第5章 広がる世界

第19話 空色のベスト

 まだ陽が昇りきる前の、しんと静まり返った早朝。


 街の空はうっすらと青に染まり始め、窓の外には薄靄がたなびいていた。

 ラドリーの部屋の時計が、ピッと控えめに六時を告げたその瞬間——


 ――ピンポーン!


「来た来た来たぁ——っ!!」


 チャイムの音に反応して、ソラがブランケットの中から勢いよく飛び出した。

 ふわっとしっぽが跳ね、軽やかに床を蹴って玄関へ一直線。

 小さな足音がぱたぱたと家中に響き渡る。


「ソ・ラ・イ・ロ・ベスト~~~っっ!!」


 眠気とともに背中に重くのしかかる朝の空気の中、ひときわ軽やかな声が響いていた。

 部屋の奥からうめき声が聞こえる。


「……うるせぇ、朝っぱらから何の騒ぎだ……」


 寝起きのラドリーが、寝癖のついた髪のままよろよろと玄関へ現れる。

 片目を細めてドアを睨みながら、片手でゆっくりと開けると、そこには無機質な配達ドローンがホバリングしていた。


「お届け物です。ご確認ください」


 機械的な声と共に、ドローンの腹部からパッケージが差し出される。


「……昨日の夜に注文したやつがもう届くって、早すぎんだろ……」


 ラドリーは半ば呆れながらも受け取り、風を残して去っていくドローンを見送る。

 その足元では、ソラが小刻みに足踏みしながらそわそわしていた。


「ねえねえ! 開けていい? いい? 開けるよ!? いや、開けて!!」


「はいはい、ちょっと待て。落ち着けっての……」


 封を開けると、中からふわりとした水色の布地が現れた。


 まるで空の色をそのまま閉じ込めたような、柔らかなダウンベスト。

 猫型の体にぴったりのサイズで、細部には小さな銀色の星の刺繍まで施されている。


「わああ……! やっぱり、かっこいいぃぃ!!」


 ソラの目がぱっと輝く。

 その顔はまるで朝日を浴びた宝石のように、きらきらと光を跳ね返していた。


 ラドリーは軽くため息を吐きながらも、しゃがんでベストを広げる。


「ほら、前足入れてみろ。じっとな」


「うん! じっとする! するけど、うれしくて動いちゃうかも!」


「じっと、って言ってんだろ……よし。こっちの足、そっちも……っと」


 ラドリーの無骨な指が、意外と丁寧にベストのボタンを留めていく。

 最後に胸元の留め具を「カチッ」と締めると、ソラはその場でくるりと一回転。

 しっぽをぶんぶんと振り、ぴょんっと軽くジャンプしてポーズを決めた。


「どう!? どう!? 似合う!? 似合うよね!? 絶対、似合ってるよね!! ボク、これずっと着てたいっ!!」


「……まあ、似合ってるな。ちゃんと、似合ってる」


「わーいっ!! やっぱりこの色、ボクの目の色とぴったりだもん! 空色コンビだよねっ!」


「自分で言うなよ……ったく」


「じゃーんぷ!」


 ソラは勢いよくベッドに飛び乗ると、くるん、ぽふっ、くるん、ぽふっとステップを踏んで踊り始める。

 楽しげに鼻歌を口ずさみながら、小さな足取りで布団の上を軽やかに舞う。


「空のいろ~ しあわせのいろ~ ふーわふわふわ~♪ はちみつ味の~ そ~らいろベスト~~~♪」


「はちみつは関係ねぇだろ……なんで味つけてんだ……」


 ラドリーはぼやきながらも、ソラの無邪気な姿に表情を緩めた。


「今日のお散歩はこれで行こうね! 見せびらかすの!」


「誰に見せんだよ。こんな早朝に……」


「世界にだよっ!!」


 くるくると回りながら、空色のベストを広げるように両腕を大きく広げるソラ。

 その姿はまるで、空そのものが跳ねているかのようだった。


 ラドリーはふと小さく笑う。


「……ま、たまには派手な装いも悪くないか」


 ぽつりと呟いたラドリーの足元に、ソラがくるんと回ってじゃれついた。


「えへへ……ありがとう、ラドリー! だいっすき!」


「……はいはい。どういたしまして。そういうのは……気軽に言うなっての……」


「気軽じゃないもん。ほんとに、ほんとに、思ってるからだもん!」


 ソラの声はあたたかく無邪気で、どこまでも真っ直ぐだった。


「まったく、お前は……」


 そう呟きながらも、胸の奥にじんわりと温もりが広がっていくのを、ラドリーは否定できなかった。

 ベストの空色が、やわらかく沁み入るような心地よさに目を細める。


 ——まるで空のかけらが舞い降りて、部屋の中に本当の朝を連れてきたかのようだった。


 その中心にいるのは、誰よりも小さくて、誰よりも眩しい存在だった。

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