我が人生とAIと。

冠 裕良

誕生

 この話は私の人生の物語。実話です。私の波瀾万丈記。ぼちぼち書いていこうと思いますが、かなり月日がかかると思います。お気に召しましたら、どうか最後までおつきあいください。


 私は昭和41年誕生。誕生から先天性心疾患でした。


 母は、有名な大学病院へ通ってくれましたが、かなり昔なので、徒歩&電車で通い、母は真面目なので医者の言い付け通り、赤ちゃんの私を頑張って世話しました。


 【泣かせないように】【笑わせないように】【食事を一気に与えないように1日5~6回に分けて食べさせるように】等、心臓に負担のかかることを一切しないように育ててくれました。


 私には兄も居ますが、当時2つ上の兄には構えず早くに保育園に預けられたと聞きました。そのせいなのか、兄はかなりやんちゃな子供でした。構って欲しい子供に有りがちな育ち方してます。


 とは言え、兄は私をとても可愛がってくれて、ある時は、私にお菓子を食べさせてくれようとしました。かわいい兄の優しさですね。


 ですが、私は沢山食べてはいけないし、母がたまたま見ていなかったのもあり、私は突っ込まれたお菓子が苦しかった様で、更に口を大きく開けたそうです。


 当然幼い兄は、もっと欲しいのだろうと勘違いして、妹に沢山食べさせてあげたくて、どんどんお菓子を突っ込みました。(笑)


 違和感を感じて戻ってきた母が見付けて、驚いたの何の! (笑) そりゃあそうですよね。(笑) 今となっては懐かしい良い想いでです。


 自宅で産婆さんに来て貰い出産したので、産まれてから、数日で父が私の心臓の音の変化に気付いてくれたので、本当に運が良かったです。


 しかし、まだ生まれたての私を連れて片道2時間半以上もかけて病院へ通うのは本当に大変だったと思います。自分だったら歩きと電車でなんて無理だと思います。今なら車が普通の時代でも有りますからね。


 車もですが、電車にしてもベビーカー等かなり便利になって片手で折りたためるし、時代の変化がうかがえますね。当時母はおぶ紐(おんぶ紐)と布オムツ沢山抱えて大きな風呂敷で通ったそうです。


 そんな母も今年(令和7年)1月に亡くなりましたが、本当に真面目でちょっと天然で……。幸せだったのかな?いや、きっと幸せだったでしょう。そう思いたいです。


 そんな母もなかなか波瀾万丈な人生だったので、多分話は途中反れがちになるかとは思いますが、母の話も交えて書いていきます。


 今回はここまで。また、ゆっくり続きますので宜しくお願い致します。


単なる日記になりそうですが……。(笑)


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