第47話 十年の生傷

 演習場に、重い沈黙が落ちていた。

 私の兄、アラリック・フォン・ローゼンベルクは、上半身の鎧を失った無防備な姿のまま、そこにただ立っていた。

 彼は一度きつく目を閉じると、諦念に満ちた静かな声で、全ての真相を語り始めた。


「お前が生まれた時から分かっていた。お前の内に宿る『崩壊』の力が、あまりにも強大すぎるということに」


 それは私が物心つくよりも、ずっと前の話。

 彼はローゼンベルク家の誰よりも早く、私の力の危険な本質に気づいていたのだという。


「このままでは、いつかお前自身がその力に飲み込まれてしまう。あるいは世界そのものを傷つけてしまう。その未来が俺には見えていた。だから俺は決意した。ローゼンベルク家の禁書を独断で読み解き、お前の力を封印するための古代の儀式を執り行うことを」


 十年前の薔薇園で。

 彼が私に、何か魔術のようなことをしていたという、あのもやのかかった記憶は、夢ではなかった。


「だが、俺の儀式は失敗した」


 彼の声が苦悩にわずかに震える。


「俺の力はあまりに未熟だった。お前の強大な力を無理やり押さえつけようとした結果、大爆発を引き起こし、逆にお前の魂に癒えることのない『傷』を刻んでしまったのだ。……俺の魔力波長を、お前の魂に無理やり上書きするという、呪いの傷を」


 そう。私とお兄様の魔力波長が酷似していた理由は、血の繋がりなどではない。彼が私の魂に直接刻み込んだ、罪の痕跡だ。


「そして、その暴走した力の余波が、近くにいた一人の無垢な少女を襲った」


 彼の視線が、私の隣に立つレノーアへと向けられる。

 彼女は固く唇を結んでいる。


「自らが犯した罪の重さに、俺は絶望した。だから全てを隠蔽し、二つの目的のために動き始めた」


 彼は自らの歪んだ愛情と、独りよがりな計画の全てを告白した。

 一つは、罪の証拠である私自身を、誰にも知られぬよう自らの管理下に置くこと。力をこれ以上暴走させぬよう、常に監視し続けること。そのための「安全装置」として、同じく被害者であるレノーアを保護し、英才教育を施して私の側に配置したこと。


「そして、もう一つは」と、彼は言った。


「自らの罪を償うため、エレアを救う方法を探し続けることだった。俺は、お前の力がいつか完全に安定し、あの『崩壊』が反転して『再生』の奇跡を起こせるようになる、その日を待ち続けていた。……昔、俺の部屋で『古書』を読んだな?」

「ええ。魔力放出と、筋トレの方法が書かれたものを読みました」

「実のところ、あれは古書などではない。俺がでっち上げたものだ。魔力の放出は、お前の魔力が暴走しないための措置だった」


 私が筋トレを始めるきっかけとなった、あの『古書』さえも。全ては彼の仕組んだことだった。

 いびつで、独りよがりで、そして妹への愛情と罪悪感からくる行動だった。


 全ての告白を聞き終えた。

 私の頬を涙が静かに伝っていた。

 怒り、悲しみ、そして兄がたった一人で十年もの間背負い続けてきた、重い苦悩への同情。全ての感情が私の心の中で渦を巻いていた。


 レノーアは、長年の憎しみの対象であった男の、あまりに人間的な動機に、ただ立ち尽くしている。

 私はそんな兄の前に一歩、進み出た。

 そして、彼の罪悪感に濡れた瞳をまっすぐに見つめて告げた。


「お兄様がしたことは、決して許されることじゃない。あなたは私と、レノーアと、エレアさんの十年という、かけがえのない時間を奪った」


 彼の肩がびくりと震える。


「でも、私もあなたと同じ。私も自分の力が誰かを傷つけることを知っていて、目を背けていた。……だから」


 私はそっとその白い手を伸ばし、兄の冷たい頬に触れた。


「もう、一人で苦しまないで」

「……リゼロッテ?」

「私が、あなたを、赦すから」


 聖母のような、絶対的な赦しなどではない。どうしようもない力を持ち、同じように誰かを傷つけてしまった罪人としての、共感。

 そして、この悲劇の連鎖を断ち切り、未来へ進むための決別の言葉だった。


「これからは、前に進むんです。お兄様。共に贖罪しょくざいをしていきましょう」


 お兄様はまるで子供のようにその顔を歪ませると、その瞳から一筋の涙をこぼした。

 彼の、十年という長かった呪いが、解けた瞬間だった。


 東の空がゆっくりとその色を変え始めていた。

 演習場の跡地に静かな夜明けの光が差し込み始める。

 私たちの長く、暗い夜が、ようやく終わろうとしていた。

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