第44話 幽霊の風聞
兄の書斎から戻り、数日が過ぎた。
部屋の中は連日の作戦会議で、重苦しい空気が澱んでいる。
「……やっぱり、私がおとりになるのが一番確実よ」
「いけません、お嬢様。あまりにも危険すぎます。彼の太刀筋は尋常ではなかった」
「ですが、レノーア。彼が最も警戒しているのは、リゼロッテ様の魔力に対してです。論理的に考えれば、魔力放出でおびき寄せるのが得策かと……」
「では、その後の魔力が空になった状態で、お嬢様に戦えと仰るのですか? 勝ち目がありません」
「それはそうなのですが……」
堂々巡りだった。
私がおとりになる。レノーアが反対する。ヴェロニカが決めあぐねる。私たちは、この袋小路から抜け出せずにいた。
その膠着した空気を破るように。
コン、コン、と。部屋の扉が、控えめにノックされた。
「……どなた?」
「ごきげんよう、リゼロッテ様。わたくしですわ」
聞き覚えのある、どこか猫なで声のような響きに、顔を見合わせた。
レノーアが音もなく立ち上がり、扉を開ける。
コルネリア・アウレリアンだった。
数冊の分厚いファイルを小脇に抱え、まるで約束の時間にでも来たかのように、にこやかに微笑んでいた。
「あら、まだそんなことでお悩みですの? 決戦の場所くらい、とっくに突き止めておりますわよ」
彼女は私たちの返事を待つでもなく、部屋にずかずかと入ってくる。それから、テーブルの上に、どさりとファイルを置いた。
「……これは?」
「噂の『黒鎧の幽霊』に関する調査報告書ですわ。ここ数ヶ月の、学園内における彼の目撃情報を、全てまとめたものですの」
私たちは息を呑んだ。
皆で一つの真実にたどり着くために、命がけで動いている間に、コルネリアは独自の調査をここまで進めていたというのか。
そんな私たちの驚きを楽しむかのように、コネルリアはファイルの最初のページを開いた。
「いくつか興味深い目撃証言がありますわ。まずこちら。園芸部の生徒からですわね」
彼女が指し示した報告書には、こう記されていた。
『――夜中の温室の近くでした。真っ黒で大きな人影が、中庭の花壇にこっそりお水をあげていたんです。大きな剣を背負っていて、最初はすごく怖かったんですけど、その手つきが、なんだかとても優しくて……。もしかしたら、お花が好きな、優しい幽霊さんなのかなって……』
「……は?」
「次に、こちら。図書館の司書の先生からですわ」
『――閉館後の図書館の隅ですね。例の鎧の方が、子供向けの……それはそれは簡単な騎士道物語の絵本を、ずーっと、微動だにせず、眺めておられました。何時間もです。ただ不思議なことに、一度もページはめくっておられませんでしたが……』
「なんなの、それ……?」
「極めつけは、これですわ。方向音痴で有名な、下級生の生徒の証言」
『――先日、学園の森でまた道に迷ってしまいまして。泣きそうになっていたら、その鎧の方が音もなく現れたんです! 無言で、ずんずん先を歩いていくので、必死でついていったら、なんと森の出口に着きました! 助かったと思って、何度もお礼を言ったら、その方は無言でこれを……』
報告書には、一枚のスケッチが添えられていた。
紫とオレンジ色の禍々しい斑点模様を持つ、見るからに毒々しいキノコの絵が。
「……」
「……」
「……」
部屋が完全な沈黙に包まれる。
花を愛で、絵本を眺め、迷子を助けて、毒キノコを渡す、黒鎧の刺客?
あまりにも、シュールすぎる。
私が頭を抱えていると、ヴェロニカが、わなわなと震えながら呟いた。
「い、意味が分からない……! 行動に、一貫性も、論理性も、何も無い……! こんな非論理的な存在が、あって、いいはずが……!」
「確かに私も一度は助けてもらったけど……レノーア、あなた、こういう人を上司にもっていたの……?」
「私が対峙してきた彼とは、まるで別人です。無駄なことは一切しないような人でしたが……」
レノーアもまた、自分が渡り合ってきた相手とのギャップに、複雑な表情を浮かべていた。
コルネリアは、そんな私たちの反応を満足そうに眺めると、おもむろに一枚の大きな地図を広げた。
「彼の行動は一見、支離滅裂。けれど、わたくしはこれらの目撃情報を全て地図にマッピングし、その日時と場所の相関関係を分析いたしましたの」
彼女の瞳が、名探偵のそれへと変わる。
「ただ一つ、共通点がありますわ。それは、出現場所が必ず学園の森の奥にある、あの古い演習場の跡地の周辺だということ。そして彼は満月の夜、必ずその演習場の中心に一人で現れます。誰かを待っているかのように」
はっとした。
一見、無意味に見える行動。その全てが一つの場所に収束していく。
旧演習場といえば、私が『朝練』を行っている場所だ。すべて観測されていたのか。
「そして次の満月は──明日ですわ」
コルネリアは静かに告げた。
「決戦の時は来たようですわね? リゼロッテ様」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます