第5話『絶体絶命』

街道を挟んで対峙する、二つの軍勢。

ディレックの背後には統率された動きを見せるメイルの謎の軍団。

ハスキーボイスの女性剣士の背後には、屈強な武国トロンガースの正規兵。

どちらに転んでも死。絶望的な状況で、二人は即座に背中を預け合う陣形を取った。


「数は、あちら(武国)が多いな」

「質は、そちら(謎の軍団)が上か。厄介だ」


短い言葉を交わした瞬間、二人は同時に地を蹴った。

戦端が開かれる。

女剣士の剣は精密機械のように、敵兵の兜の隙間、鎧の関節を的確に貫く。無駄な動き一つない、一撃必殺の静かな剣。

対照的に、ディレックの剣は嵐のように荒々しく、師匠譲りの重い一撃で盾ごと敵を弾き飛ばし、薙ぎ払いで複数の敵を一度に巻き込む。動の剣。


言葉を交わさずとも、互いの剣技が死角を完璧に補い合っていた。

ディレックが力任せに敵陣をこじ開け、女剣士がその隙を突いて的確に兵士の命を刈り取っていく。

まるで長年組んできた相棒のように、二人は死の舞いを踊った。


激しい戦闘の末、数で勝る追手をなんとか退ける。

血と土埃に塗れた街道に、ようやく束の間の静寂が訪れた。互いに距離を取り、荒い息をつきながら、ディレックは口を開いた。


「俺はディレック。魔国メイルのタビーダ族だ。今は王女誘拐の濡れ衣を着せられ、追われている」


正直に素性を明かすことが、この場を乗り切る最善手だと判断した。

しかし、彼の言葉に、女剣士の空気が凍りつく。彼女の表情を硬直させたのは、「王女誘拐」の罪状ではなかった。


「……貴様、タビーダ族の者か!」


憎悪に染まった声に、ネメアが脳内で『えっ、そっち!?』とツッコミを入れる。

女剣士の剣が、今度は明確な殺意をもってディレックに襲いかかった。


「俺がタビーダ族だと、何か問題あるのか?」

ディレックはその速く鋭い剣を、力で弾き、受け流しながら問う。


「しらばっくれるな! 貴様らタビーダ族が、我が一族に行ってきた侮辱の数々! 私は、お前たちを絶対に許さない!」


彼女はまだ名を明かさず、ただ憎悪を滾らせ、殺意のこもった猛攻を仕掛けてきた。

その剣は、師匠のような圧倒的な重さはない。だが、速い。目で追うのがやっとの、剃刀のような剣閃が幾重にもディレックを襲う。

剣技は、ほぼ互角。

ならば、とディレックは魔法で決着をつけようと、相手に悟られぬよう高速詠唱を開始した。

その瞬間、


『彼女を殺しちゃダメ! 絶対にダメ! そんな気がするの!』


ネメアの金切り声が脳内で響き、緻密に組み上げていた呪文の構成が霧散する。

その一瞬の隙を、女剣士は見逃さなかった。ディレックの胸を狙う鋭い突きが放たれる。


だが、その刃がディレックに届くことはなかった。

街道の北と南の双方から、地響きと共に追手の第二陣が姿を現したからだ。

先ほどよりも多い数。そして、今度は弓兵まで混じっている。

傷つき、疲弊した二人に休息を許す気はないらしい。


「ちっ……!」


女剣士は悪態をつき、ディレックから距離を取る。

やむなく一時休戦し、再び共闘する。しかし、第二陣は手強かった。

盾を構えた兵士が壁となって前進し、その隙間から槍が突き出される。後方からは容赦なく矢が降り注ぎ、二人の逃げ場を奪っていく。


「くそっ、キリがない!」

女剣士の呼吸が乱れ、精密だった剣筋がわずかに鈍る。

ディレックも浅い傷をいくつも負い、全身から血が滲んでいた。

じりじりと追い詰められ、活動範囲が狭められていく。


乱戦の中、女剣士の死角から、隊長格と思しき男が狙いを澄ましていた。

女性剣士は眼前の敵に集中し、その殺気に気づいていない。


「しまっ……!」


ディレックは咄嗟に彼女を突き飛ばした。

直後、左肩に焼けるような激痛が走る。

骨には届かなかったが、太い矢が深く突き刺さり、力をごっそりと奪っていく。


「ぐっ……!」


歯を食いしばって痛みをこらえ、震える腕に気づかれぬよう、何事もなかったかのように剣を構え直す。

だが、一度崩れた戦線は、そう簡単には立て直せない。

