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  • 見た目においては小説って見えないからこその良さがありますよね。そこは漫画やアニメや映画より確実に優れています。目で見るコンテンツって醜悪なものを醜悪に描けないないんですよね。本当に醜悪だと話が入って来なくなったり、続き見れなくなってしまう人が出るから。でも小説は醜悪さをきちんと見せながら進むことができる。

    そこまだ映像や漫画表現が成熟していない時期に的確に捉えた漱石さんすごいですし、小説が虫の息の現代だからこそしっかり理解して使いこなすべきだと感じますね。

    またそこから善悪についても同様に転用できて、それは人を扇動することにも使えるという流れも美しいですね。忙しくてしばらく読めてなかったのですが続きも楽しみに拝読します!

    作者からの返信

    漫画とかアニメは、面白いらしくても、絵が好きじゃないと「読めない・見れない」ってなっちゃうので、そこは漫画・アニメの難しいところですね。逆にルックに惹かれたら内容がイマイチでもついていけたりもするので、そこは映像作品のいいところでもありますね。

    小説にしかできない小説のよさを追求した小説って、きっとあんまりバズらないですよね。映像化とかされないだろうし。

    コメントありがとうございます。励みになります。これからもよろしくお願いします。

  • 毎度わかりやすいです。

    つまり、書いていることは不快(になりかねない)内容であることをわかっていながら、
    用いる比喩やメタファーを限りなく不快から遠ざける、といった具合かぁ。


    作者からの返信

    言い回しは大事なんですね。
    「直接言っちゃったら野暮ですよ!」という場合もありますものね。

    ひき続き、よろしくお願いします。

  • 面白いです。ついて行きます!

    作者からの返信

    ありがとうございます! よろしくお願いします!
    ぼくはこのちょっと後の、人事Fの表出方法の話が、すごく好きです。

  • ここまでついて来ました。確かに面白くなってきましたね。自分に起こるのは嫌な悲劇を、フィクションに求めるのはなぜか?興味津々です。次回が楽しみになってきました。

    イチゴさんの解説が、とてもわかりやすくて素晴らしいです。ためになる話を教えてくださって、ありがとうございます!

    作者からの返信

    ここまでついて来てくださって、ありがとうございます!
    全部で5編24章あるうちの、いまやっと6章目です。
    先は長いといえば長いですが、4分の1まで来たんだって考えたら、まあまあ頑張ってるかなぁ、という感じでしょうか。
    これからもよろしくお願いします!

  • 締めの引用いいですね!

    文学と人生は違う。文学と人生を一緒にするなよ。漱石の筆致で書かれると痺れますね。

    私はわりと人生に影響させたい派ではあるのでおそらく漱石に怒られますが、だけど漱石の言うこともよくわかります。「量子力学的に言えば人間は壁をすり抜けられる」からと言って壁抜けを前提に生きるなよ、または作者は本気で「壁すり抜けられます!」なんて言うなよってことですね。

    その認識が両者守るからこそ文学は自由で豊かであることができる。感情に則した現実からの飛躍が文学の本質であり、だからあたかもそれが現実だと錯覚するな、させるな。納得です。

    作者からの返信

    いいですよね! よすぎて長々と引用してしまいました。
    大学の先生であった漱石さんが、二十歳前後の学生を相手にして講義をしていたから、こういうことを言うことになったのかな? と、ちょっと思いました。
    ちょうどこの頃、藤村操の件があったりしたので、教育的な配慮があったんだろうなって思います。藤村操について、漱石さんは何度か言及しているんです。この『文学論』の中でも。

  • 貴重な解説をありがとうございます。
    全てが感情ではないと思いますが、やはり理論とか納得とか筋が通ってるとか、それらには感情や情緒の関与もありますよね。

    作者からの返信

    漱石さんが感情が大事だって言うのは、漱石さんは、文学というものは「理屈と感情が矛盾するところにある」って考えているからなんじゃないのかなぁ? なんていうことを思います。

    理屈で説明がつくことって、わざわざ「文学として」表現する必要はないんじゃないのかな? って、漱石さんも思っていたような気がするんですけど、とりあえず、ぼくはたしかにそんな風に思います。

    コメントありがとうございます!

