食い逃げ
山本京斗
第1話
僕は辛いことや苦しいことは後から来るものだと考えている。多くの経験を経て外的な、一般でいうところの実力というものよりも、内的な、自信や自己肯定感というものが勝ることになってしまう。本来小さいはずの実力を認めることができない内的感情が行列に横入りして先に食べてしまうのだ。もちろん努力や鍛錬は必要だろう。しかし、多くの人間は努力や鍛錬を積めば辛いことは減ると考えている。実際のところそれは最終的にゴールに辿り着いた人間がそれまでの過程を振り返ってみたときに初めて感じることだ。しかし、過程自体は非常に苦しい道であり、全くの逆であると僕は思う。
その点、僕は幸運だった。僕は小学生の頃までしか両親がおらず、辛いことや苦しいことはそのときに一通り経験できたと思う。人と違う、ということは幼い人間からしてみたら相手を嘲るための格好の標的なのだ。僕は人とは違った。ほとんどの人が当たり前にいるはずの親がいないのだ。人が相手を自分と違うと判断する際、自分の経験を信じれば信じるほどその差異は大きくなる。幼い人間ほど純粋に自分の経験を信じる。そのため幼い頃の方が自分と他人の差異を感じやすいのだ。
これは人を高圧的にもさせてしまうし、自信を削ぎ落とすためのナイフにもなる。知っていないと逃げられない若さゆえの宿命なのだ。
僕はそのことを割と早いうちから知っていた。知っていたというと傲慢すぎる気もするけれど、知っていたのだ。他のクラスメイトよりも圧倒的に多くの大人と関わってきたからだ。施設には親よりは少し遠く、教師よりはぐっと近い距離感の大人たちがいた。その大人たちは僕に多くのものを授けてくれた。その参考文献は僕のお守りとして僕のそばを歩いてくれるようになった。
摂氏三十五度を超えて鉄棒が歪み始めたそんな昼下がり。大人の目に映る僕は思ったよりもまだ少し小さくて、たまにふく小さい風にさっとくすぐられている目の前の大人はなんだかマネキンみたいで。丁寧に絵の具をつけたマネキン。ちゃんと喋れるようにスピーカーと辞書が内蔵されたマネキン。いつか絵の具が剥がれて黒目も唇もないようなマネキンが出てくるかもしれない。でも多分それは僕の前に現れることはなくて、大人ってそういうものなんだなと思った。ファブリック調のその頬は大人にしては子供のようで僕にとても近い気がした。落ちそうな絵の具をさっと守るように汗を拭きとる右手は今日の朝食みたいだった。その人は朝食の時いなかったし、お腹が空いたのかも、と心配になった。走り回った庭も、毎日漫画を読んだラウンジ風のリビングも少しだけ狭く感じるようになった。暑くて眠れなくてそんなことを考えた夜をたまに思い出す。ボタンひとつで快適になれたはずなのに僕は大人になりたくて我慢した。大人はみんなもったいないってよく言う。エアコンももったいないからって我慢した。僕はおとなをトレースするようになった。だから僕は子供の期間が短い。少し寂しいような気もするけど、別に不満はないし、子供に戻りたいとも思わない。
今の僕は自分とか自分と他人のギャップについて考えることが少なくなった。自分が自分になって、他人が他人になったからだ。僕は何もない田舎に温泉を掘り当てた億万長者なのだ。苦しそうに走り続けている人間も、全力で動かず澄ましている人間も落ち着いて俯瞰して見ることができた。友達のいないダンゴムシの一人下校を見ても何も感じないように僕は少し高いところからみんなを見渡しているのだ。
「今日は何時ごろ帰ってくるのー?」
「まだわかんないけど早めに帰るよ。」
彼女の名前は深雪。二年と少し交際している僕の恋人だ。一五〇センチメートルにも満たない身長で、かわいらしい後ろ姿をしている。しかしこちらを振り返ると少し尖った眼をしている。特別尖った眼ではないと思う。それでも他のちょっと丸い鼻とか小さい手のひらがそう感じさせる。最近やっとわかってきたことがある。彼女には『かたいもの』がある。
それがどうかたいのかもわからないし、何がかたいのかもわからない。どんな漢字で彼女を表したらいいのかわからないけれど、とにかくかたいのだ。その『かたいもの』は目に見えないものなので普段は穏やかだし、何かヒステリックになることもない。少し尖った眼を忘れさせるほどにかわいらしい女の子なのだ。
「尽〜。」
彼女はただ名前を呼んで僕に微笑みかけた。彼女が以前言っていたことだが言葉や行動には必ず彼女なりの考えとかその言葉以上の意味が付帯しているらしい。
