第一話 母がくれたハンバーグと、壊れた誕生日~蓮視点~

 俺は母の作るハンバーグが大好きだった。


 台所から漂ってくる、じゅうっと焼ける音と甘くて濃い香り。ピーマンの苦みを消すように細かく刻んで仕込まれたそれは、口に入れた瞬間ほろりと崩れ、優しい味が広がった。


 ――不思議なほど美味しかったんだ……。


 あの頃の俺はまだ喋ることが出来なかった。

 斎曰く、“見える力”の影響で“力”が強いため、小さな身体が耐えられず支障が出ている状態だったらしい。


 俺が喋れないせいで両親は離婚――母にとって俺は……。


 ***


 あの日、俺は八歳になる誕生日を迎え、少し浮かれていた。

 いつもより早く目を覚ますと、珍しく母が起きていた。

 俺はノートを取り出し、久しぶりに母におねだりをした。


『ママおはよう。 今日ね、ぼくおたんじょうびだよ! 夜ごはんはママのハンバーグが食べたいな』


 この頃はもう“忙しいから”とお金を置いていくだけの母だったが、ノートに書いた言葉を読んで少し考えたあと、作ってくれると約束してくれた。


「ママ、ちょっと出掛けてくるから、あんたも遅くならないうちに帰ってくるのよ」


 母が出掛けるのを見送り、俺も森へ向かうことにした。


 ――今日はきっと、いい日になる――


 そんな予感に背中を押されるように、心なしか足取りも軽く、色付いた葉がより鮮やかに見えた。


 いつもの滝つぼに着くと、小河童たちが生み出した花を、斎が風を起こして巻き上げ、花吹雪が俺の周りをくるくる回る。


 色とりどりの花たちが踊るように舞い、俺も一緒になって両手をあげてくるくると回ると、森の仲間も一緒に回り出す。 くるくるくるくる――


 ――目も回った。


 みんな足元をふらふらさせ尻もちをつくと、一斉に笑い出した。やっぱり、みんなといるのが一番楽しい。


「れんしゃん、おたんじょうびおめでとうなの。さくらいしっていうんでしゅ。きれいだから、あげるでしゅ!」


 一番初めに友達になった小菊河童が、綺麗な桜花が描かれたような小石をくれた。

 俺がぺこりと頭を下げ礼をすると、あちらこちらから誕生日を祝う言葉がかけられる。


「蓮しゃまおめでとおおおーー!!」

「れんれんーー!!おめでとうですーーー!!」

「蓮殿!おめでとうでござる!!」


 ≪ありがとう!≫


 言葉に出来ない代わりに、俺は心の底からの笑顔をみんなに向けた。

 斎は俺の頭を撫でると、紅葉した“ミセバヤ”を添えた包をくれた。


「蓮――我からの祝いだ」


 ≪あけていい?≫


 斎が頷くのを確認し、包を開けると……そこには可愛らしいお狐バージョンのミニ斎がいた。

 ふわっふわの毛並みに暖かな金色の瞳、目尻に入る朱まできちんと作られていた。


「それは我の式。お前に何かあれば動く。――守りになる、身に着けておけ 」


 斎の声は、いつもと同じ穏やかな響きで、でも、なんだか今日は少しだけ、優しさが多かったような気がした。


 ≪ありがとう!いつき、大好き!≫


 言葉の喋れない俺にとって、思うことで通じてくれる斎は一番の理解者だった。

 初めは不思議に思っていたけど、神社で神様に祈るとき、確かに声には出さないもんな……納得。


 斎たちと釣りをして取った魚を焼いたり、小河童たちが取ってきてくれた木の実やキノコを食べたりしながら、俺は斎に嬉しい報告をした。


 ≪聞いて聞いて!今日はね、ママがぼくの大好物を作ってくれるんだ!≫


「ほぉ、珍しいな」


 ≪あのね、ぼく、おたんじょう日だから、ママにおねだりしたんだ。そしたら“いいわよ”って言ってくれたんだよ!ぼくね、すっごくうれしくて、いつきにおしえなきゃって!!≫


「そうか、良かったな」


 ≪うん!≫


 俺はそう斎に自慢しながら、その後も妖怪たちと、とても楽しい時間を過ごした。

 楽しい時間ほど過ぎるのは早く、日が傾き始めた頃、俺はみんなに礼をすると、家路へと急いだ。


 ――記憶の中のケチャップソースの匂いが鼻孔をくすぐった気がした。


 ***


 玄関のカギを開け中へ入ると、部屋の中は期待どおりのケチャップソースの匂いと共に――アルコールの匂いが充満していた。


 床には転がった空きビンと……皿と共に投げ出されたピーマン入りのハンバーグ……。苦手だったピーマンを食べられるようにと、細かく刻んで練り込んでくれたのもだ。


 床に散ったケチャップソースが、まるで……


 ――血のようだった――


 顔を上げると、そこにはテーブルの上に突っ伏して片手に酒瓶を抱える母親の姿があった。


(ああ、まただ……。)


 嫌なことがあると酒を飲み、物に当たり散らす母の姿を幾度となく見てきた。

 俺は心配になり、母の肩を叩いた。


 ≪だいじょうぶ?≫


 気怠そうに起き上がると、酒瓶を持つ手と反対の手で肘を突き、額を抑え頭を支えた。


「ああ、帰ってきたの……」


 俺は頷き、冷蔵庫から水を出しテーブルへ置くと、散らばったハンバーグへ目を向けた。


「あー……あんた……誕生日だったわね……おめでとう〜」


 そう言いながらフラフラと立ち上がり、俺に抱き着き――そのまま倒れた。

 俺は母の下敷きになり、したたかに頭を打ち、目の前がチカチカとした。


 母がそのまま馬乗りになり、こう言った。


「……ハンバーグ……食べたいって言ってたよねぇ? ま〜ま〜が〜食べさせて~あ・げ・るっ!」


 軽く眩暈を起こしていた俺に、床に落ちていたソレを無理やり俺の口へとねじ込んできた。


「彼、嫌いなもの食わせたって怒って出て行っちゃったじゃない……あんたのせいよ……あんたなんか、あんたなんか――産まなければよかったのよ――」


 まるで腹の底から冷えるような声音だった。

 その声を最後に、母の手は俺の首へと伸びた――


 ――シャーーーン!


 その時――澄んだ音色の鈴の音が何処からともなく聞こえ、次の瞬間――斎からもらった包から眩い光が放たれた。


 風が吹き、閉じていたはずの玄関から一羽のカラスが飛び込んできた。

 カラスは一直線に母へ向かい、攻撃を加える。


 母はハッとしたように俺の首から手を離すと、震えながら自分の両手を見つめ……そして、俺の顔を見るなり逃げるように家を飛び出していった。


 俺はねじ込まれたモノを涙と咳と共に吐き出し――生まれて初めて、言葉を口にした。


「ごめ…なさ、ごめなさ、ま~ま、ごめなさ!!」


 初めて口にした言葉は母への謝罪……母があんなことをしたのは、自分が悪い子供だからだ……あの時は本当にそう思っていた。


「蓮!!」


 駆け付けた斎にすべてを委ね、俺は意識を手放した。


 ――あの日、俺は声を得た代わりに、“母親”と、“大好きだったハンバーグ”を失った。


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