『梅雨なのに 雨量足りずに 道端の アジサイすらも 干しアジサイに』
後を引くのが結句の『干しアジサイに』。
この『干しアジサイ』という言葉選びがとても好みでした!
梅雨の風物詩である紫陽花に水分が足りていないという状況。これがSFやファンタジーにならないほど、近年の夏の暑さは恐ろしいほど厳しく、梅雨時なのに雨量も芳しくはないことが困った話です。
この歌をよむと、道端の紫陽花がドライフラワー的な色合いになっているという光景がはっきりと浮かんでくるような気がします。
それだけでなく、『干しアジサイ』と聞くとなぜだか美味しそうな気がしました。魚の干物や衣のサクッとした食感などが脳裏に蘇ってきます。
場面を作り出す『梅雨』と結び付きが強い『アジサイ』という言葉に『干し』という言葉の質感が足されることで、ただ風物詩の紫陽花を形容するだけでに留まらず、様々な発想へと繋がる広がりが生まれたのだと思います。
この歌の他にも、日常の一場面を切り取るかのような歌がたくさんですので、是非楽しんでみてください。
素晴らしい作品をありがとうございました。