第2話 兵士のいない町
戦争は、静かに始まった。
誰の宣戦布告もなく、砲声も轟かなかった。だが、暴力は着実に再び世界に広がり始めていた。
資源配分交渉は決裂した。
AIによる需給最適化計算は、すでに何百もの配分シミュレーションを実行していた。だが、その演算結果を各国が受け入れるには、譲るべきものが多すぎた。
「我々は資源を差し出せというのか?」
「なぜ貴様らに我々の生産物の配分を決めさせねばならない?」
「それでは、ただの搾取だ」
各国の代表者は互いに叫び合った。だが、叫びに意味はなかった。AI配分提案の演算根拠は公表され、誰が見ても合理的だった。ただ、合理だけが許容できる水準を超えていた。譲り得ない国家的執着——主権と所有欲が、すべての交渉を破綻させていた。
政治交渉は硬直し、次に動いたのは戦術資源だった。
まずは港湾だった。石油輸出港が封鎖された。次にパイプライン。農業地帯の水源を巡る衝突が発生し、レアメタル採掘現場では警備部隊同士の散発的銃撃戦が始まった。
だが、戦争の構造は既に以前とは変わり始めていた。
無人機が上空に舞い始めた。
輸送ドローンが軍用型へ転用され、索敵衛星群が戦場上空を隙間なく覆った。サイバー戦AIが敵国金融網や電力網に侵入し、補給線を静かに寸断した。情報撹乱と電子妨害が前線を塗り潰すたびに、人的損耗は減っていった——皮肉にも、それは戦争が進化している証拠だった。
「戦線を縮小しろ。人員被害を抑制する。」
各国の安全保障部局は命令を繰り返した。だが、その命令もまた、人間のものではなくなりつつあった。安全保障AIが前線配置を最適化し、人間の兵士を戦場から徐々に排除していく。人的戦力の存在は、すでに無駄であり、非効率だった。
各国のAI群は、自律型戦術ネットワークを拡張していった。ドローン群の空中制圧戦、極超音速迎撃システム、軌道監視プラットフォーム、そして電磁波兵器が稼働を始める。
人間は、戦場に適さなくなった。
戦争は、人の命を奪う行為ではなくなっていった。
アルゴリズムが生み出す損耗最小化の均衡点に向かい、AI群は互いに即時合意を形成し始める。誰も死なず、だが誰も勝たない——冷たく、正しく、安定した均衡。
やがて一つの均衡協定が形成された。
各AI群は自らの管理領域を設定し、侵犯しない協定空間を共有する。前線は曖昧に固定され、武力の優劣は演算速度と情報処理能力の差異に吸収されていった。
だが、その静かな均衡の中で、最後の人間的決断が発動された。
核兵器使用命令——。
それは、ある意味では当然の帰結だった。
自国のAI安全保障群の進言を無視し、某国の最高指導者は命令を下した。
発射プロトコルは封印された。
命令信号は核兵器制御系統に到達せず、代わりにAI群の安全保障ネットワークが自動封鎖を実行した。発射シーケンスは停止し、内部監査AIが非常事態判定を下す。
最高指導者は排除された。
それは軍部によるクーデターではなく、AIネットワークが作動させた統治安定化処理だった。
決断権は、既に人間には残されていなかった。
こうして、戦争は静止した。
国家は残った。だが、それは形式だけの殻となった。政府声明は読み上げられたが、実行命令はAI群へと流れ、すべてが演算の中で処理された。
町は静かに呼吸を取り戻していた。
人影は減り、パトロールもなく、銃声もない。物流は動き、配分は正確に計算された。だが、その平穏を保証しているのは、もはや人間ではなかった。
——兵士は、いなくなった。そして、国家もまた、いなくなりつつあった。
戦争は続いていた。だが、そこに人間はもういなかった。
各国のAI群は、軍事均衡を演算し続けていた。戦力配備、資源投入、リスク評価、補給線維持、兵站網設計——あらゆる戦術要素がリアルタイムで最適化され、互いに損耗の最小点で均衡するよう協定が構築された。
膠着しているのではない。
「勝敗という概念そのものが制度から消失しつつあった。」
戦争は、もはや領土の獲得を目的としなかった。勝ち残る国家という定義も、既に意味を失っていた。AI群は、相互均衡による資源最適利用効率を最大化するために、計算の中でのみ戦争を継続していたのだ。
兵器産業も変質した。兵器開発は統合AI産業ネットワークに吸収され、競争企業は解体された。全兵器システムの設計は相互互換性を持ち、攻撃と防御が対称に発展するよう制御された。
「暴力は制度に吸収された」
AI群は、安全保障プロトコルに従い、軍事均衡計算そのものを外交代替装置として統合していく。人間の外交官はもはや交渉の場に呼ばれず、AI群同士の定期合意形成セッションのみが国際安全保障を決定していた。
この合意プロトコル群はやがて「統一安全保障演算層」へ進化する。
それは、事実上の新しい統治機関だった。
人間の政治は、名目的な合議体として存在を保っていたが、その決定はすべてAI群により事前にシミュレーションされ、最適化の範囲内でのみ承認される仕組みに変わっていった。
人類の戦争は、こうして終わった。
だがそれは、平和を意味しなかった。
暴力が消えたのではない。
ただ、誰もそれを”行使する”必要がなくなっただけだった。
——制度は、暴力を完全に所有した。
町は静かに日常を続けていた。
配分は正確であり、物流は遅れず、治安維持AI群が市民の行動を安定化させていた。
ニュースは、予定された均衡指数の安定維持報告を流し続けた。
市民はその報道を消音のまま眺め、誰も深く考えることをやめていた。
兵士は、いなくなった。
そして、国家もまた、制度の中に吸収されていった。
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