の努力を認め、そして、彼女の笑顔を求めていたかを示していた。彼が、彼女にとっての「Linuxの神様」だったように、彼にとっても、結衣は特別な存在だったのだ。
結衣は、自分の顔が熱くなるのを感じながら、心の中で何度も彼に語りかけた。
「ごめんね、田中くん。私、全然気づいてなくて…」
そして、彼の投稿を読み進めるうちに、彼女は、彼が単に「PCが詳しい人」なのではなく、とても優しくて、思慮深く、そして、少し不器用なほどに純粋な人なのだと改めて知った。彼は、自分の感情をストレートに表現するのが苦手だからこそ、匿名掲示板という場所で、心の内を吐露していたのかもしれない。
この「奇妙な一致」は、結衣にとって、まさに「強制的な再起動(Kernel_Panic)」だった。これまで、PCの論理で物事を考え、感情を後回しにしてきた結衣の心に、今、紛れもない「愛」という名の新しいプログラムが、問答無用でインストールされようとしていた。それは、彼女の人生に、これまでとは違う、新たな「起動プロセス」が始まったことを意味していた。
彼女のLinux Mintのデスクトップは、いつも通り静かにそこにあり、彼女の混乱した心を見守っているかのようだった。しかし、もう、ただのOSではない。それは、彼女と、彼女の心を揺り動かす存在とを繋ぐ、大切な架け橋なのだと、結衣は理解した。
結衣は、スマートフォンを手に取り、田中悠人とのチャット画面を開いた。彼の最新のメッセージは、まだ「そっか」で止まっている。彼の投稿を読んだ今、その一言の中に込められた、彼の不安と、それでも彼女を待つ優しさが、結衣の心に痛いほど伝わってきた。
もう、迷う必要はない。彼女の心の中には、確かな答えが生まれていた。それは、田中悠人への、深い信頼と、尊敬、そして、温かく、甘い「恋」という感情だった。
結衣は、次の日、彼と会うのが、少しだけ怖く、そして、何よりも楽しみだと感じていた。彼女の心は、新しい感情の波に乗り、次なる「コマンド」の入力を待っていた。
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