皇帝陛下とバニーガール
津々崎 桜子
昼のおはなし
春風に誘われるような、とても穏やかな目覚めだった。
窓から差し込む日の光を浴びながら、セラはくわっと欠伸をした。人目もはばからず大きく口を開ける姿は、花も恥じらう年頃の乙女にしては些か品に欠けるものであるが、当の本人は気にした風もなく体を伸ばしている。
セラが横になっている場所は使い慣れた自宅のベッドではなく、帝城の一室にある窓台の上。当然、人間がそんな場所で昼寝などできるはずもなく――。
「――……」
ちらり、と薄目を開けて窓にぼんやりと映っている自分の姿を見る。
キュートな長耳にプリティな真ん丸尻尾。全身を覆う青い体毛は艶やかで、つぶらな瞳と相まって非常に愛くるしい。これにはセラも「我が事ながら、なかなかの美人じゃないか?」などと思ってしまうのであった。
(……まあ、
――そう。人間であるはずのセラは現在、小さな兎に姿を変えていた。
新しい霊薬の研究をするために家で実験をしていたところ、発動した魔法が暴走してしまったのだ。煮詰めていた鍋がボンッと爆発。瞬時に部屋を満たした煙から逃れる術はなく、煙が消えた時にはもう子兎になっていた。
(あーもう! ちゃんと防護服を着ていたら、こんなことにはならなかったかもしれないのに……! 着替えるのが面倒くさいからって、
後悔先に立たず。慣れからくる怠慢は、恐ろしいものである。
問題なのは、体の形が変わったせいなのか魔力操作が覚束なくなり、人間に戻れなくなってしまったこと。由緒正しい魔女の娘であっても、肝心の魔力を扱えなければ何もできない。
それでもセラが自棄にならないのは、まだ完全に詰んだわけではないからだ。
(大丈夫。もうすぐ満月だから……)
記憶が正しければ、明後日には満月になるはずだ。
月の光にはかなり強く、とても純粋な魔力が秘められている。古来より魔女は月の光を浴びることで自分の髪に魔力を蓄えてきた。セラも幼い頃から月光浴の術を学び、実践し続けてきた。月の光の扱いには少しばかり自信があるのだ。
満月の浮かぶ夜は、月の光の恩恵を最も強く受けられる、魔女にとって特別な時間帯。多少強引な手段になるだろうが、兎化の呪いを内側から打ち破ることだってできるはず。
幸い、十日ほど兎の姿で過ごしたおかげか、体の扱いにもだいぶ慣れてきたところだ。魔力の感覚も掴めつつある。あと二日耐え忍べば、元の体を取り戻せる。
ウサっ、と気合いを入れていると、ふいにため息が聞こえてきて、意図せず耳がピクリと動いた。
視線を向けた先では、青年が書類仕事に勤しんでいた。
窓から差し込む陽光を受けて煌めく金髪が目を惹きつける。憂鬱気に細められた碧眼は雲ひとつない空を連想させるだろう。すっと伸びた鼻梁や整った面差しも相まって、暴力的な美しさを誇っていた。
――アルトリウス・アルバレス。
24歳という若さでありながら、アルバレス帝国の皇帝として辣腕を振るう秀才だ。
つまり、この帝城の主であり、そして今はセラの飼い主――という表現には些か抵抗があるものの、状況的にそれ以外の言葉が見つからない――でもある人物なのだ。
セラは音もなく出窓から飛び降りると、今度は高級そうな机の上に飛び乗った。
「どうした?」
アルトリウスの碧い目が驚きで開かれる。
ジッと見つめられるのは落ち着かないが、負けじとセラも彼から視線を離さなかった。
(……うん、勘違いじゃない。うっすらとだけど目の下に隈がある)
心なしか、顔がやつれているようにも見える。
早朝から休憩なしで働きっぱなしというのもあるだろうが、疲労の原因はそれだけではないだろう。
かれこれ十日もアルトリウスの世話になっているセラは、長い時間を彼と共有することで仕事の量を把握するようになっていた。
皇帝というだけあってかなりの激務だが、アルトリウスは顔色を変えることなく淡々とこなしていたはずだ。少なくとも七日前までは変化がなかった。
しかし、ここ数日はどうにも様子がおかしい。明らかに溜め息の回数が増えているし、欠伸を嚙み殺している姿もちらほら見かけるようになった。
彼がそんな隙を見せるのは珍しい。
たとえ、部屋に一人(と兎のセラ)しかいなかったとしてもだ。
たった数日の付き合いしかないセラがそう思ってしまうのは、きっと初めて会った時のアルトリウス・アルバレスの姿が脳に焼き付いて離れないからだろう。
