くれーまーくれーまー

sorarion914

ご近所トラブル

 彩香たちは、ようやく念願のマイホームを手に入れた。


 築年数5年の、比較的新しい中古物件だが、駅からも近く利便性はかなり良い。

 2階建てで庭は狭いが、カースペースもあり、3歳の娘と夫の3人で暮らすには十分な広さの家だった。


「付近の相場からしても、3000万は下らないのに、ちょっと安いのが引っかかるな」


 夫の孝弘はそう言って笑った。


「でも不動産屋は事故物件じゃないって言ってたし、売主が手放した理由も経済的な事情って言ってたから――たまたま。運が良かったのよ」

「まぁね。こういうのはタイミングって言うからな」


 彩香は荷物を片付けながら、嬉しそうに部屋中を走り回る娘の穂香を見て言った。


「ほのちゃんのお部屋、どこにする?」

「ここにするぅ~」


 穂香はそう言うと、リビングに置かれたソファの上に寝そべって楽しそうにはしゃいだ。

 それを見て、彩香と孝弘は笑った。




 引越しを済ませた翌日。

 彩香は娘を連れて、隣近所へ引越しの挨拶に回った。


 周囲は割と古くからある家が多く、彩香の住む家は新しく整地された場所に立てられたものだった。

 以前の持ち主が土地を買って家を建てたらしいのだが、経済的な事情から泣く泣く手放したらしい。


 このご時世。

 自分達もいつそうなるか分からないが……出来れば末永く住み続けたい。


 それにはまず、近隣住民とのコミュニケーションが大事だ。


「第一印象が肝心よ。いい?ほのちゃん。大きな声で笑顔で挨拶よ」

「はぁい」


 穂香は素直に返事をした。


 彩香の家の両隣は、子供がもう独立して大きくなった中年夫婦と高齢夫婦の家だった。

 特に邪険にされることもなく、逆に好意的で、一緒にいた穂香を見て「幾つ?きちんとご挨拶出来て偉いわねぇ」と褒めてくれた。


 向かいの家も子供はいるが既に高校生や大学生で、小さな子供がいる世帯は少ないが、みな温かく彩香たち一家を迎え入れてくれた。


 地域の行事やゴミ出しルールなど、細かい事はあるが理不尽な要求をされることはなく、彩香はホッとした。

 よく聞くご近所トラブルを心配していたが、引っ越してきてから1か月が過ぎても、特に変わったこともなく平穏に過ごしていた。



 親子共々、少しずつ新しい環境に馴染み始めた頃――



 昼間、家にいた彩香はふいに鳴った玄関チャイムに慌ててモニターを見た。

 娘がちょうど昼寝を始めたばかりで、起きてしまうと思い、すぐに応対に出る。


「はい?」

『うるさいんだよ!』

「え?」


 何のことか分からず、彩香は首を傾げた。


「あの……何がですか?」

『うるさいんだよ!』


 モニター画面に映っているのは高齢男性だった。

 頬がこけて、白髪の蓬髪に険のある目つきをしている。

 カメラに顔をアップで寄せているのでよく分からないが、かなり痩せた老人だ。


「あの、すみません。何がうるさいんでしょう?」

『静かにしろ!』


 老人はそう言い放つと、ヨタヨタと背を向けて去っていった。


 あまりの剣幕に、怖くて表に出られなかった彩香は、しばらくジッとモニターを見つめていたが、何かされてはいないかと心配になって、そっと玄関の外に出た。


 表に、老人の姿はもうなかった。

 通りまで出て確かめてみたが、左右を見回しても姿はない。

 でも、歩いてわざわざ言いに来たという事は、近くに住んでいるのだろう。


(誰かしら?)