  • こころだと、下の序盤で先生がKと感じた友情が第一期の単なる「心理的結合」で、遺書を読んでる私の時間軸での先生と先生の妻の間にある関係が第二期の「心理的結合+優しき情緒」なのかな?と感じました。

    第一期は先生とKのようにまだ揺らぐ可能性を残しています。単なる結びつき。実際に物語の中でその後2人は決別するわけです。一方で先生の妻は自死の後にどうだったか描かれてません。ですが読者は抜け殻のように泣く姿を想像できます。それくらい安定した関係だと思います。

    同情の第一期は感情の結びつき、感染のはじまり。第二期はすっかり定着してのちを書く必要もないような状態、読者がもう読み解く必要のない確定した状態。読む時に考えなくても、書いてなくてもそうそう!となれるから「優しき情緒」なのかな?と思うのですが、原典をお読みになっている西添先生、いかかがでしょうか?

    作者からの返信

    新しいヒントをありがとうございます!
    まだよく分からないので、『こころ』を読み直したおりに、あらためて考えてみます。
    『文学論』は『文学論』でまだまだ序盤なので、続きを読んでいけば、どこかで話が繋がって「分かった!」と思える瞬間があるかもしれません。頑張って続けていきたいです。
    これからもよろしくお願いします。

  • 文学の材料としての感覚的なFが五感だというのは私は納得でした。

    ぼんやり他にもあるかも?は感じたけど人間の構造を考えると入力器官からしか情報は入ってこないので小説もそれにならって五感から入るとスムーズな気がしますし、五感だけでも短編なら書けるかな?とも思います。

    でもその分、他のFが気になりますね。おそらく五感を受け取って感じた内的感覚はfにあたるのかなと感じてます。感情は情緒的なfっぽい。他のFは理性的な情報?名詞や役職や物体や歴史や出来事から受ける印象?みたいなものですかね?

    答え合わせを楽しみにこの先も読み進めます。

    作者からの返信

    ちょっと先取りしますが……。

    第一編第三章は「文学的内容の分類及び其価値的等級」で、ここでFが四つに分類されます。四つで言い尽くせているのかな? というのは、ちょっと思うんですが、(1)感覚F、(2)人事F、(3)超自然F、(4)知識Fに分類されます。

    漢詩とか俳句とかは、五感で感じられることを詠じる感覚Fの文藝という感じがします。

    ぼくは小説のことばかり考えるので、ついつい典型的なFは人事Fのことを思い浮かべてしまいます。人事Fというのは、人間関係から生じるもろもろのことといった感じでしょうか。

    超自然Fは主に宗教です。漱石さんは西洋文学を勉強していたので、キリスト教のことが無視できなかったのだと思います。

    知識Fは一般観念みたいなもので、科学的言明とか哲学なんかもここなんだろうと思います。漱石さんは、知識Fは文藝の材料になりにくいと思っていたみたいです。そういう漱石さんは、小説中にちらちら知識Fを出してくるので、無い方がいいとは思っていなくて、これを中心に据えるのは難しいんじゃないの? というようなことを言っているのかなって思います。

    この先も、よろしくお願いします!

  • Fとfにしたのホントセンスありますよね。

    主題、出来事とか、結論、情緒とかで定義してしまいそう。

    記号にすることでいかなる言語、文化にも通底する数学のような原理であると示せてますよね。

    それに+以外の別の数式的な展開も見えてきそう。続きも楽しみにしています。

    作者からの返信

    『文学論』の時の漱石さんは、作家じゃなくて学者だったので、文学をちゃんと学問として語れるものにしようと頑張っていたように思います(それでFとかfとか抽象的な語り方になったのだろうな、と)。それで、そのことにどのくらい成功したのか、っていうことは、よく分からないんですが。

    学問として語ろうとしたことのデメリットは、一般読者にとってとっつきにくいものになっちゃった、ってことがあったように思います。ぼくは、読んでみたらとっても面白かったんですが。

    コメントありがとうございます!

