第40話 風聞の名探偵
夕暮れの中庭。コルネリア・アウレリアンが持ち掛けた、蠱惑的な取引。
その言葉の真意を測りかねて、私たちは、ただ彼女の顔を見つめ返すことしかできなかった。
沈黙を破ったのは、ヴェロニカだった。彼女は、すっと一歩前に出ると、まるで怪しげな論文の査読でもするかのように、冷静な口調でコルネリアに問いを重ねた。
「……お言葉ですが、コルネリア様。貴女がその『秘密の書斎』の場所をご存じだという、客観的な根拠はどこに?」
「あら、疑り深いのね」
「当然です。次に、仮にその情報が真実だとして、貴女はそれをどうやってお知りになったのですか。私たちの調査は、決して誰かに気づかれるようなものではなかったはずですが」
「ふふ。可愛いわね、ヴェロニカさん。良いこと? 探し物というのはね。埃っぽい書物や、魔道具の反応を追いかけるばかりでは、到底たどり着けないものですのよ」
コルネリアは、ヴェロニカの理詰めの追及を、柳に風と受け流す。その態度は、どこまでも余裕に満ちていた。
「わたくしは物理的な証拠ではなく、人間を観察しますの。とくに、アラリック様のような完璧に見える方ほど、その僅かな心の綻びは、どんな証拠よりも雄弁に真実を語ってくださいますわ」
「……非論理的です」
「そうかしら? 人の心こそ、この世で最も複雑で面白い研究対象だと思いましてよ?」
ヴェロニカが言葉に詰まる。論理の怪物である彼女にとって、コルネリアの感覚的かつ本質を突くようなやり方は、最も対処しづらい相手なのだろう。
今度は、今まで沈黙を守っていたレノーアが静かに口を開いた。
「お嬢様。この取引は危険すぎます」
「レノーア……」
「お嬢様の……ローゼンベルク家の根幹に関わる秘密をこの方に渡すなど、危険極まります」
レノーアの言うことは、もっともだった。コルネリアには、悪魔のような一面がある。彼女に弱みを握られることが、どれほどのリスクを伴うか見当もつかない。
それでも。
私の心は、もう決まっていた。
このまま答えの出ない謎かけに頭を悩ませて時間を浪費し続けることは、何か取り返しのつかないことに繋がる。頭のどこかで、ずっと警鐘が打ち鳴らされているのだ。
「いいでしょう」
その一言に、三人の視線が私に突き刺さる。
「取引を、お受けいたします。コルネリアさん」
「お嬢様!」
「リゼロッテ様、本気ですか!?」
驚く二人を、手のひらを向けて制した。そして、まっすぐにコルネリアの瞳を見つめ返す。
「このまま、何も分からずに立ち止まっている時間はないの。それに……」
私は、言葉を続ける。
「あなたも、知りたいのでしょう? この世界の理から外れた、私のこの『力』の正体を。私たちの辿り着く先を。ただスキャンダルを暴きたいだけなら、こんな面倒な取引は持ち掛けないはずよ。あなたのその好奇心はある意味、私たちと同じ場所を向いている。……そうでしょう?」
賭けにも似た言葉。
コルネリアは一瞬だけ、驚いたように目を見開いた。しかし次の瞬間には、その口元に、今までのどんな笑みよりも、深く満足そうな笑みを浮かべていた。
「……ええ。ええ、そうですわ。リゼロッテ様。やはり貴女は……ふふ、面白い方ですこと」
「よろしい。では、取引成立ね」
その言葉と共に、中庭の緊張が、ふっと、緩んだ気がした。
コルネリアはもったいぶるでもなく、いともあっさりと「答え」を私たちの前に開示してみせた。
「では『秘密の書斎』の場所ですが。それは、ローゼンベルク公爵邸の、歴代当主の肖像画が並ぶ、あの長い廊下。その一番奥に飾られている、初代当主アルブレヒト様の、巨大な肖像画の裏にありますわ」
「……え?」
あまりにも意外な、そしてあまりにも身近な場所。
私が何度も、何百回も、その前を通り過ぎてきた、あの場所に?
「なぜ、それを……」
「先ほども、申し上げましたでしょう? わたくしは、人間を観察する、と。どれほど堅固な壁に囲まれたお屋敷でも、人から人へ渡る噂話には関係がありませんわ。他愛のない噂話も、たくさん集めて精査して、ひとつの方向性を見いだせれば、立派な情報となりますのよ」
コルネリアは、楽しそうに自らの推理の種明かしを始めた。
「アラリック様は、毎晩公務を終えて帰宅されると、必ずその肖像画の前で、ほんの数分、足を止められますの。まるで一日の報告でもするかのように。……あの方ほどの合理主義者が、ただ感傷に浸るためだけに、そんな無意味な習慣を続けるはずがありませんわ。そこには必ず物理的な『何か』がある。そう、確信しておりましたの」
誰の目にも触れる、公爵家の廊下。
けれど、その肖像画の裏をわざわざ調べようとする者など、誰もいない。
開かれているようで、完璧に閉ざされている。
アリスター先生のあの『謎かけ』の答えが、いま目の前で、鮮やかに解き明かされた。
私たちは、その見事な推理に、ただ圧倒されるばかりだった。
「ではわたくしは、これにて。……吉報をお待ちしておりますわ」
コルネリアは優雅に一礼すると、静かにその場を去っていった。
後に残されたのは、呆然とする私たち三人。
しかし呆然としていたのは、ほんの一瞬だった。
「……急ぎましょう!」
顔を見合わせると同時に、駆け出していた。
場所は自室。緊急の作戦会議だ。
「公爵邸への潜入ですか……。部外者である私が、正面から入るのは不可能ですね」
ヴェロニカが、さっそく問題点を洗い出した。
「ええ。潜入するのは、私とレノーアの二人よ。ヴェロニカには、外から通信用の魔道具か何かで、サポートをお願いしたいわ。私たち以外に秘密の部屋が見つかると厄介だから。そうならないように出来そう?」
「承知いたしました。高感度の集音器と、魔力障壁の脆弱性を探る探知機を、急ぎで準備します」
「決行は、いつに?」
レノーアの問いに、私はカレンダーを睨みながら即答した。
「三日後よ。その日は、アラリックお兄様が王宮での合同訓練の監督で、一晩邸宅を留守にするはず。他の兄様たちも、今はそれぞれの任地で不在。……この日を逃したら、次はいつになるか分からないわ」
全てが決まった。
場所も、日時も、役割も。
あとは心を研ぎ澄まし、どんなことがあっても挫けないように準備をするだけだ。
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