 両隣や向かいの家ではない。

 挨拶こそ行ってないが、それ以外の住宅でも、先程モニターに映っていた老人を見掛けたことはなかった。


 家に何かされてないか、カーポート周辺を確認してみたが、特に悪戯された形跡はない。

 彩香は不審な顔をしながら、その出来事を夜帰宅した夫に話した。



「昼間、お爺さんが『うるさい!』って怒鳴ってうちに来たの」

「お爺さんが?うるさいって何が?」

「それが分からないのよ。聞いたけど、『静かにろ!』っていうだけで、さっさと帰ってったわ」


 孝弘は、インターホンに録画された老人を見て眉間を寄せた。


「この辺に住んでる人かな?」

「うるさいって言うんだから、きっとそうよ。でも近所で見かけたことないし……」

「うちを出て左方向に歩いて行くな」

「でも姿はなかったわ」

「何がうるさいんだろう?うちはそんなに騒音出してないと思うんだけど……もしかして、子供の声かな?」


 確かに、子供がはしゃぐ声は意外と響くし、老人の耳には不快に感じることもあるだろう。

 ただ、穂香はそこまで手のかかる子じゃないし、夜間に起きて泣く赤ん坊でもない。

 一人っ子なので兄弟げんかをすることもないし、比較的おとなしい方だと思っている。

 テレビや音楽など、そこまで大音量で聴くこともない。

 なんなら、隣の高齢夫婦のテレビの音の方がウルサイぐらいだ。


「もしかしたら家を間違えたのかもしれないし、ひょっとしたら認知症の人かも」

「そうかもね……」


 録画された映像を見るかぎり、男はかなり高齢に見える。

 2人は何となく気にはなったが、それ以上深くは考えなかった。





 その3日後。


 またしても昼間、インターホンが鳴って老人が怒鳴り込んできた。


『うるさいんだよ!』

「あの、失礼ですけど家を間違えてませんか?」

『うるさいって言ってんだ!』

「何がうるさいんでしょう?」


 インターホン越しだが、彩香は傍で心配そうに見ている娘を気にして、やや声を落とした。


「何がうるさいのか、おっしゃって頂かないと分かりません」

『子供の声だよ!子供の!』

「――」


 画面の向こうの老人が、そう言って歯を剥きだして威嚇する。

 頬がこけ、皺だらけの顔に剥きだした黄色い歯。

 その怒り狂った姿に彩香はゾッと総毛だった。


『静かにしないと承知しないぞ!』


 老人はそう言うと、再び背を向けて去っていった。

 それを見て、彩香は「ほのちゃん、ここにいるのよ」と言い含めると、慌てて外に出た。


 玄関を飛び出し、通りに出る。

 しかし、老人の姿はもうなかった。


「え?」


 一番近い曲がり角でも20メートルは歩かないといけない。

 言っちゃなんだが、腰の曲がった老人が、そんな素早い速さであの角を曲がっていけるだろうか?


 それとも。

 自分達が知らなかっただけで、近所のどこかに住んでいるのだろうか?

 周囲は戸建てばかり。

 アパートもあるが、ここからはかなり歩かないといけない。


「子供の声がうるさいって……やっぱりうちのこと?」


 声が気になるというのだから、やはり近くに住んでいる人なのだろう。

 彩香は不審な面持ちで隣近所を見つめた。


 少なくとも両隣の家にあのような老人はいない。向かいの家にも。

 裏の家は比較的自分達と年が近い夫婦だが、子供はもう大きいし、高齢者と同居してはいないようだ。


 とすると、それ以外のご近所さん――ということになるが。


(でも変ね。あんなにヨタヨタ歩いてて、すぐに姿が見えなくなるなんて……)


