火喰い虫

ぱるぴうむ

序章 世界の成り立ち

 なにもない空間から、それは生まれた。

 なぜ生まれたか、なにを糧に成長するのかなど、自分に関することが何一つわからない。加えて、自分以外になにか生命体はいるのかさえも視認できず、それどころか身の回りの安全を把握することさえ困難なほどの、あたり一面真っ暗な虚無に置かれている。最初に覚えた感情は絶望であった。

 光がさしてきた。辺りを見渡せるようになり、この空間の下にも空間があって、そこにまばゆくて心を引き付けるなにかがあるのを知覚した。欲して手を伸ばそうにも、この場所からでなければ始まらない。もどかしい気持ちでこの薄暗い場所から放たれるときを待ち続ける。


 どれほどの時が過ぎたであろうか。右の隣に、何かが落ちる音を感じた。心地の良い感覚。視覚しか自分にはないと思っていたが、聴覚も備わっているとは。嬉しいとはこういうことだと、その感覚に酔いしれていた。その落ちた物体が何やらこちらを見ていることに気付かないほどには。

 ようやく見られていることに気付いた自分は、その物体がこちらに何かを訴えかけていることに驚き、なにやらとある場所をつついてこちらに要求している様子であった。試しにその場所を押してやると、暗い空間が一瞬にして変わり、明るい場所に放り出された。待ちに待ち続けた、窮屈な世界からの開放。感無量といいあらわすのが適当であると考えた。

 そうして真新しい世界への興味のまま身を動かそうともがいていると、先刻の生物がこちらに頭を下げ、物乞いをしているようであった。声が聞こえてくる。さっそく聞いてみると、

「感謝をここに。朕は蛍国の覇王であるフーリンと申すもので御座います。なにやら奇怪な部屋に閉じ込められ、もはやここまでと天命を悟ったところ、あなた様がおられ、朕の命を救ってくだされました。どうか我が国にいらしてはくれませぬか。恩義をお返ししたいのです」

 意思を伝えようにも手段がない。尖ったものが落ちている。体を押し付け穴を作った。音を発せるようになったので、真似て声高に、

「ヨカロウ、チンヲソナタノクニトヤラニツレテマイレ」

と伝えると、一瞬浮かべた怪訝な表情を大層な笑顔で塗り替えて、

「では参りましょう。あなた様の事情も知りたい。我が国に着いたらごゆるりとなさってくだされ」

そう言って身を翻し動き始め、自分はそれを頼りに進みはじめた。


今走りながら考える。もしもあの時引き返せていたなら、何をなげうってでも踵を返して去っただろう。あのような醜悪な物を目にすることもなかったであろう。幾度後悔したのだろうか。いや、それは無駄であると学んだ。今考えてももう遅い。

 目的を思い直せ。息を切らしているのは、未来を変えるためだ。そうであるならば、ただ無心で足を動かす他はない。そうしなければ今自分の後方で軍馬を走らせている槍兵に討ち取られるのは必然だ。嫌だ。まだ命を落とすわけにはいかない。この暗君の手下から逃げなければ、自分の責任も果たせないままで終わってしまう。それだけは避けねば。湿地で、馬が走るには向かない場所にもう少しの辛抱でつくのだ。必ず逃げ切って見せる。

 そう考えながら、暗く冷たい大地を裸足で走った。

 


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