紫陽花の約束

藤泉都理

紫陽花の約束




 一人暮らしを始めた大学一年生の青年の幸治こうじがそうめんをすすりながら、テレビを見ていた時だった。

 幼稚園のプール開きが始まったというアナウンスと共に巨大なビニールプールの中ではしゃぎ回る幼稚園児たちの映像が流れてきては、幸治の脳裏に二つの事が過ったのである。

 一つは、同じ年の幼馴染の諭吉ゆきち

 もう一つは、幼稚園の時に書いていた日記である。

 実家に置いてきたかもしれないと思いながら、本棚の引き出しを開いて中を見て行けば、なんとその日記が入っていたのであった。

 何で持って来たのか、偶々か、もしくは導かれたのか。

 苦笑しつつ、一番初めの頁から飛ばす事なく読んでいくと、途中の頁に【ゆきちとのやくそく】と大きな文字で書かれていた。


(【だいがくせいになったらしょくじをゆきちにおごることぜったいに】って。今、大学生だけど。全然覚えてない。こんな約束。諭吉としたっけ? 何で?)


 幸治と諭吉は年に一回、年賀状代わりにラインで新年おめでとうと送り合うという疎遠な関係でしかなくなってしまっていたので、幸治は今更食事を奢るのもどうかと思いつつも、久々に会ってもいいかもなと思い、テーブルに置いていたスマホを手に取ったのである。






 六月の日曜日。

 あいにくの雨が降り注ぐ中、幸治と諭吉が金属フェンス越しに見つめていたのは、二人が通っていた幼稚園のコンクリートプールだった。正確には元コンクリートプールである。今は紫陽花畑になっていた。


「会いたいって約束を取りつけたくせに、遅刻するなんて。おまえ。相変わらずの遅刻魔だな」

「何だよ。君だって、幼稚園の時は結構遅刻してきたじゃないか」

「それは幼稚園の昼休みの話だろ。俺は食べるのが遅かったから、遅れただけだ」

「俺は食べるのが早かったからな。噛んでなくて飲み込んでるって、ちゃんと三十回噛みなさいって先生によく叱られたなあ」

「そうそう。でもおまえ一度も先生の言う事を聞かなかったんだよな」

「そう。俺はもう先生の怒った顔しか覚えてないな」

「まだ飲み込んで食べてんのか?」

「ちゃんと噛んでるよ。ところでさ。ラインにも書いたけど、何で幼稚園の時に俺が君に食事を奢るって約束をしたのか、思い出したか?」

「いいや。ぜんぜん。おまえが俺になんかひどい事をして、大学生になったら奢ってやるって言ったんじゃないか。ほら。おまえの兄貴、実家通いの大学生なのにいくつもアルバイトを掛け持ちして俺は金持ちなんだぜって自慢してたじゃねえか」

「ああ。正社員になった今も副職を何個も掛け持ちしているよ。どんな精神と肉体をしてんだろうな。もはやスーパーマンだよ」

「で。おまえは?」

「一人暮らしをしてんだ。アルバイト二つ。平日は本屋。土日は飲食店」

「ほう。つまり、そのアルバイトしている飲食店で奢ってくれるというわけか」

「誰が連れて行くか。行ってみたかった飲食店で奢ってやる。ほら。ここな」

「本当に奢ってくれるのか?」

「ああ。覚えていないとはいえ、約束は約束だ。しっかり守ろう」

「へえ。おまえがそんなに律儀なやつだったとは。見直したぜ。遅刻魔の汚名は返上させてやろう」

「へえへえ。ありがとうございます」


 幸治と諭吉が金属フェンスに背を向けて歩き出した途端、雨脚が強くなったので駆け走りどちらともなくどちらが先に到着するか競争しようと言い出しては、傘を折り畳んで全力疾走するのであった。











「遅刻魔の汚名は返上された代わりに、約束破りの汚名が生まれてしまったな。幸治」

「破ってないだろうが。コンビニで好きなもん三つ奢ってやっただろうが。感謝しろ………ベッグション」

「大雨に打たれ続けたから風邪引いたんだろ。ゆっくり休めよ」

「おい。優しい振りして俺の食事を食べようとすんな」

「っち。ばれたか」











(2025.6.6)



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紫陽花の約束 藤泉都理 @fujitori

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