ジントニックには早すぎる夜
部屋に戻ると、湿った夜気の匂いが少しだけ残っていた。
洗濯物の甘ったるい香りは、窓を開けていたおかげでずいぶん和らいでいる。
冷蔵庫を開けると、さっき買ったプリンがきっちり五つ並んだ。
その横で、
「ね、
「……プリンと一緒にお酒って、どうなの?」
「合うよ、たぶん」
「“たぶん”で言わないで」
唄はまるで子どもの実験のようにプルタブを引き、軽い音を立てて一口飲んだ。
「んー、あまっ。……でも悪くないかも」
「甘いものと甘いお酒を一緒にする意味が分からない」
「だって、“幸せの味”を重ねたら、倍になるでしょ?」
その理屈は正しくないのに、なぜか笑ってしまう。
テーブルの上にプリンを並べると、唄は嬉しそうにスプーンを差し込んだ。
とろりとしたカラメルの香りが、缶チューハイの柑橘と混じり合う。
「ほら、美琴さんも食べてみて」
「私は後で」
「後でって、いつもそう言うよね」
「習慣なの。先に人を見てから食べる方が落ち着くの」
「そっか。じゃあ、あたしは先に幸せになるね」
スプーンを口に運び、頬をゆるめる。まるで世界が平和になったかのような顔だ。
「本当はね」
唄がふと、手元の缶を見つめた。
「ジントニックと一緒がいいんだけど」
「ジントニック?」
「うん。お母さんが好きだったの。炭酸の音が、夜の雨みたいでさ」
声が少しだけ遠くなる。
私は一瞬、言葉を探したけれど、何も言わずに冷蔵庫から氷を取り出した。
タンブラーに氷を落とし、水を注いでスプーンで軽く混ぜる。
「……音だけでも似せておくわ」
「やさしいね、美琴さん」
「お酒を混ぜてない時点で、ただの炭酸水よ」
「それでも、ちょっと幸せな音」
氷がかすかに鳴る。
唄はその音を聞きながら、静かに笑った。
部屋の灯りがプリンの表面に映って、琥珀色のカラメルがゆらゆらと揺れている。
私たちの影も、少しだけ重なった。
「……ねえ、美琴さん」
「なに?」
「明日、天気、晴れるかな」
「知らない。予報は見てない」
「じゃあ、晴れるってことにしよ。だって、今日こんなに甘かったし」
子どもみたいな理屈に、思わず吹き出す。
プリンのスプーンを受け取り、一口すくう。
――あまい。ほんの少しだけ、苦い。
それでも、不思議と胸の奥が静かに満たされていった。
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