 余程近くに住んでいないと、家に入る姿ぐらいは見えそうな気がするのに。

 どこの家にも、人が出入りしたような気配はない。




 彩香はその夜、もう一度夫にそのことを話した。

 孝弘はモニター画面に映る老人を見て「怖いな」と呟いた。


「でしょう?なんだかゾッとしたわ」

「本当に近所の人かな?」

「だってそうじゃないと……立ち去ってすぐに姿が見えないのよ?」

「にしたってさ。どこかの家に入る気配もないんだろう?」

「えぇ……」


 彩香はそう呟くと軽く身震いした。


「まさか幽霊じゃないよな?」


 そう言って苦笑いを浮かべる夫に、彩香は呆れた様に首を振った。


「やめてよ。こうしてちゃんと映ってるじゃない」

「だよな」

「子供の声がうるさいって言ってたから、間違いなくうちの事よ。エスカレートして穂香に危害を加えられたら怖いわ」

「うん。それは確かにな」


 布団の上で寝ている娘の顔を見て、孝弘は腕を組んだ。


「もし今度来たら、その時は警察に相談しよう。この映像を見てもらうんだ」

「……そうね」


 現段階では、特に何も危害は加えられていないが、今後の事も考えて一言相談しておく方がいいと2人は判断した。


「なんだか嫌な気分だわ……急にこんなことになるなんて」

「どこに行っても変わった人はいるもんさ。でも下手に刺激すると危ないから、もしもの時は110番しろよ」






 その1週間後の事だった。


 昼間、寝室で娘とウトウトしていた彩香は、急なチャイムで目を覚ました。

 瞬間、心拍数が上がる。


(まさか、また?)


 この1週間、音沙汰がなかったので、やはり間違いか認知の人か――と安心していたのだが……


 覚悟してモニター画面を見た彩香は、思いがけない姿を見て別の意味でギョッとした。


「え?警察?」


 彩香は慌てて玄関を開けた。

 目の前には制服を着た40代くらいの男性警察官が、人のよさそうな笑みを浮かべて立っていた。


「すみません。〇〇警察署の田畑と申します。ちょっとお尋ねしたいことがありまして……」

「はぁ」


 訳が分からず、彩香はキョトンとしたまま田畑の顔を見つめた。


「先程、電話で通報があったんです。こちらから子供の声がする。とてもうるさいと」

「え?うちの子の声がですか?」

「ええ。失礼ですけど、お子さんはいらっしゃいますか?」

「はい。娘が1人……今、お昼寝してますけど」

「そうですか……」


 田畑は何となく釈然としない面持ちでメモを取っていたが、その様子に彩香は「もしかして……その通報ってお爺さんですか?」と聞いた。


「え?なぜです?」

「実は――」


 そう言って、彩香は少し前から苦情を言いにくる老人の話をした。


「子供の声がうるさい、静かにしろ、容赦しないぞって脅しに来たんです」

 そして、インターホンに録画された映像を見せた。


「この人です」

「――」


 それを見て、田畑は眉間を寄せると、「あぁ……」と呟いた。


「実は、似たような苦情が多いんですよ、この近辺」


 その言葉に、彩香は驚いて目を剥いた。


「え?そうなんですか!?うちだけじゃないんですか!?」

「ええ」


 田畑は、帽子の上からボールペンで頭を掻きながら言った。


「苦情の内容は違いますが、白髪頭で痩せて険しい顔つきの老人が、一方的に文句を言いに来る。でも不思議なことに、誰も姿んですよねぇ」


 そう言いながら田畑は苦笑した。


「え?でも、ここに映ってますよ?」

「ええ。防犯カメラやインターホンのモニターには映っているんです。でも――失礼ですけど、老人の姿をその目でちゃんと見たことありますか?カメラを通さずに」

「……」


 彩香は黙り込んだ。

 その様子に、田畑も納得した様に頷いた。


「そうなんですよねぇ……誰も肉眼で見てないんですよ。我々も通報で声は聞いているんですが、ちゃんと姿を確認したことがないんです」

「でも……生きているんですよね?この人、生きている人ですよね?」


 おかしな質問だが、そう聞かずにはいられなかった。

 その質問に対して、田畑は曖昧な笑みを浮かべると、言った。


「自分達、巡回連絡でこの辺りを回ってますが、この老人がエリア内に住んでいるという確認は取れていません。高齢者宅を重点的に回ってますが、少なくともこの周囲に、こういう人物は住んでいませんよ」

