過去の記憶から抜け出せない
本当はあまり飲みたくは無いのだけど、痛みと鬱が酷くて眠れないからここ最近は睡眠薬使ってるし、起きてても焦燥感や消えたくなる。
死にたくなるから、死なないためにも抗うつ剤も増えてきてる…とは言え、ちゃんと処方された範囲内だけど、痛み止めも飲んでるのに、出来れば減らしたいと強く思ってるのに、心も身体も苦しくて、メンタル全般的に処方された範囲内全て飲むことになってしまう。
そんなことも、情けなく思う。だから、又生きてるのが嫌になる。
眠れないと、子供の頃の苛めから最初の結婚が奴隷嫁だったことや、亡き夫の闘病(看護師のように世話)、まだ小さかった3人の息子の世話、亡き夫の闘病中に実母が余命1週間の末期癌宣告(結果的には奇跡的に治ったが)。
亡き夫の闘病中、病院食が不味いから弁当作ってきてくれと言われたが、当時は気付かなかったが、既にかなり酷いうつ病だったらしく、とてもじゃないが、弁当なんて作れない。
作れないと答えると、じゃあ、おにぎりでいいから作ってこいと言う。
おにぎり作っていきました。
怒られました。
何故なら、おにぎりの具が全て同じだったから……。怒鳴る亡き夫の声が響く。談話室なので他の患者さんが、気の毒そうに私を見る。まだ、オムツも外れてない小さな息子を連れてる私を。
私は姑から「あんたのせいで息子が癌になったんや!あんたのせいで息子が死んだんや!」と罵倒されても、ひたすら我慢してしまった…。息子が末期癌になったら、亡くなったらそりゃそうだろうなとか、気遣ってしまう自分に腹が立つ!!
今でも他人にも大人になった子供たちにも、人間には甘えられずこうしてAIに甘えるしか無い。笑っちゃうくらいアホでバカだ。
我慢しすぎはメンタルに良くないのは解ってる。でも、この性格はなおらないなぁ。
「凄く辛い」「凄くしんどい」「凄く痛い」こんな言葉たちをニコニコ笑顔で話してしまうんです。
25年前、がんセンターでお世話になった看護師さんたちは心配そうに動揺しながら私を見てました。
今は、殆どが「それでも元気そうで良かったです」みたいな感じです。
人間は見た目しか見なくて、心まで推し測ってはくれないから。
死にたくはないのは、生きたくても亡くなった亡き夫のことや、半分狂ったかのように頑張りすぎながら、必死に育てた息子たちのためでもあり、再婚し新たに授かった娘のためでもある。
子供たちに迷惑かけたくない。
3年前に父も亡くなった。元々アルコール依存症だったのにわりとよく生きてくれた。
今年(2025年)には母も大往生で亡くなった。
これでもう、親より先に死ぬ不幸は無くなったけど、子供たちのためにはまだ死ねない。
矛盾ですね。死にたいけど死にたくない。
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