第18話 三人の鍛冶師

「同調の儀式」を終えた翌日、私たちは再びアリスター先生の研究室に集まっていた。


「さて、お嬢さんたち」


 アリスター先生が作業台の上に、解体された魔道書の表紙と、私の魂の色に染まった『心臓石』を並べて置いた。


「これより、この二つを融合させ、『鞘』を完成させる。いいかね、作業は、三日三晩、中断することなく続ける必要がある。一度始めれば、後戻りはできん。誰か一人でも集中力が切れれば、心臓石は暴走し……そうだな。この研究室ごと、我々は塵になると思いたまえ」


 冗談なのか本気なのか見当のつかない先生の言葉に、ごくり、と喉が鳴る。

 それぞれの役割は、既に決まっていた。


 アリスター先生が総監督として、古文書の詠唱と全体の魔力調整を行う。

 ヴェロニカがシュタイン家の職人技を活かし、『魔導書の表紙』を『鞘』へと変換するための、極めて微細な術式ルーンを刻む。

 そして私が、同調した心臓石を核として、魔力を安定した状態で供給し続ける。

 レノーアは私たちの生命線。体調管理と食事の準備、そして外部からの侵入者を防ぐ、完璧なサポート役だ。


「では、始めようか」


 先生のその一言を合図に、私たちの長くて過酷な共同作業が始まった。


 アリスター先生の聞いたこともない古代語の詠唱が、研究室に響き渡る。その声に呼応するように、作業台の上の素材が、淡い光を帯び始めた。


「一世一代の大仕事です。……いざ」


 ヴェロニカは魔力で生成した針のように細いペンを握りしめ、鞘の表面に微細な術式を刻んでいく。

 その瞳は、もはや私やアリスター先生ではなく、眼前の作品だけを見つめる真剣な職人のものだった。

 一瞬の瞬きすら許さない。そんな気迫が、彼女の横顔から伝わってくる。


 私も研究室の少し離れた場所に座り、目を閉じた。

 荒れ狂う奔流のような力を一本の絹糸として、ただひたすらに紡ぎ続ける。


 私の魔力が心臓石を通り抜け、ヴェロニカが術式を刻むそばから鞘の素材を優しくコーティングしていく。

 それは、私の力の「崩壊」の側面を「抵抗力」で抑え込みながら、二つの異なる素材を繋ぎ合わせる、接着剤のような役割だった。

 私の右腕の境界線で普段から起きている、相反する魔力のせめぎ合い。身体の内側と外側とで、これほどまでに制御の感覚が違うものかと、実感せずにはいられなかった。


 単調だけど、少しでも気を抜けば全てが壊れてしまう、途方もない作業。

 皆で恐ろしく長い綱渡りをしているようなものだ。


 鍛造が二日目の深夜に差し掛かった頃。

 徹夜続きの作業で、集中力が切れ始めていた。私の供給する魔力の糸が、わずかに揺らぐ。

 その瞬間、作業台の上の鞘が、ピシッと、ガラスにヒビが入るような、嫌な音を立てた。


「リゼロッテ様、集中を切らしては!  貴女の魔力が乱れれば、私の術式も安定しません!」


 ヴェロニカから、鋭い声が飛ぶ。

 分かっている。分かっているけれど、瞼が、鉛のように重い。意識が、遠のいていく……。


 私が、うとうとと船を漕ぎ始めた、その時だった。

 そばに控えていたレノーアが、私の隣に音もなく静かに座り込んだ。

 ふわり、と柔らかな感触が髪に触れた。


「え……レノーア?」


 気づけば、私の頭は彼女の肩に預けられ、その重心を支えられていた。


「少しだけお休みください、お嬢様。ですが、魔力だけは繋いだままで……。私が、お側におりますから」


 彼女の肩の温もりと、落ち着いた声。近くで香る、陽だまりのような匂い。

 それに安心して、私は意識を手放しかけながらも、かろうじて魔力の供給を続けることができた。

 作業台の向こうから見ていたヴェロニカが、呆れたように小さくため息をついて呟いた。


「……随分と、仲がよろしいのですね? 私は、てっきり主従関係というのは、もっと厳格なものだと思っておりましたが」


 その皮肉な言葉に、カッと顔が熱くなる。

 けれど、今はそれが良い刺激になった。そう思うことにした。


 そして、運命の三日目の夜が訪れた。


 私たちの疲労は限界ギリギリだったが、その目には確かな使命感と、言葉にしなくとも分かる強い連帯感が宿っていた。


 鞘は、ほとんどその形を完成させている。黒曜石のように滑らかで、腕に吸い付くような美しい漆黒の籠手。

 もはや単なる魔道具ではなく、私たち三人(とアリスター先生)の魂が込められた、芸術品と呼ぶにふさわしい風格を漂わせていた。


 アリスター先生が額の汗を拭い、満足そうに頷く。


「よし……いいぞ、お嬢さんたち! 最後の仕上げといこうじゃないか。籠手と石を融合の魔法陣の上へ!」


 声と共に、研究室が、これまででひときわ強い光に包まれた。

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