第十一話 ストックホルム症候群
……まずい。湯船に浸かって考え事をしていたらのぼせたかもしれない。
ふと頭がぼーっとしてきたことに気付いて、慌てて湯船から出た。
手早く体を拭いて着替えた後、浴室から出ると……まだライブの映像が流れていた。
お風呂に入っていた時間は一時間くらいだろうか。ライブは数時間とか続くだろうし、映像が流れていることに関して違和感はない。
ただ、彼女が推しのライブを見ている状況でこんなに静かなのはおかしかった。
「またか?」
先ほどと同じく寝たふりだろうか。
そう思って確認しに行くと、凛々子は目を閉じていた。寝たふりなのかと警戒したものの、今度は寝言一つ言わない。
「すぅ……すぅ……」
近づくと、寝息が聞こえてきた。
これはもしかしたら、本格的に寝ているかもしれない。
もちろん、演技の可能性もある。寝ているかどうか怪しかったので、もう少しジックリと見つめた。
凛々子は平気で同じことを繰り返す。これは、寝ていない可能性の方が高い気がした。
(相変わらず、メイクは落とさないんだな)
赤みがかった目元とほっぺたが印象的な地雷系メイクは、もうすっかり見慣れている。
いつメイクを落としているのだろうか……俺の前では基本的に着飾っているんだよなぁ。
もっと楽にしてもいいと思うが。
(凛々子の好意は、嘘じゃない)
穏やかな表情の顔を見ていたら、ふとそんなことを考えていた。
彼女の気持ちを疑えるほど、俺の性格はひねくれていない。
凛々子の隠す気がない愛情はちゃんと受け止めている。彼女は打算で俺に好意的な態度をとっているわけじゃない。まぁ、そもそも打算で動けるほど賢くないとも言える。
良くも悪くも、素直な人間だから。
(でもそれは――植え付けられた愛情だぞ)
もう一度言おう。田中凛々子は、良くも悪くも素直なのだ。
環境に影響を受けやすく、そのせいで……ずっと一緒にいる俺に対して、愛情を抱いてしまっている。
(刷り込み、単純接触効果、吊り橋効果、ハロー効果、認知バイアスの歪み、エコーチェンバー……なるほど、密室空間に閉じ込められるとこういうことになるのか)
……状況としては違うのだが、被害者が監禁犯に恋をする『ストックホルム症候群』に近いのかもしれない。
凛々子の立場になって考えてみれば分かる。
彼女は俺――太田久信しか頼れる人間がいない。俺に敵意を持たれたら、体格で劣る彼女の安全が脅かされる。そのことを、凛々子は無意識的に察知している。
つまり、理性ではなく生存本能で彼女は俺を『好き』だと思い込んでいるのだ。
(凛々子は嘘をついていない。だが、偽りと本物の区別もついていない)
環境に適応した結果、彼女は俺に好意を抱くことでこの異常な状況を処理してしまっている。
(……お前のことは嫌いじゃないよ。むしろ、結構好きだと思う)
俺だって、欲望のままに動けるなら凛々子の感情を喜んでいたと思う。
性格が明るくて、一緒にいると楽しい気分になるし、愛情深い少女だ。きっと、付き合えたら楽しいだろう。
だが、俺にそのつもりは一切ない。
凛々子に対して、少なからず好意を抱いてしまったからだろうか。
(彼女を傷つける選択肢は、なるべく取りたくない)
可能であるなら、この状況を穏便に乗り越えたい。
こんな、二人きりの異常な空間で、実験動物のように感情を操作されるのは嫌だった――。
【あとがき】
お読みくださりありがとうございます!
もし続きが気になった方は、最新話からできる評価(☆☆☆)や感想などいただけると更新のモチベーションになります!
これからも執筆がんばります。どうぞよろしくお願いしますm(__)m
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます