とまった時計を直す店

古い石畳の路地を抜けた先に、ぽつんと灯る青い明かり。


そこにあるのは「とけい屋ルリ」。


ショーウィンドウには、ネジ巻き時計、懐中時計、鳩時計、砂時計…。

時間をはかるあらゆるものが並んでいて、すべてが静かにチクタクと呼吸しています。


お店を営むのは、まだ若い女性。

年のわりに古風で、ほとんど笑わない。けれど、どんな時計でも直せる不思議な職人です。




ある日、ひとりの老人が古い腕時計を持って訪れました。


「もう動かなくなって久しいんですが、捨てられなくてね…。亡くなった妻が、昔くれたものなんです」


時計は、針が止まり、風防はくもっていました。


ルリはそれをそっと手に取り、目を細めました。


「…この時計、奥さまとの“最後の会話”の時間で止まっていますね」


老人は目を丸くしました。


「見えるのです、時間の“記憶”が。修理をするときは、そっと耳を澄ますんです」


そう言うとルリは、すっと針を外し、丁寧に分解を始めました。

軸の奥に詰まった小さな埃。乾いた油。

だけど一番奥にあったのは


「ありがとうが言えなかった、って言ってます」


老人は静かにうなずきました。


「…そうか。ずっと、引っかかっていたんだ」


ルリは、文字盤を磨きながら言いました。


「この時計は、あなたの“後悔”をずっと抱えていたんです。でも、いま、手をかけてあげれば、また歩き出せますよ」


やがて、分解された小さな歯車たちは、ひとつひとつ丁寧に戻され、最後にルリがゼンマイを巻くと、


チク。チク。チクチク。


止まっていた時間が、ゆっくりと息を吹き返しました。




帰り際、老人は深く頭を下げました。


「ありがとう…」


ルリは、ほんの少しだけ、口元をゆるめました。


「時計は、誰かの時間と、心を記録しているんです。壊れているように見えても、本当は少し待ってるだけなんですよ」




ルリの店では、今日もチクタクと、無数の時間が鳴っています。


子どもが落とした腕時計。

親子のすれ違いで止まったキッチンタイマー。

手紙の封を開けられず、止まった万年カレンダー。


どれも、心の奥にある“その時”をそっと抱え、ルリに直してもらうのを待っているのです。


ルリが直すのは、時計に込められた時間。


そして、ルリ自身も、自分のポケットに一つの時計を入れたまま。


まだ誰にも明かしていない「とある時間」を、そっと巻き直す日を待っていました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る