第50話 腹を割って話しましょう
あの奇跡の儀式から、数週間が過ぎた。
季節は、穏やかな春。ローゼンベルク公爵邸の美しく手入れされた庭園で、ささやかなお茶会が開かれていた。
日の当たるテーブルではエレアが、少し戸惑いながらもフェリクスお兄様からケーキを「あーん」して食べさせてもらっている。10年前の姿のまま、時が止まっていた彼女にとって、この世界はまだ新しくて驚くことばかりだ。
そんなエレアの頭を、アラリックお兄様が、ぎこちない手つきで、そっと撫でた。騎士団長の職を辞した彼の表情には、苦悩の影は残っていない。ただ一人の兄として、穏やかな笑みを浮かべている。
その光景を、少し離れた場所から二人の変人が目を輝かせながら観察していた。
「なるほどなるほど? 魂と肉体の時間の同期がずれている、ということかね! これは魔力による、一種のコールドスリープ状態と仮定できるんじゃあないのかね? 実に興味深い!」
「ええ、全くです。この症例は、今後の呪いによる後遺症の研究に、新たな一石を投じることになるでしょう! ところで、カエルと会話できるビスケットを発明したのですが」
「遠慮しておくよ」
ユリアンお兄様と、なぜかお茶会に参加しているアリスター先生が、周りを完全に置いてきぼりにして、専門用語だらけの高度な議論を交わしている。
客人として同席しているレノーアは、静かにエレアに寄り添っていた。時折、エレアが、彼女にだけ分かるような小さな声で、何かを話しかける。そのたびにレノーアは、幸せそうに頷く。
全てが満ち足りていた。
失われた時間は戻らない。
けれど、ここには新しい時間が、確かに流れている。
***
さらに数日が過ぎた学園の訓練場。
すっかり日常を取り戻した私とレノーアは、二人でいつもの筋力トレーニングに励んでいた。
「――あと三回! さあ、お嬢様!」
「うう……きつい……! あなた最近、指導が前より厳しくなってないかしら!?」
「気のせいです。さあ、お喋りするなら腹筋から声を出して!」
私たちの間には、もうぎこちない主従関係はない。
親友で、戦友で、そして、それ以上にかけがえのないパートナーとして、私たちは新しい関係を築き上げていた。
トレーニングを終え、二人で芝生の上に寝転がる。
吹き抜ける風が、汗をかいた肌に心地よかった。
隣にいる愛しい人の顔を見て、悪戯っぽく笑いかける。
「ねえ、レノーア。これからも隠し事はなしよ。こうやって、腹を割って話しましょう?」
彼女は一瞬、きょとんとした。すぐに、その意味を理解したのだろう。顔をほんのり赤く染めながら、心からの笑顔で頷いてくれた。
「……はい、リゼロッテ様」
彼女に初めて呼ばれた名前の響きが、くすぐったくて、たまらなく嬉しかった。
さらさらと風が吹く。心地よい解放感。
ちょっと勢いをつけて、レノーアを抱きしめようかなと思ったが、そうもいかない。さっきから、気になることがあったのだ。
私は起き上がりながら「ところで、あれは何かしら……」と指をさした。
訓練場の、隅っこ。
フリルのついた貴族趣味全開の、おかしな訓練着。必死の形相で腹筋運動に励む、コルネリア・アウレリアンの姿があった。
そしてその隣には、心底うんざりした顔で腕を組み、彼女を見下ろすヴェロニカ。
「はあ……この非論理的な、筋肉への反復的負荷運動に、一体何の意味があるんですか。時間の無駄ですよ」
「何を言いますの! これが、常識を超えた強大な魔力を手に入れる、第一歩ですのよ! 貴女だって、リゼロッテ様の力の根源に、興味がおありでしょう!?」
「それは、そうですが……。筋力と魔力量の間に、直接的な因果関係は、観測されていません」
「黙らっしゃい! さあ、わたくしのトレーナー! もう1セット、いきますわよ!いち、に、さん、し……!」
あまりにもシュールな光景に、私とレノーアは顔を見合わせる。
そして、どちらからともなく、堪えきれずに笑い出した。
明るい二人の笑い声が、どこまでも続く。
青い空に、高らかに響き渡っていく。
私たちの物語は、きっとこれからも続いていく。
こんな少しおかしな、でも幸せに満ちた毎日と共に。
おしまい。
腹を割って話しましょう? むちむちのルチノー @kiiroipurin
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