「そんな……でも、歩いて来ているみたいだし、車とか自転車で立ち去っていく姿は――」


 彩香はそう言って、言葉を切った。


「通報の電話って……どこからかけてきたんですか?」

「すぐそこにある公衆電話ですよ」


 彩香は、通りの先の曲がり角の所に、一台の公衆電話ボックスがあったことを思い出した。


「通報はいつも、あそこの電話ボックスからかけてくるんです。通報を受けて駆け付けるんですが、通報者はもういなくて、付近の防犯カメラで確認したら、今おたくの家のインターホンに映ってる老人とよく似た人物が、毎回映っているんですよ。でも――」


 田畑はそう言って言葉を切ると、何度も首を捻りながら苦笑した。


「不思議なことに、誰も彼の姿をじかに見た人がいないんですよねぇ……どこの誰かも分からなくて」

「他にも苦情を受けている人がいるって……お隣さんもですか?お向かいさんも?」

「えぇ。この辺りの家はほとんどそうじゃないかな?おたくは最近越してきたんですよね?」

「はい……4カ月ほど前に」

「そうですか……なら今はここがターゲットなのかなぁ……」


 何気なく呟いた田畑の言葉に、彩香は眉間を寄せた。


「実は、以前こちらに住んでた方も散々苦情を言われて。それで引っ越されたと聞いてます」

「え?」


 不動産屋には、経済的な理由と聞いていたが――


「ただ、苦情を言っては来ますが特に危害を加えられた例はないんですよ。だから、気が済んだら来なくなるんじゃないですかね?」


 そう言って帰ろうとする田畑に、彩香は納得できずに外まで追いかけた。


「ちょっと待ってください!じゃあそれまで我慢しろっていうんですか?」

「でも、どこの誰かも分からないんじゃ、対処のしようがないですよ」

「もし子供に危害を加えてきたらどうするんですか!?」

「危険を感じた時は110番してください」


 田畑はそう言うと、乗ってきたバイクに跨り去っていった。

 ただならぬ気配を感じた隣家や向かいの家の住民が、心配そうな顔をして表に出てきた。


「どうしたの?何かあったの?」


 わらわらと集まってくる近所の人に、彩香は救いを求めるように訴えた。


「変なお爺さんから苦情を受けているんです。ご存じありませんか?80代くらいで、痩せて白髪頭の――」


 すると、その場にいた住民たちがなぜか皆一様に「あぁ……」と、曖昧な笑みを浮かべて頷いた。


お爺さんね……」

「ご存知なんですか!?どこに住んでるんですか?」


 彩香は藁にも縋る思いで飛びついた。


「あんまり気にしない方がいいわよ。そうよね?皆さん」

「えぇ」


 同意を求められ、てんでに頷く住民に彩香は「は?」と眉をひそめた。


「言って来るだけで何もしないから大丈夫よ。気にせず無視してればいいわ」

「そうそう。来るのは昼間だけだし……あなたもそのうち働きに出るんでしょう?なら放っておきなさいよ」

「うるさいならインターホンの電源切っちゃえばいいじゃない」

「そうだわ、そうしなさいよ」


 まるで他人事のように話す住民たちに、彩香は唖然とした。


「そんな……皆さんも同じことをされたんじゃないんですか?」

「されたわよ。だから言ってるのよ」


 そう呟くと、隣家の高齢女性が代表するように彩香の目の前に立った。




のよ。あなたたちがいなくなったら、また私たちの誰かの所に来るじゃない。新参者しか相手にしない、困った爺さんなんだから」




 そう言って、ニタリと笑う。



「まぁ――しばらく我慢すれば、そのうち誰かが引っ越して……新しい住民が来るかもしれないわ。そうしたら、ここへは来なくなるから。それまでの辛抱よ」

「……」



 呆れた顔をする彩香を見て、住民たちが笑顔を浮かべる。






 見えない針でその場に打ち付けられたように、彩香は動けなかった。

 老人共々、家に縛り付けられたようで全身が凍り付く。



 彩香は、夢のマイホームが音を立てて崩れていくのを聞いた。

 その音に紛れて、老人の剥きだした黄色い歯が奇怪な音を立てて鳴り続ける。




『カカカカカ』

『うるさいんだよ!』

『静かにしろ!』


『カカカカカ――』






【完】

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