救済の蓮花 ~自然に愛されし少年と神使の狐~

天乃一月

【プロローグ】滝壺に宿る穢れと祈り~蓮視点~

 

 森の奥深くにひっそりと佇む滝つぼ。

 透明な水が岩肌を滑り落ち、太陽の光を受けてきらめいていた。


 滝の音は静かな森に響き、まるで子守歌のように優しく心をほぐす。


 川岸には苔むした岩や丸く削られた小石が散らばり、時折、小さな魚が水面に跳ねる音がする――俺、四ノ宮 蓮のお気に入りの場所だ。


 そんな聖地にも近い思いを抱く場所だったのに――


「なんじゃこりゃーーー!!」


 思わず叫んだ松○優作風の自分の雄叫びが、木霊のように森へ吸い込まれていく。


「なんでこんなになってんだよ!」


 岩の間に挟まったビニール袋、踏みつけられた紙皿、潰れた空き缶に、カラフルなプラスチックの破片。


 一目でそれとわかる、人間たちの落とし物――いや、“残骸”。


 足元には、腐った食べ物に群がるハエと、湧いたばかりの白いウジ虫。鼻をつく異臭に思わず顔が歪む。


 俺は沸々と湧く怒りを感じながらその惨状を睨みつけた。


「ふざけんな!この場所は…みんなの宝物なのに……!」


 どこからともなく現れた小河童たちが、涙を浮かべて俺のズボンの裾を引いた。

 その中の一匹、菊のような甲羅をもつ友人の小菊河童が、かすれた声で懸命に何があったのかを教えてくれた。


「にんげんが…たくしゃんきて、おまちゅりして……ごはんたべて、はなびして……ぜんぶそのまま…おいて、かえっちゃったんでしゅ……」


 人間の押し付けた突然の理不尽に、小さな肩が震えていた。

 小菊河童の怒りと悲しみの入り混じった感情が痛いほどに伝わってくる。


「みんな、待ってて!俺、神社に戻ってゴミ袋持ってくる!!」


 俺は駆け出した。足が泥でぬかるもうと気にしない。

 目に浮かぶのは、この滝つぼの澄んだ水と、小河童たちの無邪気な笑顔。

 その笑顔を…あんな風に悲しませるなんて!!


いつきーーーー!ゴミ袋どこーー!?」


 神社へ駆け込み、勢いそのまま彼がいるであろう縁側に向かった。


「帰ってきたらただいまだろ。」


 白銀の髪を風に遊ばせながら、茶を啜るのは、この神社の神使、白狐の斎だ。


「ごめん、ただいま、袋たくさんいるんだ。どのくらいある?とりあえず全部頂戴!」


 俺はあの惨状を一刻も早くなんとかしたくて、矢継ぎ早に捲し立てた。

 静寂を好む金色の瞳がいつもと違う様子の俺になにかを察してくれたようだ。

 斎は物入れの中から買い貯めていた予備の袋をたくさん出してくれた。


「何があった?」

「森がまた人間に荒らされた。斎も来て!」


 俺はゴミ袋を両手に抱え、斎と共に滝つぼへと急ぎ戻った。


「斎、これ見て!? 信じられないよっ! こんなにゴミだらけにしてくなんて!! あー!もう!ほんと腹が立つ!!人間は…なんでこんなことできるの!?自然の恩恵なんだと思ってんだよ!!」


