【アメリカンニューシネマを再度見る】連載①「俺たちに明日はない」
@masareds
第1話 「俺たちに明日はない」
なぜ、今アメリカンニューシネマを再度論評するのか。今「時代の大転換」を迎えているからだ。アメリカの分断、世界の分断、民主主義への疑念などが世界を取り巻いているからだ。まさにアメリカンニューシネマがうまれた時代とマッチしているからだ。これからアメリカンニューシネマの論評を連載していく、
第一弾は、アメリカンニューシネマの先駆的な作品となった「俺たちに明日はない」だ。この映画が作られた1967年の時代背景には、ベトナム戦争が大きな影響を与えている。アメリカは、世界の盟主、警察であり世界の正義の味方であった。それゆえニューシネマ以前は、正義が重んじられ、美男美女が登場し、ハッピーエンドで終幕するというお決まりのパターンの映画が大多数をしめていた。
ベトナム戦争とは当初正義の戦争であった。しかし次第に強国アメリカが弱者ベトコンを虐殺していることが明らかになる。アメリカ国民の戸惑い。「俺たちは正しいのか」という疑念からのフラストレーションが巻き起こってきたのではなかろうか。まさにこのフラストレーションがなければアメリカンニューシネマはうまれなかったと考える。
「俺たち明日はない」はアンチヒーローの映画だ。時は1931年。世界大恐慌の真っ最中である。実在した強盗犯ボニーとクライドの物語だ。冒頭ボニー(フェイ・ダナウエィ)の真っ赤なルージュのクローズアップで始まり全裸で二階から車を盗もうとするクライド(ウオーレン・ビューティー)に声をかける。クライドは強盗だと自己紹介する。二人は街へ行く。貧乏と退屈とフラストレーションしかなかったボニーの心を的確によみあてるクライド。自分を理解し生活が一変することを望みクライドにひかれクライドと強盗の旅を決意する。
この映画はボニーとクライドの激烈なラブストーリーである。それもほとんどがプラトニックにもかかわらず。クライドは性的不能者であった。それでもボニーはクライドを愛した。クライドもボニーを愛し守った。クライドが性的不能者であり左足の指を切断し片足を引きずる障碍者が強盗、悪人でありつつ弱い面も持っている。
ボニーとクライドは悪党ではない。強盗しかしない、人を殺さない悪人の気持ちしかなかった。しかし悪人として追われるうちに人を殺し悪党になる。クライドの本心ではない。ボニーとクライドは、もう人を殺しても生き延びるしかなくなった。アメリカもベトナムで悪党になるつもりはなかったが、圧倒的武力でもって悪党になってしまった。
ボニーが母親に会いにいき、母親から悪党になったから一生逃げるしかない人生だと言われショックを受ける。ボニーは、自分の人生と死ぬことへの諦念がうまれる。それでもボニーとクライドが初めて一つになったときのこれからの人生を夢見る姿がはかなさを誘う。
ボニーとクライドは何に突き動かされていたのか。世界大恐慌による貧乏とフラストレーションだ。ボニーとクライドの映画はなぜ作られたのか。アメリカのベトナム戦争への不満とフラストレーションの爆発だ。
今までのアメリカ映画の既存の常識を覆す圧倒的な暴力の露出。銃撃戦、カーアチェイス、そして伝説的なラストシーンの「死のダンス」。踊るように警察の銃弾に蹂躙されるボニーとクライド。エンドだ。
警察は強い者の権力だ。強い者は最後には勝つ。強いアメリカに対する疑念がアメリカンニューシネマをうみだしたのだ。ラストシーンボニーとクライドの銃撃に倒れる姿のむごさと美しさは強い者アメリカへのアンチテーゼであった。
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