黄昏の愛
……
…………
………………
俺はいつの間にか駅前にいた。
目の前には潤んだ目で5日間ボタンを手にした彼女がいる。
俺の指はボタンに触れた状態で止まっていた。
5日が経過して、戻ってきたのだ。
俺はボタンを押す直前、つまり5日前に顔が紅潮した状態の彼女に勧められるまま、ボタンに10万円を入れた状態にまで戻ってきていたのだ。
彼女は明らかに焦燥しきっていた俺の顔を見た。
恋人「あ~、キミのその表情、多分バレちゃったね」
彼女は全てを察したように話し出した。まるで、俺しか覚えているものがいないはずの5日間に何があったのかを覚えているかのように。
恋人「ボク……余命が三ヶ月なんだ」
恋人「よくわからない、”謎の病気”だって、先生も匙を投げてた」
あまりの急な言葉にめまいがした。
言おう言おうとしたが、どうしても言い出せないまま今に至ったらしい、実に彼女らしい、基本言いたいことが言えない彼女なのだ。
そして俺にはもう一つ気になる点があった。俺にボタンを持ってきた時点で彼女は既におかしかった。
確かに最初、彼女はボタンを押し、俺の知らない俺との5日間を過ごした。だが、それだけで、それだけで彼女がああなるだろうか?
まさか!?
俺が問いただすまでもなく、彼女が自分で言ってきた。
恋人「うん、10回は押したと思う、だからキミはボクと50日愛し合った」
50日!
俺が彼女と体験したあの濃密な日々が脳裏によみがえる、あれを既に10回も繰り返していたというのか!
確かに5日間ボタンの効果のせいでそれは”なかったこと”になっており、当然俺もその50日間のことは覚えていない、しかし彼女にとって既に俺は50日間身体を毎日重ね続けた相手なのだ。
おそらく最初の数回は互いにぎこちなかったのだろう。だが「何をしてもよい」という彼女の想いは次第に俺の身体を貪るレベルになっていったわけだ。
恋人「もう、ボクどうなっちゃってもいい」
恋人「もう身体も心も全部、何度でもキミにあげちゃった」
しかも彼女は余命いくばくもなく、これで最後という想いがあった、恐らく5日間の最中に死んでもいいとすら思っていただろう、事実彼女は5日目には吐血していた!
恋人「もう全財産使っちゃっていいと思ってた……」
恋人「お金を半分こして……」
恋人「互いに使いきって……最後まで愛し合おうって……ひぐっ」
いつの間にか彼女は涙ぐみ、半泣きになっていた、いつもの彼女だ。
俺「どうにか……治らないのか?」
無駄な事とは分かってはいたが、一応尋ねてみた。
恋人「ベッドで寝ていれば3か月は持つってお医者さんが言ってた……」
恋人「けどそんなのは嫌!」
恋人「あなたと愛することもできない! ただ生きてるだけの3か月!」
恋人「そこに何の意味があるっていうの!」
俺は考える、幸いにも俺は医学部に助手として籍を置いている、大学病院で診てもらうことも不可能じゃないだろう。いくら難病と言えども……。
俺「俺の大学病院の研究室で何とか!」
恋人「そんなので簡単にどうにかなる病気じゃない!!!」
俺は自分の軽率さを恥じた。当たり前だ、そんな簡単に治る病気だったら彼女はとうに治している、治療に金がかかるとか言う問題ではないのだ。
俺「すまん……。」
恋人「いいの、ちょっと心遣いがうれしかったし」
恋人「けど、現状では治療法が確立されていない病気、原因も不明」
恋人「けどいいの」
彼女が力なく微笑みかける。
恋人「手元にはボクの全財産、300万円がある」
恋人「キミとボクとで150万円、75日間ずつがボクたちの最後の持ち時間」
恋人「二人合わせて5か月……愛の延長戦だね」
延長戦。
それはなんと悲しい延長戦だろう。
互いに激しく愛し合いつつも、相手と共に過ごした時間は互いに知り得ない
まるで不透明な膜ごしに抱き合ってるような愛情。
互いに不透過な「共有できない記憶」ごしの愛。
俺の心は張り裂けそうになった。
だが
その瞬間、俺の頭の中で何かが弾けた。
彼女が5日間ボタンを俺の前に持ってきたこと……
使い方をこの場で知って、実際に使って効果を確かめたこと……
そして彼女の余命を知ったこと……
俺は初めてこの瞬間に理解した。
全ては運命だったのだ。
俺「頼みがある」
恋人「何? キミの言う事だったらボク何でも聞くよ」
恋人「5日間ボタンがあれば、多分死んじゃっても大丈夫なんだから!」
俺「ああ、そのボタン、しばらく貸してくれ」
俺は周囲を見渡す。のぼりを立てた宝くじ売り場が見当たる。
何と運のいいことだろう、「それ」はまさに5日後の事だった。
俺がこれからやろうとしている事を再び脳内に思い返す。
確かに、世間で言う5「億」年ボタンよりはマシだ。
だがこれから俺が飛び込もうとしているのは間違いなく地獄だ。
俺「覚悟決めるか……」
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