 再び目にした惨状に怒りのスイッチがまた入ってしまう。


「落ち着け、蓮。夕餉は好きなもの作ってやるから……そう怒るな。お前にはわからずとも、お前の力は強い。小河童たちが怯える。」


 斎の言葉に俺はハッとした。

 周りを見ると、小河童たちが身を寄せ合って心配そうにこちらをみていた。


「ごめん…。」


 斎は惨状を見渡し、蝿がたかっている方を指差した。


「……あそこの腐敗臭の中に、“澱み”を感じる。

 このままでは“瘴気”へと変わり、森のものたちの障りになりかねん。」


 人間の身勝手な行動が森を穢し、妖怪たちを脅かす…。


 ――絶対嫌だ。


「だが、先に澱みの本をなんとかしないとだな…。

 蓮、これを使え。」


 そういって投げてきたのはゴム手袋。流石…千里眼を持つ斎は抜かりがない。


「祓いだけではこの場は清められても、本当の意味で“戻る”ことはない。


 ――“お前たち”が動かねばな。」


 言うことがいちいちカッコいい斎だけど、ゴミ拾いはノータッチの構えのようだ。しかめっ面で顔を背けつつ、横目で澱みの元を監視しながら口元を袖でおさえている。


(あー…はい、そうだよね、ばっちいの嫌いだもんね…。)


 不浄や穢れ相手なら強気で攻める斎だけど、物理汚いのは苦手らしい…。

 俺はゴミを見つめていた小さな小河童たちに声をかける。

 猫の手ならず、小河童の手だけど、ないよりかはいいに違いない。


 人間たちのやったことを彼らに押し付けるようで申し訳ないけど、人間をまたこの地に入れるのは嫌だ。


「……やるよ。みんな、手伝ってくれる?」


 小河童たちがコクンと頷き散らばってゆく。


 小さな手で紙皿を持ち、小さな肩で空き缶を押しながら、彼らは一生懸命、蓮と共に働いた。

 日が傾き始めた頃、小河童たちは帰って行った。


 やっと元の姿を取り戻したその場所に斎が静かに立つ。

 わかってる。こんなことしなくても、斎はやってくれるって。

 でも――これは俺のけじめだ。


 斎の立場は神様に使える神使。

 人間の願いを叶えてくれる神様は、忙しくてあまり一つの神社にいない。

 簡単な願いを叶えるのを代行するのも、神社を清め留守を守る神使の務めらしい。


 そして、そうやって神使として修業を積むと位があがると言っていた。

 だから…俺は両手を合わせ、祈りを込めた。


「お願いします。この地の穢れを祓い清めてください。」

「その願い、聞き入れた!」


 その瞬間――ドーン!という音と共に、天から光が斎に降りそそぐ。


 この光は、人の願いを聞き入れた神様が代行する神使に貸す力で、その力の源は人の祈りらしい。


 斎の目尻の朱が一層鮮やかな色を付け、白銀の髪は光を含んで眩いばかりに輝きを増した。


 ――綺麗だ――


 神がかるという言葉の”意味”を斎によって教えられた。

 斎は清めの酒を榊に零し、穢れた地に振り撒く。


 次の瞬間、手にしていた榊の葉が光を帯びはじめると、葉のひとつひとつが鈴へと変わり――神楽鈴へと姿を変えた。


 斎は舞うように鈴を鳴らす。


 ――シャンシャンシャン――シャラシャラシャラシャラシャラ――――


 高く澄み渡るような鈴の音があたりに鳴り響き渡る。


 すると、天から光が降り注ぎ、吹いてきた風が渦を巻き、光と“澱み”を巻き込み天高く舞い上がり――四散した――


 森の空気が、澄んだ気配を取り戻す。


「ありがとう、斎。」


 斎が隣に立ち、ぽつりとつぶやいた。


「夕餉の献立はどうする?」


 すっかりいつもの斎だ。さっきの”美人”はどこへやら…でも…どっちも俺の大好きな斎だ。


「……じゃあ……ハンバーグ。」

「ハンバーグ? お前、あまり好きではなかったのではないか?」


 俺は目をそらして、少しだけ苦笑した。


「……昔は…大好きだったんだよ……あの日まではね。」


 斎は何も言わず、ただ、俺の肩にそっと手を置いた。

 高く響いた鈴の音が、まだ耳の奥に残っていた――


 ――あの日、あの鈴の音が、俺を救った。


 ――そして、あの日食べたハンバーグが、母の“最後の味”だった。

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