左腕の自由を失い、自慢の「動」の剣が振るえなくなったディレックは防御に徹するしかない。その分、女剣士が無理を重ねる。悪循環だった。


もはや、これまでか。

誰もがそう思うほどの、圧倒的な物量。

やがて第二陣も残りわずかとなった時、ついに女剣士の足がもつれ、体勢が大きく崩れた。

そこへ、三人の兵士が同時に襲いかかる。


「……させるか!」


ディレックは最後の力を振り絞り、女剣士の前に立ちはだかった。

片腕で二人の攻撃を受け止め、最後の一人の槍を、自らの脇腹に突き刺さるのと引き換えに、その心臓を貫いた。

噴き出す血潮が、彼の視界を赤く染める。


「ディレック!」


女剣士の悲鳴のような声が聞こえた。

彼女は鬼気迫る表情で立ち上がると、残った敵兵を一瞬で斬り伏せた。


そして、静寂。

街道には、折り重なる死体の山と、風の音だけが残った。

ディレックは、その場に膝から崩れ落ちる。女剣士もまた、剣を杖代わりにして、かろうじて立っているのがやっとだった。


「……まだやるのか」

再びディレックに向けられた剣先に、彼は力なく問うた。


「当然だ。タビーダは根絶やしに……」

そこまで言って、女剣士は言葉を止めた。

矢が突き刺さったディレックの肩から、脇腹にかけて、おびただしい量の血が流れ、地面に黒い染みを作っていることに気づいたのだ。


「その傷……」

(まさか、さっきも、今も、私をかばって…!?)

憎むべきタビーダ族の男に、二度も命を救われた。

その動かしがたい事実に、彼女の剣先が戸惑いに揺らぐ。

その動揺を察したディレックは、わざとぶっきらぼうに言った。


「気にするな。この傷は……前からのもんだ」


その見え透いた強がりに、女剣士は何か言いたげに唇を噛んだ後、静かに剣を下ろした。


「……また追手が来る。少し休むぞ」


二人は道端に座り込んだ。風が街道の砂埃を運び、遠くで鳥が鳴いている。

気まずい沈黙が、重くのしかかる。

女剣士が顔を伏せ、己の感情を整理している隙に、ディレックは息を整えるふりをしながら、脳内で治癒魔法の呪文を高速で組み立てた。

(完全な治癒は無理だ。だが、このままでは出血で意識を失う。せめて傷口だけでも……!)

外見上は何も変わらない。だが、彼の体内では魔法の力が血管を強引に塞ぎ、おびただしい出血がようやく止まっていた。


やがて、ディレックがポツリと尋ねた。

「……まだ、名を聞いていなかったな」

女剣士は一瞬ためらった後、顔を伏せたまま、小さな声で答えた。


「……リアーナ」


その時だった。街道の向こうから、一台の豪華な馬車が近づいてくる。

護衛の傭兵を伴った、商国のエンブレムが刻まれた馬車だ。

「お困りですか? よろしければ途中まで」

馬車から降りてきた商人風の男の申し出に、リアーナは警戒して断ろうとする。


(止血はしたが、痛みと疲労は限界に近い。罠である可能性も五分だが、このままここで野垂れ死ぬよりはマシか)

ディレックは「悪いな、頼む」と、彼女を軽々と担ぎ上げ、有無を言わさず馬車に乗り込んだ。


馬車の中は豪奢な内装で、商人風の男の他に、一組の若い男女がぐっすりと眠っていた。

「ひどくお疲れのようですね。お水でもどうですか?」

男が差し出すコップに、リアーナは不審の目を向ける。男はにこやかに笑うと、「大丈夫ですよ、毒なんて入っていません」と言い、同じ水を自ら飲んでみせた。

それを見て、二人も警戒を解き、乾ききった喉を潤す。


しかし、しばらくして、リアーナの身体から力が抜け、深い眠りに落ちていった。


『ディレック! この馬車の中、特殊な眠り香が焚いてある! 早く外に!』

ネメアが脳内で警告するが、時すでに遅く、ディレックの意識にも濃い霧がかかり始めていた。

止血はしたものの、限界を超えた出血と疲労、そして抗いがたい眠気に襲われ、彼はその言葉を聞く前に、暗い闇の中へと沈んでいった。

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