鋼鉄の姫君、魔法を学ぶ[ワールドルールガイド:あるいは理論パート]

めぐるわ

第01話 鋼鉄の姫君、未知の星へ

 数百の恒星系を束ね、銀河の一角に君臨するアーゼ帝国。その版図は、人や物の星間輸送を可能にする発達した機械工学と、星々の連携を可能にする高度な情報工学によって編まれた、緻密なネットワークで結ばれていた。


 帝国の繁栄を体現するかのような豪華客船「ヨロヅハタ」は、高次元航路を滑るように進んでいた。船内のグランドラウンジでは、人工重力下で穏やかな時間が流れている。窓には航路図や現在位置とともに仮想の星空が表示されており、乗客たちも慣れたもので気に留めることもなく優雅な午後のひとときを楽しんでいた。


 その特別な一角。ひときわ豪奢なソファに腰掛ける一人の少女がいた。皇帝の第十皇女、キクリ。齢十八にして、その名は帝国中に知れ渡っている。白磁のように滑らかな肌と、蜂蜜のような黄金色の髪。だが、彼女の真価はその人形めいた美貌にはない。


「このミード、甘味と酸味の調和が見事ですわ」


 キクリはそう言って、細くしなやかな指でグラスを傾けた。シャンデリアの光を反射してきらめくその指先は、しかし、血の通った肉体ではない。帝国最高峰の技術を結集して作られた戦闘用義肢だ。幼い頃に巻き込まれたテロの結果、彼女は四肢のほとんどを機械化された。そして、その能力は「最終兵器」ともいえる、帝国の藩屏なのである。


 額の中央で、小さなオパールが静かな光を放っている。宝石型のParallel-Think-AI「ミョーブ」。彼女の思考を並列化し、常人では及びもつかない情報処理能力を与える、第二の脳だ。


《それにしても。ミョーブ、退屈ですわ》

《では、ライブラリから最新論文をダウンロードしてご覧になりますか? それとも、留学先の歓迎レセプションについて再シミュレートをされますか?》


 内心の思考通信に、音声情報が即座に応える。キクリは優雅にミードを味わいながら、ゆっくりと考えを巡らせて。

 まさに、判断を下そうとしたときだった。


 強い衝撃が船体を揺るがし、重力制御が一瞬乱れる。グラスが宙を舞い、床に叩きつけられて甲高い音を立て砕け散った。直後、船内全域にけたたましい警報が鳴り響き、穏やかだった照明は不安を煽る赤色光へと変わる。


「……何事です?」


 侍従が驚きの声を上げ、乗客たちの間にはパニックが伝染していく。

『緊急警報! 緊急警報! 本船は潜伏していた所属不明の武装集団による多発蜂起により、ハイジャックされました! 乗客の皆様は、その場で動かないでください!』


 切羽詰まった館内放送が、ラウンジに響き渡る。その言葉を裏付けるように、重々しい足音とともに、武装した男たちがなだれ込んできた。強化外骨格に身を固め、プラズマライフルを構えたテロリストたちだ。


「全員動くな! 抵抗すれば黒焦げだぞ!」


 リーダー格と思しき男が、濁声で威嚇する。その目が、ソファから静かに立ち上がったキクリを捉えた。男のヘルメットの奥で、下卑た笑みが浮かぶのが分かった。


「見つけたぞ、『人形姫』第十皇女キクリ。この船ごと、お前を接収させてもらおう。これからは、俺達の『操り人形』になってもらう!」


 銃口が、真っ直ぐにキクリへと向けられる。侍従が彼女を庇おうとするが、キクリはそれを人工の手で制した。その表情は、先程までミードを嗜んでいた時と何ら変わらない、穏やかな微笑みのままだ。


「まあ、下賤の輩。わたくしに銃口を向けるとは、万死に値する不敬ですわね」


「何だと?」


「お父様の庭で好き勝手に振る舞うその無礼、このわたくしが躾けてさしあげますわ。よろしくて?」


 次の瞬間、キクリの姿が掻き消えた。いや、常人の目にはそう見えただけだ。彼女の優美な義足に備え付けられたスラスターが、微かに煌めく噴射の輝きを幻想のように残しながら、その身体を加速させていた。