王国との戦争が終結してから、約五か月。
戦後処理を終え、待ち望んだ平和の訪れを誰もが実感し始めた春のある日。
久方ぶりの活気に賑わう帝都、その大通りに通じる路地裏に彼はいた。
アルトリウスが見ていたのは石畳の道を進む人々の群れ。
通勤中であろう大人たち、視界を横切るキャリッジ、開店準備でテラス席を整えている女性従業員、めいめいに歩く身なりを整えた紳士淑女に、何が楽しいんだかキャーキャーと騒ぎながら駆けていく子供たち……。
一歩踏み出せば、その喧騒に紛れるというのに。
アルトリウスは路地裏からただ独り、人々の活気を眺めていた。
限界まで緊張の糸を張り詰めて、まるで常在戦場だと言わんばかりの覚悟をまとう背中が――自分はもう陽だまりの下で誰かと笑い歩くことはないと、そんな風に諦めている背中が、とても寂しく感じて。
そう。だから、あの時セラは、自分が兎の姿であることすら忘れてアルトリウス・アルバレスに自ら駆け寄ったのだ。
(ずっと一緒にいる気がするけど、出会ってからまだ十日しか経っていないんだよね。なんか不思議な感じ)
「――ふっ」
出会った時のことを思い出していると、頭上で何やら動く気配。
直後、ぽんと頭に乗っかる大きな手。
「人の顔を見るなりボーっとして……腹でも減ったのか?」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるアルトリウス。
けれど、頭を撫でる仕草はひどく優しく、温かい。
自分のとは似ても似つかないゴツゴツした手。剣を握り続けたことで固くなった、男の人の手だ。
兎としてアルトリウスに拾われてからというもの、たびたび撫でられるのだが、未だに慣れない。小さい心臓がバクバクするのは、はたして緊張のせいだろうか。
(あ、ちょ……待っ)
セラが縮こまっている合間にも、アルトリウスは撫でる手を止めない。
頭から大きな耳を。耳の先端まで、ただ触れるだけの愛撫をしたかと思えば、今度は顎の下を指先で掻いてくる。あまりの心地よさにウットリと目を細めれば――なにせ兎の姿になってからというもの、満足に顎下や首の辺りを掻けないのだ――次第に手は体の方へと移っていく。
首の裏、背中、そして臀部まで手は伸びて――。
(あ――ッ!! やっぱり無理――ッ!!)
ダンッ。力強く机を蹴ったセラは、素早く床を駆け抜け、もはや定位置となった窓台の隅まで退避する。
(まったく、もう! 人が心配してあげているのに、あ、あんないやらしい手で触ってくるとか! セクハラよ、セクハラ!)
――とはいいつつも、わかってはいるのだ。
人が兎を愛でる行為に、セクハラも何もないと。
目の前にこんなに可愛い兎がチョコンと座れば、そりゃ思わず手も伸びるだろうと。
アルトリウスだって、まさか路地裏で拾った兎の正体が実験に失敗した魔女だなんて思っていないはず。彼は目の前に座り込んだ兎を、ただの兎として愛でようとしただけだ。
もしセラがアルトリウスと逆の立場だったとしたら――きっと何も気づかないまま、ペットとして可愛がっていただろう。「きゃー! すっごく可愛い! 食べちゃいたいくらいに可愛い! というかもう食べるわいただきまーす!」と、巷の猫愛好家たちの間で噂の〝猫吸い〟ならぬ〝兎吸い〟を決め込む自信があった。
そう考えると、ただ撫でるだけのアルトリウスの、なんという少食具合か。
……いや。アルトリウスに兎吸いをしてほしいワケではないのだけれども。
ふいに、手のひらの温もりを思い出す。
アルトリウスが、あの暴力的にまで美しい顔面を自分の体にうずめて深呼吸をする姿を想像しそうになって――ああいやチョット待てと、慌てて頭を振って思考をかき消す。
(落ち着け! 落ち着くんだ私! 思考が変な方向に行ってる! ああもう……陛下があんな手付きで撫でるから……ッ!!)
きゅい、きゅい! と文句をぼやきつつ、アルトリウスの代わりに青空を睨む。
――だから。
アルトリウスが何やら言いたげな目で自分を見ていたことなど、セラは気づきもしなかった。
皇帝陛下とバニーガール 津々崎 桜子 @nozzle
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