新曲。
p.36
夜、スタジオの扉をくぐると、
独特の静けさと緊張感が空気を包んでいた。
防音された空間の中で、
ヘッドホン越しに聴こえる音。
スピーカーから流れるのは、
昨日、録った音源の中で問題があったトラック。
「ごめんね、急に。ここ、ここと、このブリッジ前のニュアンスが少しだけズレちゃってて……茉耶の声はすごくいいんだけど、ミックスが乗り切らなくて」
エンジニアの人が、
申し訳なさそうに説明してくれる。
「大丈夫です、やります。
むしろ、やらせてください」
そう返した自分の声は、
驚くほど落ち着いていた。
ブースの中に入り、マイクの前に立つ。
この空間に入ると不思議と呼吸が整っていく。
誰かのために歌う。
届けるために、言葉を選ぶ。
それだけに集中する時間。
「テイク、入りまーす」
ガラス越しに、スタッフが合図を出す。
イントロが流れ出す。
──深く、息を吸う。
音に身を預けながら、
歌詞のひとつひとつを確かめるように、
丁寧に言葉を紡いでいく。
脳裏には、
さっきまで一緒にいた李玖の顔が浮かんでいた。
言葉で心を動かすって、
やっぱり簡単じゃない。
でも、自分の声が誰かの心に届いたら──
それは、きっと、とても特別なことだ。
「……はい、OKです!
今の、めちゃくちゃよかった!」
エンジニアの声に、ふっと肩の力が抜ける。
マイクの前から一歩離れて、軽く伸びをすると、
いつのまにか深夜が近づいていた。
「お疲れさま、茉耶ちゃん。
さすが、さっと修正してきたね」
「ありがとうございます。最後まで
丁寧に付き合ってくださって、助かりました」
笑顔で頭を下げながら、茉耶は心の中で呟いた。
──やっぱり、私はこの場所が好きだな。
だけど、今日はもう一つ、
大切なものがあった気がする。
帰り道、ポケットの中でスマホが震えた気がして、
思わず画面を見てしまう。
──何も通知はなかった。
けれど、小さく笑って、画面を閉じる。
「……明日、また会えるといいな」
そうつぶやいて、夜のスタジオをあとにした。
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