「ぐっ!?」


 テロリストの一人が呻き声を上げて吹き飛ぶ。強化外骨格の胸部装甲が、まるで紙細工のようにくっきりとへこんでいた。華奢な脚による、しなやかな回し蹴りの一撃だった。


「な、なんだは!?」


 動揺するテロリストたち。キクリはまるで舞踏を踊るかのように、その中心をすり抜ける。彼女の細く艶めく指先から、きらりと光る糸が放たれた。単分子ワイヤー。それは鞭のようにしなり、男たちの持つプラズマライフルを瞬時に絡め取ると、容易く切断してしまう。


《プリンセス。右後方より三名、熱源接近》

《わかっていますわ、ミョーブ》


 キクリは振り向きもせず、麗しい肘を僅かに開く。関節部に隠された砲門が姿を現し、重力子が凝縮された不可視の弾丸が撃ち出された。


「ゴフッ!」


 轟音はなく、ただ空間が歪むような衝撃波だけが走り、背後から迫っていたテロリストたちが歪な輪郭になって沈黙する。むこうの壁には、まるで巨大な拳で殴りつけたかのようなクレーターが刻まれていた。


 わずか数十秒。一個小隊に匹敵するテロリストたちは、誰一人キクリに触れることさえできず、無力化されていた。


「姫様! ご無事で!」


 そこへ、ようやく皇帝近衛師団の精鋭たちが駆けつける。彼らの顔には安堵と、皇女の規格外の戦闘能力への畏敬が浮かんでいた。


「遅いですわね。あなた方がいなくとも、この程度の輩、わたくしの化粧直しの時間にもなりませんわ」

「はっ! 申し訳ございません! しかし、航行機能が破壊されたようで、この船での帰還は困難です。どうか、避難艇にて脱出を!」


 近衛兵の言葉に、キクリは忌々しげに眉をひそめた。

「……仕方がありませんわね」


 護衛され、キクリは避難艇が格納されたドックへと急いだ。通路の先々で散発的な戦闘が起こるが、彼女の前では障害にすらならない。単分子ワイヤーが敵を薙ぎ払い、重力子弾が障壁を粉砕する。


 避難艇のハッチが見えた、その時だった。

 船体の一角で、閃光と共に大規模な爆発が起こった。凄まじい衝撃波が通路を駆け抜け、護衛がキクリを庇うように覆いかぶさる。


「殿下、お早く!」


 彼は最後の力を振り絞り、キクリを艇内へと押し込んだ。船外へと続く隔壁が開く直前、キクリは見た。爆炎に呑まれていく忠実な兵士たちの姿と、崩壊を始めた「ヨロヅハタ」の船体を。


「……ッ!」

 唇を噛み締め、キクリは操縦席に座る。


《ミョーブ、操艇を》


 避難艇は母船から緊急離脱し、超空間の奔流の中へと飛び出した。だが、安堵する暇はなかった。

 爆発の余波は、あまりにも大きかった。艇内の計器までもがあちこちでエマージェンシーを表示し、警報が鳴り響く。


《警告。超空間航行システムに致命的エラー。制御不能》

「なんですって!?」

《「ヨロヅハタ」爆散の影響により、高次元ワームホールが破綻しかけています。超空間離脱シーケンスに強制移行します》


 ミョーブの冷静な声が、絶望的な状況を告げる。窓の外の景色が、歪んだ現実空間へと引き戻される。

 視界に飛び込んできたのは、ひとつの惑星だった。


《警告。大気圏へ突入します。耐熱フィールド展開、維持率78%。姿勢制御42%、予測される着陸地点の座標不明。衝撃に備えてください、プリンセス!》


 凄まじいGがキクリの身体をシートに押し付ける。艇は火の玉と化し、眼下に広がる原始の森へと一直線に落ちていく。


「まあ……なんて不思議な、美しい星なのでしょう」


 それが、意識を失う前に彼女が紡いだ最後の言葉だった。

 激しい衝撃と金属の引き裂かれる轟音。全てが闇に包まれ、静寂が訪れる。


 どれほどの時間が経っただろうか。

《……システム、再起動。バイタル、安定。艇損傷レベル、大破。プリンセス、ご無事ですか?》


 額のミョーブからの呼びかけで、キクリはゆっくりと意識を取り戻した。身体を打った鈍い痛みを感じながら、瞼を開く。避難艇は大きな湖の上に揺れて浮かんでいた。壊れたハッチの隙間から、植物の匂いと湿気を帯びた生暖かい空気が流れ込んでくる。


 鳥とも獣ともつかない、未知の鳴き声が遠くから聞こえる。


「……ここは、どこですの?」


 彼女の問いに答えられる者は、もはや額で静かに光るAIしかいなかった。アーゼ帝国第十皇女キクリの冒険が、始まろうとしていた。

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