第3話

「小説がいつまでも面白いのって、すごいことだよね」

 放課後。佐々木は本に目を落としながら、そんなことを呟いた。

 教室にいるのは私だけで、その言葉は当然私に向いていた。

「そうかな」

「そうだよ! 言葉って言うのは限られているわけでさ、物語が作られるってことは、その小説は永劫生まれないって意味じゃん?」

「それは……『そして誰もいなくなった』と同じミステリはもう書かれないって話?」

「そう!」

 それは確かにそうだ。まったく同じ作品というのは、生まれることはきっとない。それこそ、アガサクリスティを知っている人間がいなくなるようなことがあれば別だけれど、基本的にはそうだ。

「例に上がった『そし誰』なんかは、彼女のフォロワーがそれをリスペクトしたような作品を書いたりはしてるけど……でも、『そし誰』が生まれるってことは、もうないわけで」

「それがどの作品にも言える、ってことね」

「そういうこと」

 彼女の読んでいる作品は、私が今例に挙げたのと同じミステリー作品だ。

 特にミステリの畑なんて、いつか枯れるというような話は私もどこかで聞いたことがある。どうせSNSの戯言だろうけれど、フォロー数の多くない私が目にしているということは、それなりに拡散されているものなのだと思う。

「面白い作品は尽きない。いつまでもあたしたちを楽しませてくれる」

「うん」

「というわけでどん」

 彼女は効果音を鳴らしながら……いや、効果音を鳴らした。

「どん、とは」

「いや、咄嗟に出せるものじゃなかった……」

 言いながら、彼女は鞄をまさぐり、スマートフォンを取り出した。

「……? スマホ?」

 電子書籍派にでも転向したのだろうか。

 言う必要もないと思うが、私は紙の本派だ。紙の方がなんかいい……とか、そういうわけではなく、暇な休み時間にも読めるからという理由だ。高校の休み時間にスマホを取り出すわけにもいかない。

 でも、佐々木はそもそも紙の本に拘りがあったはずだ。その彼女がってことは、家に本が増えすぎてかさばっているのだろうか。彼女ならあり得るような気もする。

「なんか、失礼なこと考えてるのはわかるよ」

「失敬な」

「一応言うけど、私は今でも紙の本派閥だし、さっきまで紙の本読んでたでしょ」

「それはそう……じゃあ何」

 私が聞くと、彼女はフルフルと首を振る。

「さっきまでの流れでわかんないかなあ」

「なんかテンション高くて変な感じはしたけど……」

「酷いな、それ」

 ひとつ。彼女はそんな風に人差し指を立てる。

「小説は今でも面白い作品が作られ続けている」

「はあ」

 ふたつ。私の相槌と同時に、彼女は中指も立てる。

「私は今スマートフォンを取り出した。スマホがどんなことできるデバイスなのかはわかるでしょ?」

「わかるけど、多すぎるから絞れないかな」

 それもそうかとしゅんとなりながら、彼女は薬指も続けて立てた。

「私のテンションが高い」

「ヒントになるかなあ」

 彼女はうーんと唸るけど、それ以上を言っては来ない。スマホが関係して、電書派になったわけじゃないなら……小説投稿サイト?

「あ、いた」

 彼女に応えようとすると、教室の後ろの扉が開く。見知らぬ男子生徒……というわけでは、当然ない。

「取り込み中だったかな」

「いいよ」

 かたんと席を立つ。要件なんてわかりきっているとばかりに佐々木から距離を置いた。

「すぐ戻るから」

「あ、うん」


 ――。

「素人の書いた小説でも読んでるの?」

「戻ってくるだに酷いな……」

 席について、開口一番佐々木に告げた。スマホでも小説は読める。紙の本派の佐々木が読むなら、電子でしか読めないもの……つまり、小説投稿サイトに投稿されるものだと思ったのだ。

「一般の人の書いた小説を読んでた時期はあるよ、最近はあんまりないけど」

「じゃ外れか」

「まあ外れ。正解はこれね」

 そう告げて彼女の見せてきた画面は……投稿サイトの画面だった。

「あってるのでは……」

「違うよ、これ、あたしの書いた小説だから」

「……」

「木下?」

「…………マジ?」

「大マジにきまってんじゃーん」

 軽く告げる彼女とスマホの画面を交互にまじまじと見つめる。

 佐々木の。書いた。小説……。

「……面白いの?」

「小説を書いた本人に聞くことかなあ、それ」

「小説を読む人間としては、一番に気にするところでしょ」

 私も彼女に倣いスマートフォンを取り出す。投稿サイトのアプリ自体は興味本位で入れていたので、今見た彼女のペンネームを打ち込んで彼女に見せる。

「あってるよ」

 投稿された話はまだ一話しかない。連載中の文字が躍る。

「大賞にも応募するつもりだけど、とりあえず練習のつもり」

「……そう、なんだ」

 なんだか、佐々木が急に遠い人間になってしまったような錯覚を覚えた。私の知らないところで、佐々木が別のことを始めていたことに、焦燥の気持ちが芽生えたような。

 そんなこと、当たり前なのになあ。

「読んでほしいの。それで、素直な感想を聞かせて」

「……家でゆっくり読むよ」

「掌編だから、すぐ読んでくれてもいいんだけど」

「びっくりしてるし……今読んでる本も途中だから」

「それは仕方ない」


 ☆


「笹野……ユカ」

 自分の部屋で、彼女のペンネームを呟く。

 身バレはしないだろうけど、彼女のことを知っている身からすると、本名から少しいじっただけの名前だ。一編は1000文字程度の短いもの。

「小説家、ねえ」

『小説を読む人間としては、憧れちゃうよねえ』

 身をくねらせながら語る彼女の目は、爛々と輝いていた。軽く目を通した限り、小説家の方々には遠く及ばないような拙い文章だ。

 連載中の一話ということもあり、何を伝えたいのかという部分もまだ見えてこない。

「……っ」

 羨ましい、と素直に思った。私の読書趣味は、佐々木に合わせただけの受け身なもので、私自身のものじゃない。男子からモテるのだって、受け身なもので主体性はどこにもない。

 私には、何もないのだ。

 それを突きつけられたみたいだった。

「でも、チャンスなのかも」

 物語が動くのは、いつだって何かが変化するときなのだ。

 彼女は変わろうとしている……わけではないかもしれないけど、変わりそうになっているわけで。

 それなら……。

 ノートパソコンを手元に持ってきて、起動する。

 数十秒待機して開いた画面でブラウザを起動、小説投稿サイトを開く。

「乗るしかない、このビッグウェーブに」

 それが正しいものかはわからない。

 けど、こうすることで。

 彼女との距離が縮まるのかもしれないじゃないか。

 自分に嘯いて、私は書き始める。

『私は、』

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