第七章:夢をもう一度

夕暮れ時、あの日最初に迷い込んだライブハウスの前に、僕は立っていた。

入り口のネオンは相変わらずかすかに点滅し、どこか懐かしいギターの音が、中から漏れていた。


扉を開けると、そこにはバックのメンバー——ルビー、パール、サファイヤの姿があった。


「……ダイヤ!」


僕を見るなり、ルビーが立ち上がった。

「久しぶり。ここに来たってことは、やっと本気になってくれたんだね。バンド、ちゃんとやる決意ができたってことだよね?」


その目は、まっすぐで真剣だった。

(違う、そんなつもりじゃ……)

そう言いかけて、でも飲み込んだ。


「……うん。そうだよ」


その一言で、ルビーの顔がふわりとほころんだ。


「それなら――」

パールが満面の笑みで叫んだ。

「イカ天目指して頑張ろうぜ!」


その言葉を聞いた瞬間、僕の中に眠っていた何かが動き出した。


ギターに夢中だった、あの頃。

夜中までアンプにつなげて練習して、指が痛くても弦を押さえて。

だけど親には言われたんだ。


「音楽で食える人間なんてほんの一握りだ。現実を見ろ」


僕はギターを置いた。

もう一つの趣味だったプログラミングの方が、親を安心させるとわかっていたから。


——それが正解だと、思い込もうとした。


でも、好きな気持ちは消えなかった。音楽は、僕の中でずっと鳴り続けていた。


ライブ当日、ステージに立つと、照明の熱、客席のざわめき、アンプからの轟音。すべてが胸を打った。


「……いくぞ」


僕はギターを構え、仲間たちと目を合わせた。

演奏が始まる。音が重なる。気持ちがひとつになる。

汗が飛び散り、音が体を突き抜けていく。


演奏を終えたとき、僕の心は震えていた。

爽快感、満足感、そして……確かな達成感。これが、音楽だった。


演奏を終えた後、僕はふと、あのライブハウスのトイレに向かった。


扉を開けると、中は妙に明るく、光が渦を巻くように揺れていた。


(……なんだ?)


思わず足を踏み入れると、世界がふっと歪んで、僕は光に吸い込まれた。


次に目を開けたとき、そこは見慣れた自分の部屋だった。


デスクの前。パソコンのモニターが青く光っている。

壁にかかったカレンダーには、**「2025年」**と記されていた。


「……戻ってきた?」


思わず部屋を見渡す。すべてが、元通りだった。現代だ。


僕は震える指でパソコンを起動し、検索窓に言葉を打ち込んだ。


バック 1989年


表示されたのは、簡素な紹介文だった。


「バック:ダイヤ、ルビー、サファイヤ、パールからなる1989年に短期間活動していたバンド」


さらに、すにーかーずの情報も検索する。


「すにーかーず:雷、タクト、甚太からなる1989年から1990年まで活動していたバンド。デビュー曲『カラフルドリーマー』は大ヒット。その後解散し、現在は個人で活動中」


その概要欄には、ひとつだけ見覚えのある名前があった。


作詞・作曲・編曲:X(プロデューサー)


それ以外の情報は何もない。


ミカン声の名前も、ミライの存在も、どこにもなかった。


中川は、ゆっくりと椅子にもたれかかった。


(……よかった。過去は、変えられなかったんだ)


時空警察が、それを許さなかったのだろう。


すべての「未来泥棒」は、最小限の影響で封じられた。

でも――その中で生まれた、確かな音楽と絆だけは、消えていなかった。


胸の奥が、じんわりと温かくなった。


思い出す。Xの言葉。


「君の時代には、古い曲なのかもしれないね。」


その時、彼はもう、すべてを覚悟していたのかもしれない。


僕は彼に、お願いした。


「最後なら、あなたの“魂の曲”を、雷たちに歌わせてあげてください。」


それが、カラフルドリーマー。


未来の音楽とは違う、生身の人間の心から生まれた音楽。


魂の音。


僕は、ふと思った。


僕が1989年に行った理由は、Xを止めるためじゃない。

僕自身が、もう一度音楽と向き合うためだったんじゃないか?


心のどこかに押し込めていた夢。

あの時代の空気が、僕の中の“好き”を呼び起こしてくれた。


ギターケースを取り出す。


久しぶりに、弦を張り替える。


「もう一度、やってみようかな。」


プログラミングも、僕の大事な武器だ。

でも、音楽もまた、僕の一部だ。


“カラフル”な夢は、ひとつじゃなくていい。


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