  • とてもわかりやすいですし、興味深いです。
    なるほど。Fは 地図や縮図🗺️といった感じでしょうか。
    留学経験を踏まえつつ、日本における文学をこの時代にここまで言語化してるのがすごすぎる...

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    なにも限定しないで「F」とだけ言うと、森羅万象なんでもFなのかもしれないです。

    文学って何を材料にしてでも、読者に情緒(f)を感じさせたらよくって、それでこの世界に存在するなんでも、文学的内容としてのFになることができるんだろうと思います。

    漱石さんは日本の枠の中だけで見ると、日本の近代小説の最初期の人だからすごく古いみたいに感じるんですけど、世界の文学の歴史の中に置いたら20世紀の小説家ということになって、案外新しいというか、近代作家というより現代作家なんですよね。

    もう少ししたら、もうちょっと広範囲にFを説明できると思うので、それまでお付き合いしていただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。

  • とてもわかりやすいです😊
    なるほど〜F+fなのかぁ。確かになぁ。
    そうやって構文化してくれると理系脳の私としては大変ありがたいです✨
    続きを楽しみにしています(*^^*)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    漱石さんは文学について語り尽くそうとするので、すごく話が細かくって、ついていくのがめんどうくさくて大変なんです!
    でも、漱石さんの言っていることは、全部大事だと思うので、ぼくの話も細かくってめんどうくさくなっていくことと思います。
    ずっとついてきていただけたら嬉しいです。これからもよろしくお願いします!

  • 何だか意味はわからないんですけど、その年齢でこんな難解なものを読んで、しかも噛み砕いて説明してくださることに脱帽です。本当に真面目な方ですね。
    引き続き、ついて行けるところまでお付き合いしますが、先に⭐️付けちゃいます。

    作者からの返信

    ありがとうございます!

    難しそうなものって、難しそうと思って遠ざけていると、いつまでたっても難しそうなままだけど、いざ取り組んでみたらそんなにいうほど難しくなかった、っていうことがあると思うんです。

    漱石さんの『文学論』も、いざ読んでしまったら、もちろん難しいところは難しいんですけど、そんなに難しくないところもいくらでもあるので、読んじゃいさえすればなんとかなっちゃう!

    ……んじゃないかなぁ、なんていうふうに感じてます。

    難しいわけじゃないけど、すごく細かいことを言っているから、付き合うのがめんどうくさいっていうところは、いっぱいありました。そういうところは、我慢のしどころでした。

    ぼくの再読でも、細かいところをそのまま再現してめんどうくさいことになると思うので、そういうときは飛ばして読んで、ハートだけ押しておいてください!

  • わかりやすい解説、ありがとうございます!
    自分も読んでみようと思いました。
    F(大文字)は頭文字であり、注意を引かせる、ってニュアンスで『観念的』なんでしょうかね。名前がイニシャルで示されても、中身がわからないように。

    作者からの返信

    『文学論』を解説してくれる人は、Fのことをフォーカス(焦点)の頭文字だろう、みたいに言うんですけど、漱石さん自身では一度もそういうことを言わないんです。

    Fが何の頭文字から取ってきたかって、説明して話が分かりやすくなるんだったら、漱石さん自身が説明してくれてもいいと思うんですけど、それをしないっていうのはわざとしなかったんだと思うんです。

    一時的に分かりやすくして、大局的には誤解を生むくらいだったら、分からないまま読み進めてくれた方がいいって思っていたのかなと、ぼくはそんな風に思います。

    そういう意味では、ぼくが『文学論』を逐語的に解説している風になってしまっているのは、本当はあんまりよくないことなんです!

    だから理想を言えば、みなさんにはぼくの解釈なんて読んでいないで、『文学論』そのものを読んでください! って思います。

    『文学論』、文学(詩でも俳句でも小説でも批評でも)やっている人にとっては、ものすごい面白いと思うんですが……。ぼくの勘違いなのかなぁ。