廃墟の旗
それは勝利だった。だが、それは何も残さなかった。
ベルリンが陥落したのは、モスクワが焦土となってから二ヶ月後だった。
ロシア帝国連合軍は、中国・中東・アフリカと連携し、
NATOの主力を東欧戦線で包囲・殲滅した。
だが、欧州各都市には無数の“終末兵器”が落とされた。
都市は光となり、その光は人類の影を地面に焼きつけた。
ロンドン、パリ、ローマ、東京、ワシントンD.C.――
そのどれにも、もう「国」は存在しなかった。
ただ、溶けた鉄骨と沈黙が広がっていた。
世界は、静かになった。
あまりにも静かすぎて、人の息すら響くほどだった。
「勝った」という言葉が意味をなさないほど、
“勝利”は深い墓穴の中に沈んでいた。
プーチンは、生き残った。
皮肉にも、最も破壊された帝都・モスクワの地下深くに、
最後の国家指導者として。
すでに部下はほとんど死んでいた。
副長官も、外相も、参謀も、最期には「人」として死んでいった。
“帝国”として死んだのは、彼だけだった。
「我らが祖国ロシアは、生き延びた……
だが、民は……我が国民は、どこへ行った……?」
声はもはや、祈りでも命令でもなかった。
ただ、自分自身に向けた問いだった。
地上には、廃墟だけが広がっていた。
戦後処理をする政府も、和平を語る外交官も、復興を願う市民もいない。
核によって統治された大地には、統治者の居場所などなかった。
人類は、滅びなかった。
しかし、“文明”は死んだ。
モスクワ郊外の丘の上。
奇跡的に焼け残った、小さな教会があった。
屋根は剥がれ、ステンドグラスは割れ、鐘は落ちていた。
それでも、そこだけは、火の海から逃れていた。
プーチンは、ゆっくりとその教会の扉を開けた。
灰が積もり、風が吹けば壁の隙間から星が見えた。
彼は一人、椅子に座った。
誰もいない教会で、かつての祈りを思い出していた。
子供の頃、祖母に連れられて来た教会。
ソ連の時代、教会など迷信と嘲られた。
だが彼の心には、あの蝋燭の光と聖歌の響きだけが、確かに残っていた。
「ロシアは……勝った。
我らが帝政は、世界にその名を刻んだ。
だが、世界は……もう、ない」
彼は静かに、懐から一丁の拳銃を取り出した。
その黒い鉄の重さは、これまでの政権の記憶そのものだった。
チェチェン、ウクライナ、カフカス、そして……
シベリア内戦、帝政復興、世界大戦。
すべての犠牲が、その銃口に詰まっているようだった。
プーチンは、目を閉じた。
どこか遠くで、風が鐘を鳴らした気がした。
――おそらく、それは幻だった。
だが、それは確かに、彼の耳に“神の赦し”のように響いた。
「誰も、赦してはくれまい。
だが……ロシアだけは、死ななかった。
それだけが……俺の贖いだ」
引き金が、軽くなる。
鋭い音が、世界の終わりを告げる鐘のように教会に響いた。
そして、プーチンの身体は、
静かに椅子に崩れ落ちた。
数ヶ月後。
黒海沿岸の廃墟に、一人の少女が立っていた。
背中には粗末な鞄。
空には雲ひとつなく、太陽がじりじりと照らしていた。
少女は拾ったノートの切れ端に、こう記した。
「世界は燃えた。
でも、私は生きている。
誰かが、また始めるだろう。
だから私は、生きる」
その言葉が、風に吹かれて舞い上がり、遠くへ消えた。
誰もそれを読まないかもしれない。
でも、確かにそれは、
“人類の再出発”の一文だった。
―完―
氷原の王冠 ―ロシア帝政復興戦記― ばかわたし-bakawatasi @bakawatasi
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