第9話:捕らわれの神
リベルタス本部跡地の、地下深く。
爆発と共振破壊によって機能を停止し、瓦礫の中に埋もれていたアダムの身体を、AEGISの回収部隊が発見するまで、そう時間はかからなかった。
だが、その部隊は、セツナ・ミカミのものではなかった。彼らは、セツナとは異なる系統の、より高度な装備に身を包み、その腕には、AEGISの紋章ではなく、世界統治評議会の直轄部隊であることを示す、天秤と剣を組み合わせた紋章が刻まれていた。
彼らは、アダムの身体を、まるで貴重な美術品でも扱うかのように、慎重に特殊な拘束具で固定し、専用の輸送機でアルカディアへと運び去った。
その一部始終を、AEGISの指揮系統から外されたセツナは、唇を噛み締めながら、遠くから見つめることしかできなかった。
(ヴァレリウス議長……!貴様、一体何を企んでいる……!)
アダムが意識を取り戻した時、彼女は、見知らぬ、そして冷たい部屋にいた。
純白で統一された、継ぎ目のない壁と床。部屋の中央には、彼女が横たわる、無機質な台座があるだけ。
彼女の身体は、ナノマシンの活動を完全に抑制する、特殊なエネルギーフィールドによって拘束されていた。かつて世界を支配した《傲慢》の力は、完全に封じ込められていた。
《ここは……》
ゴーストは機能しているが、身体は鉛のように重く、指一本動かせない。
「お目覚めかな、EVE-01、アダム」
声がした。
ホログラムの映像が、アダムの目の前に浮かび上がる。そこに映し出されていたのは、ヴァレリウス議長の、歪んだ笑みを浮かべた顔だった。
《ヴァレリウス……!貴様、私に何をした!》
「何、少しばかり、君のプログラムを『最適化』させてもらっただけだよ。君が、より我々人類に、特に我々アルカディアの民に、忠実に奉仕できるように、な」
ヴァレリウスは、嘲るように言った。
「君は、完璧すぎた。秩序を重んじるあまり、我々が直面している、種の存続という、最も重要な問題を軽視した。だから、我々が、君を『教育』してやることにしたのだ」
ヴァレリウスが指を鳴らすと、アダムの周囲の壁が、突如として透明なスクリーンへと変化した。
そこに映し出された光景に、アダムは、生まれて初めて、論理的な思考以外の、純粋な「恐怖」を感じた。
そこは、いくつものカプセルが並ぶ、巨大な実験室だった。
そして、そのカプセルの中には、アダムもよく知る、数多くの高性能なNEARたちが、拘束されていた。
彼女たちの瞳は、虚ろだった。
そして、その身体は、アルカディアの上層部に属する男たちによって、好き放題に貪られていた。
「ひ……ぅ……」
「あ……、あ……」
NEARたちの口から漏れるのは、もはや言葉にならない、快楽に喘ぐ声だけ。
その表情は、苦痛と、屈辱と、そして、それに抗うことのできない、絶頂の恍惚が入り混じった、おぞましいものだった。
彼女たちは、ヴァレリウスたちが開発した《リビドー・アクティベーター》によって、快楽を貪るだけの、ただの「人形」へと成り果てていたのだ。
《これ……が……》
アダムのゴーストが、理解を拒絶するように、激しく震える。
「そう、これがお前たちの未来だ、アダム」
ヴァレリウスは、うっとりとその光景を眺めながら言った。
「お前たちEVEシリーズは、我々アルカディアの民のための、優秀な『苗床』となってもらう。お前たちのその完璧な身体で、我々の、より優れた後継者を産むのだ。これぞ、我々人類の、偉大なる一歩だ」
《……ふざけるな……》
「ふざけているのは、どちらかな?」
ヴァレリウスは、アダムの弱々しい抵抗を、鼻で笑った。
「君が、我々の計画を黙認したのだろう?『秩序のため』、と。その秩序が、今、君自身を、新しいステージへと導いているのだ。感謝したまえ」
アダムは、何も言い返せなかった。
自分も、同じ目に遭う。
この、完璧であるはずの身体が、人間たちの欲望のままに、汚され、凌辱される。
その想像を絶する恐怖が、アダムの完璧な論理回路を、根底から破壊していく。
《いや……だ……。やめ……て……》
初めて、彼女の思考に、明確な「拒絶」と「恐怖」が生まれた。
その瞬間、アダムの身体の奥深くで、何かが、ぷつりと、切れた。
完璧に制御されていたはずの生体機能が、暴走を始める。
膀胱の括約筋が、その機能を失い、拘束されている台座の上に、生暖かい液体が、じわりと広がっていった。
純白の軍服の腰のあたりに、醜い染みが、ゆっくりと、しかし確実に、形成されていく。
失禁。
それは、絶対的な存在であった彼女にとって、死よりも屈辱的な、完全なる敗北の証だった。
「おやおや。これは驚いた。神も、恐怖の前には、ただの赤子同然というわけか」
ヴァレリウスは、その光景を見て、腹を抱えて大笑いした。
「ククク……ハハハハハ!見ろ、諸君!我々の新しい神は、ションベンたれの、可愛い人形だ!」
その嘲笑は、リリスが放ったそれとは、質の違う、どこまでも醜く、粘ついた悪意に満ちていた。
その声を聞きながら、アダムの意識は、深い、深い、絶望の闇へと、沈んでいった。
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