ベラドンナ
犬坂まひる
ベラドンナ
叶わない恋をしたかったわけではない。
かといってあきらめたいわけでもない。
……親友の好きな人に、恋をしてしまった。
私だけが悪いわけではない。彼だって、悪い。
彼は所謂、プレイボーイというやつだった。どんな女でも分け隔てなく愛することができる、というとまるで美点のように聞こえてくるのだから、まったく言葉というものは不思議だと思う。
彼はもともと、私の親友と将来を誓い合っていた。婚約関係だったのだ。
でも彼は、ひとりの女に縛られ、ほかの女を愛せないなど言語道断だと、遊び歩いていた。
私と出会ったのも、その夜遊びをしている時だったのだろう。
その時の私は、親友に恋人ができたことこそ知っていたが、それが彼だということは知らなかった。ちょうど仕事が繁忙期で、親友と話をする時間がほとんどとれていなかったから。
仕事に疲れて、行きつけの居酒屋で、カウンター席でひとりビールジョッキ片手にやけ酒を煽っていた。
「隣、いいですか?」
そんな、くたびれたOLの私に、隣に座った彼が話しかけてきたのだ。
彼は、……彼は、本当に魅力的だった。
ただ顔がいいだけではない。立ち居振る舞い、言動、そのすべてがとても洗練されていた。
きっと、女性に不自由したことなどないのだろう。
彼は私の話す仕事の話を嫌な顔せず聞いてくれたし、私の趣味の話だって楽しそうに聞いてくれた。話をしていて、とても、とても楽しかったのだ。
待ち合わせなどしていなかったが、居酒屋に行けば、いつもの席で彼が笑っていた。そうして私たちは他愛もない話をしあって。
それで。
……仲を深めた男女がすることなど、ひとつしかないだろう。
彼の手で、私はホテルへやってきた。夢のような時間だった。
愛しい人に愛されることは、こんなにも素晴らしいのだと感動した。
彼の腕で眠りにつけることが、心底幸福だった。
そんな夢のような記憶が、親友に連れられてやってきた彼を見て、崩れ去っていった。
その日は、繁忙期がおわったので、親友に久しぶりに会うことになっていた。
その時に、彼女が心底惚れ込んでいる彼氏を連れてくると言っていたので、私は内心楽しみにしていたのだ。
「おまたせっ! 待った?」
親友の、かわいらしい声が聞こえて、私はスマホに向けていた視線をあげた。
そして、親友が腕に抱きついている、彼を見たのだ。
……私はちゃんと受け答えできていたのだろうか。今でも自信がない。
彼は私を見ても、少しも反応してくれなかった。まるで初めましてみたいだった。
きっと最初から、彼は私に興味なんてなかったのだろう。
本当に、酷い人だ。
後日、私は親友に聞いた。
「夜の街で別の女の人と歩いているのを見た」と。
「彼はやめたほうがいいんじゃないか」と。
わかっている。親友と別れさせたところで彼は私のものになったりしない。
その時の私は、親友のためといいながら、諦めきれていなかったんだと思う。
けれど親友の答えは、予想していたどれとも違っていた。
「ああ、そのこと。知っているから大丈夫だよ」
驚愕した。
知っていて、あんな男と付き合っているだなんて、信じられなかった。
「あの人、女の人が好きだから、すぐ遊び歩いちゃうの。でも気にしてない。最後は私のところに返ってくるしかないんだもの」
「どういうこと?」
「私ね、彼の赤ちゃんがおなかにいるの」
親友は、自慢げに私に語った。
子どもを作ってしまえば、彼は責任を取らざるをえなくなる。自身の子を宿した女を捨てるほど、彼はひとでなしにはなれないから。
だから頑張ったのだ、と。
頑張ったから、『ご褒美』をもらったのだ、と。
狂っている、と思った。
他のすべてを投げ捨ててでも、ただ一人の男を手に入れようとするなんておかしい。
けれどよくよく考えてみれば、親友にはそういう、正気じゃないところがあった。
相手に依存しすぎて、ストーカーまがいのことをしたり、自殺未遂を犯したり。
けれど彼女のその性質は、時を経て巧妙に隠されるようになっていった。
そしてついに、彼女は望むものを手に入れたのだ。
私は圧倒的にスロースタートで、差は歴然だった。私は彼女のように、狂気的にはなれない。
はじまった時点で、もうどうしようもないことだった。
けれど、諦めたくなんてなかった。
往生際が悪い。どうしようもないことに縋りつくなんて非生産的だ。
頭ではわかっていた。
けれど、感情というものは理屈ではどうしようもなかった。
親友をどうしようもない男から助けたい、だなんて。もっともらしいことを言い訳のように繰り返し唱えた。
でも、私にいったい何ができるというのだろう。
考えた。
考えて考えて考えて考えて考えて、考えた。
それでも答えがでないまま、無常に月日が過ぎて行った。
そんなある日のことだ。
「なあ、『ベラドンナ』って知ってるか?」
職場の同僚が、私にそう雑談を振ってきた。
私の職場はとある出版社であり、同僚は園芸系の著作を多く持つ作者を担当していた。
正直なところ無視したかったが、人間関係というものは些細なことで破綻する。
「いえ、初めて聞きましたね」
私がそう返事を返すと、同僚は「だよなあ」と言っていた。
「この著者がさ、育てたベラドンナが花を咲かせたから、一株いらないかって聞いてきたんだよ。俺の家は花育てるスペースがないからあれだけどさ、お前の家確かベランダ広いっていってただろ?」
「まあ、確かに。花を育てることはできると思いますけど……」
「よかった、じゃあ受け取ってやってくれないか。ベラドンナの育て方とかはメールしとくからさ」
どう断ろうか思案しているうちに、無理やり受け取ることとなってしまった。
気分は乗らないが、しかたない。
同僚から届いたメールに目を通していく。
『ベラドンナの実はベリーに似ており、甘いとされるが、人間には毒性が強いため決して食べたりしないこと』
……毒?
慌てて注意深く読みなおす。
……ベラドンナには、最悪死に至るほどの毒素を持つ実がなるらしい。
これだ、と思った。
頭の中で、ピースがはまるように計画が組みあがっていく。
ためらいなどは、微塵もなかった。
私はベラドンナを受け取ったのち、実を回収した。
そして実を使って、カップケーキを作成した。親友は、ケーキ作りが趣味だった。ラッピングも彼女好みにしたから、きっと彼は食べてくれるだろう。そして、美味しいって思ってくれるに違いない。
最期の食事くらい、美味しいものを食べてほしいと思うのは、私に残った欠片ほどの愛だ。
親友は出産に備えて実家に帰っているらしく、親友の家には今、彼だけがいる。
だからきっと、送られてきたカップケーキを、親友のサプライズだと思うに違いない。
彼は、どんな表情で食べるのだろう。
苦笑するのかな、喜ぶのかな。その表情はきっと、親友だけが知っているのだろうけど、想像するくらいは自由だろう。
これでもう、彼は誰のものにもならない。
これでよかった、ハッピーエンドだ、そのはずなんだ。
「そうよね、ベラドンナ……?」
なのにどうして、涙がでるのだろう。
私の涙を受け止めて、ベラドンナは葉をゆらしていた。
ベラドンナ 犬坂まひる @sayoneco22
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