第17話 月下の儀式
私の心は、昨日までの不安が嘘のように、達成感と、確かな自信で満たされていた。失敗を繰り返したおかげで、この呪われた力と、ほんの少しだけ対話できるようになった気がする。
制御の訓練に成功した翌日、私たちはアリスター先生の研究室に集まっていた。
「リゼロッテ嬢、君は見事に力の制御をものにした。いよいよ、心臓石との『同調の儀式』を行う時がきたようだね」
アリスター先生は、満足そうに頷くと、一枚の古い羊皮紙を広げた。そこには、学園の敷地の、詳細な地図が描かれている。
「そこで」と、彼は続ける「星の涙とも呼ばれる心臓石は、大地と星々の魔力を吸収して生まれる、極めて自然な鉱石だ。その力を最大限に引き出し、安全に同調を行うには、魔力的に清浄な『特別な場所』が必要になる」
「特別な、場所?」
「うむ。学園の森の奥深く、今はもうほとんど誰も訪れない場所に、小さな泉がある。『月光の泉』と呼ばれていてね。その地は、学園の敷地内を走るいくつかの『
「今夜、ですか?」
「そうだ。今夜は満月。月の力が最大になる。この日を逃せば、また一月待たねばならん」
今夜。その言葉に、私たちは顔を見合わせた。
再び、深夜に寮を抜け出すことになる。しかし、前回までとは違い、私の心には、恐怖や不安よりも、冒険に出かけるような、不思議な高揚感が満ちていた。隣に、二人の頼もしい仲間がいてくれるからだ。
*
真夜中。私たちは、月明かりだけを頼りに、学園の森の中を進んでいた。
昼間とは全く違う、森の夜の顔。不気味に枝を伸ばす木々の影が、まるで生き物のように足元で蠢いている。遠くからは、夜行性の鳥だろうか、聞いたこともない鳴き声が響いてきた。
「……本当に、この道で合っているんですか?」
ヴェロニカが、不安げに呟く。彼女の額には、うっすらと汗が滲んでいた。優等生の彼女にとって、こういう人の手入れが行き届いていない土地は肌に合わないのだろう。
「大丈夫です。アリスター先生からいただいた地図によれば、この先に泉があるはずです」
「なんであの先生は来ないのよ」
「こんな時間に出歩くなど規律に反する、と仰っていました」
レノーアは、小さな照明魔法を灯しながら、冷静に答える。
「なるほど。もし誰かに見つかったら、アリスター先生の名前を出してやりましょう。校則違反ほう助の罪で裁いてもらえます」
しばらく進むと、少し開けた広場に出た。
「お嬢様、ヴェロニカ様。少し早いですが、お夜食です。儀式には体力を使いますから」
そう言って、レノーアがどこからともなく、水筒と、綺麗にラッピングされた小さなサンドイッチを取り出した。その完璧な準備に、私とヴェロニカは目を丸くする。
「あなた、いつの間にこんなものを……」
「お夜食まで用意周到とは。貴女、従者の鑑ですね」
「お褒めに預かり光栄です」
月明かりの下、切り株に腰掛けて、三人でこっそり食べる夜食は、格別な味がした。レノーアの淹れてくれた温かいハーブティーが、緊張で冷えた身体に染み渡っていく。
「それにしても、パワースポットだなんて、半分迷信ですよ。学術的根拠の無い概念です」
「そうかしら? 私は、何だかワクワクするわ。こういうのって気分も大事なのではなくて? 知らないけど」
「貴女は、少しお気楽すぎます」
ヴェロニカはそう言って、ふい、と顔をそむけた。けれど、その横顔は、いつもよりずっと、年相応の少女に見えた。
森の最奥、木々が円形に開けた、その中心に、泉はあった。
古びた石造りの泉から、清水がこんこんと湧き出ており、その水面は、天に輝く満月を完璧に映し出し、まるで銀色の鏡のようだった。
周囲には、淡い光を放つ苔やキノコが自生しており、あたりは幻想的な光に満ちている。空気そのものが、濃密な魔力で飽和しているのを肌で感じる。
「綺麗な場所ね」
私は、靴を脱ぎ、祈るような気持ちで、冷たい泉の水に足を踏み入れた。
泉の中央にある、月光を浴びてひときわ白く輝く平らな石の上に、ヴェロニカから受け取った『心臓石』を、そっと置く。
訓練の成果を発揮する時だ。
私は指先に意識を集中し、安定した魔力の糸を、心臓石へと慎重に流し込み始めた。
けれど。
泉の満ちる清浄な魔力が、私の「崩壊」の力に共鳴し、予想以上の奔流となって溢れ出しそうになる。まずい、制御できない……!
私の周囲の水が、美しい銀色から、禍々しい黒へと、じわりと淀み始める。力の奔流が、私の意識を乗っ取ろうと、頭の中で囁きかけてくる。
――もっと、壊せ。もっと、楽になれ――
「お嬢様。しっかり」
「呼吸を整えなさい! 貴女はもう、ただの脳筋令嬢ではないでしょう! 私たちの四日間を、無駄にする気ですか!」
岸辺から、レノーアとヴェロニカの声が飛ぶ。
そうだ。私は、もう一人じゃない。私の後ろには、私を信じてくれる二人がいる。
私は、二人の顔を思い浮かべ、荒れ狂う力を、再び心の内で鎮める。
そして、もう一度、今度は完璧に制御された魔力を、祈りと共に、心臓石へと注ぎ込む。
「はぁ……っ!」
私の魔力と魂を受け入れた心臓石は、それまでの乳白色の輝きを失い、内側から、深く、静かなチャコールグレーの光を放ち始めた。
それは、私の魔力の色。私の、魂の色。
石の脈動が、私の心臓の鼓動と、完全にシンクロする。
「……できた」
「同調」は成功した。
私たちは、次のステップへ進むための、最も重要な鍵を手に入れたのだ。
月明かりの下で、黒灰色に輝く石を見つめる私たちの顔を、確かな達成感が照らしていた。
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