いってきますとおかえりのキス、寝る前に必ず唱える愛の言葉、週に六度のセックス。その中にも必ず意味がないといけないらしくて僕はその時から言葉に付帯する意味について考えるようになった。いやもっともそんなものは必要ないと僕は考えている。
意味。僕は行動や言葉には最初から意味が付帯していると思う。何か考えを起こして、意味を持たせた思考の上に行動や言葉は存在する。だからそれだけで十分なのではないかと思う。もともとあるものにさらに何かを付け加えるという行為は失礼なのではないかと思う。仮に付け加えた意味がどれだけ綺麗でも、どれだけ素敵でもだ。なんだか気持ち悪い。二重敬語のようなもので。
革靴の紐を縛っていると彼女が走ってきた。求められた愛を壊れないように同じくらいの力で返す。
「行ってらっしゃい、大好きだよ。」
彼女の充足感に満ちた表情はもともとの尖った眼を忘れさせるほどに溶けていてまるで僕の妹を初めて見た時の祖父のような顔をしていた。僕もきっと彼女と祖父と同じような顔をしていたと思う。それだけ今の僕は幸せで誰にも何も奪われるわけにはいかないと思ってた。
雨の日はみんなが言うほど嫌いではなかった。
「雨の日、カラスはどこにいるの?」
昔、幼稚園の先生に質問したことがある。当時すごく不思議に思ったことをよく覚えている。
施設の横には大きなゴミ捨て場があってそこにはいつも二、三羽のカラスが集まっていた。
でも雨の日にその姿を見たことはほとんどない。
「カラスはね、雨が嫌いだから家に帰っちゃうんだよ。」
先生はそういっていたけど、嫌いとかのレベルではないと思う。そもそも外に出ることが困難なのだ。彼らが持った武器は空を飛ぶための翼である。空を駆ける彼らを見て僕らはその自由さを羨む。高いところから獲物を見つけ駆け降りてくる姿に憧れる。いつでも羨まれる彼らは果たしてその武器を誇りに思っているのだろうか。自然にはどうしても勝てず、自分よりもずっと低くて狭いところにいるはずなのに気づけば自分を見下ろすような巨大な飛行物体を作り上げたその頭脳。自分よりも天候にはずっと強いし、小石程度では痛がりもしない。
雨の日はみんなが言うほど嫌いではなかった。僕がどれだけ優位なところにいて、どれだけ強いか教えてくれるから。笑う声が聞こえなければ僕は一人で歩いていける。僕を救う人もいないけれど家に帰れば暖かい声だけが聞こえる。色づく雨は言葉だけを消してくれる。僕が生きている意味を赤の他人が教えてくれる。
僕は六本木のセレクトショップで働いている。洋服やアクセサリーはもちろん、花や香水など人間のライフスタイルをコーディネートするためのアイテムたちが並べられている。僕はここが好きだ。ここといっても六本木の街自体は別に好きではないし、広く言えば東京は好きではない。ただ、この店にいるときはとても楽になれる。僕をカタチづくっているのは、感情やその時の突発的な気分ではなく、僕を囲むアイテムたちなのだ。そんな僕を気遣うようなアイテムたちがこの店にはある。
「いらっしゃいませ。こちらのジャケットは弊社が手がけるブランドでして、SDGsの観点から再生繊維を使用して製作したものになります。もちろん防寒性や着心地にはこだわっておりますので満足して着用していただけるかと思います。」
僕は敬語が好きだ。敬語は学生の頃には相手を上げる、自分を下げるなどといった言葉で教えられてきた。自分以外もそうだと思う。しかし、僕はそうは思わない。むしろ敬語は相手と対等に話す手段ではないかと思う。確かに一方だけが敬語を使えば相手との格差が生まれるだろう。先生が正しい。しかし、この日本という国では初対面の人には敬語で話すというステレオタイプがマイクロチップとして埋め込まれている。そうしてみると、敬語で話す、ということはフレンドリーな接し方なのではないだろうか。敬語をタメ語に、タメ語を傲慢後とかに改名した方がいいと思う。言葉自体が意味をなすと考えているからこそ、自分に納得のいかない言葉があると、バラバラにしたくなってしまう。一から作るよりも完成品を見ているから作りやすいのだろう。僕は今日も大して売り上げを伸ばせないまま時計が目を瞑ろうとしていた。
食い逃げ 山本京斗 @yamamoto-
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